梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

二人して憎まれ役

2008年12月07日 | 芝居
夜の部『石切梶原』で、師匠は大庭三郎景親をお勤めになっておりますが、舞台面で隣に座る、高麗屋(染五郎)さんお勤めの俣野五郎景久とは兄弟の関係のようで、俣野は台詞でも度々大庭のことを「兄者人」と呼んでいます。
兄が<大庭>で弟が<俣野>。姓が違うのにどうして兄弟なのかしらと不思議に思っていたのですが、調べてみればなんのこともない、二人はれっきとした実の兄弟なのですが、弟の景久が、相模国鎌倉郡“俣野”に移り住んでから、姓を土地の名に合わせて改めたことでこのようなことになっていたのですね。
ちなみに彼の領地俣野は、現在の横浜市戸塚区と藤沢市の一部だそうですよ。

もともと大庭氏は関東八平氏のうちの鎌倉氏の末裔。ということは、あの『暫』の主人公、スーパーマン鎌倉権五郎景政とも繋がりがあるわけ。
そして俣野五郎といえば、舞踊『おしどり』では河津三郎に相撲の勝負で敗れる役で、やっぱり赤ッ面。
坂東武者の荒々しい気風を表現するために、大庭が六郎太夫にいう『気遣いいたすな 大庭は大名』を「でえみょう」と発音するやり方もあるのですが、今回師匠は「だいみょう」と言っております。

…兄は頼朝に、弟は木曾義仲にそれぞれ破れ、命を落としてしまいますが、『石切梶原』の頃が、兄弟にとって一番いい日々だったのかもしれませんネ。