梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

そうそうでない狂言ですよね

2008年12月03日 | 芝居
師匠初役にてお勤めの『高時』。

本名題を『北条九代名家功(ほうじょうくだい めいかのいさおし)』と呼び、河竹黙阿弥が明治17(1884)年に書き下ろした作品。《新歌舞伎十八番》の内でございます。
当時の識者は満足納得、ご見物は驚くやら物足りないやら、とにかく劇界の話題となった一連の<活歴>物のひとつですが、現代におきましても上演が続いている数少ない作品です。

鎌倉幕府最後の執権職北条高時が、史実通り、連日闘犬や田楽舞、酒色におぼれる暴君として描かれ、そんな高時が、いともたやすく天狗にたぶらかされてしまう様を、大薩摩節と義太夫の掛け合いでみせるという趣向がウケたのでしょうか。初演の高時役、劇聖9代目團十郎の格調高い演技と朗々たる台詞術、天狗舞の激しい動き、立廻りも、きっと当時の観客に、深く印象づけられたのでしょうね。

平成に入ってからは、成田屋(團十郎)さんが4年に、橘屋(羽左衛門)さんが10年に、成駒屋(橋之助)さんが15・16年に、成田屋(海老蔵)さんが19年に上演されており、この度の師匠で5人目となるわけですが、その舞台に私も侍女役で立ち会えるのがとても嬉しゅうございます。
先日も申し上げましたが、私にとりましてはなんといっても平成10年の橘屋さんの高時が「初『高時』」ですので大変印象深く記憶に残っております。歌舞伎座9月大歌舞伎の夜の部序幕。御年82歳の舞台。私のような若輩者が申すのもおこがましいことですが、大きな、立派な、堂々たるお姿、声音、風格…。それでいて、天狗に教わりながら踊る舞には、何にも知らずたぶらかされている者のおかしみがあって、いかにも愚昧な殿様といった風情…。
天狗の皆様も、当時の立廻りの腕利きの方々が揃ってお出になり、ほとんど毎日照明室から拝見していましたが、何度見ても面白くて面白くて…。

たしかあのときの上演では、天狗舞のくだりで、大薩摩の三味線の駒に工夫をして、ボロ~ン、ビロ~ンとおどろおどろしい音色を変えていたように思うのですが…。
不確かで申し訳ありません。今一度、調べ直してみます(明治の初演では、三味線の糸を真鍮の針金に変えた《龍尾琴》で演奏したと記録されています)。

浄瑠璃の詞章や台詞にも、どこか新しい言葉遣いが見られる、<古典>でも<新歌舞伎>でもない<活歴>狂言。その独特の魅力、面白さを、是非味わって頂きたく存じます。