梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

とりとめなく『車引』 その一

2006年09月10日 | 芝居
今月の昼の部序幕『車引』は、高麗屋(染五郎)さんの松王丸、音羽屋(松緑)さんの梅王丸、澤瀉屋(亀治郎)さんの桜丸、そして萬屋(種太郎)さんの杉王丸と、花形の皆様が打ち揃っての上演で、朝一番のお芝居ながら客席は大いに盛り上がっております。
三十数分の短い幕ながら、隈取りや衣裳も特徴的な<荒事>の演技、義太夫の三味線に合わせての台詞術<ノリ>の耳に心地よいリズム、様式化された舞台面と、見所聞き所が豊富な演目で、いかにも歌舞伎といった趣きでございます。

私たち十四期生も、このお芝居を教材として、播磨屋(又五郎)さんのご指導のもと、演技の勉強をさせて頂きました。梅王丸の<元禄見得>や<裏見得>、松王丸の<石投げの見得>など、沢山の<キマリの形>がございますし、<六方><足を割る><踏み出し>といった、歌舞伎独特の体使いがいっぺんで覚えることができる恰好の演目なんですね。台詞にしても、梅王丸の<甲(かん)の声>、松王丸の<呂(りょ)の声>、桜丸の女方に近い発声法と、それぞれの声の出し方の違いを教わりました。
又五郎先生からは、とにかく「腰を入れろ」といわれました。言葉で説明しにくいものですが、腰が安定しないと、見得をしても六方を踏んでも、ふらついてサマにならないのです。それから、足を広げた形の時は、膝頭を外側へぐっと開くこと。こうしないと力が漲ったように見えないのだそうです。「肉体的につらい時が、一番いい形」と何遍も言い聞かされながらお稽古をいたしましたが、筋肉痛にはだいぶ苦しめられました。
研修一年目の、一回目の発表会では桜丸を勉強させて頂きましたが、厚綿の衣裳を着ての演技は、生まれて初めて舞台衣裳を着て芝居をする身にとっては、息も苦しいし重心はとりにくいしで大変でしたが、本当によい経験をさせて頂きました。

卒業後は、当然ながら居並びの<仕丁>役で、何度かこの演目に携わっております。師匠が桜丸をなすったときは、ちょっとからんでトンボを返るほうを勤めさせて頂きました。立ち回りに関わらないと、約二十分立ち通しになりますので、意外と疲れます。ちょっとでも動けると、かえって体はらくなものです。とはいえ舞台は<地舞台>で、所作舞台より硬いですから、落ち方を気をつけないと足にかかる負担は倍増です。

仕丁役はだいたい十数人出ますが、劇中、上手下手に分かれて<化粧声>をかけます。上手が「アーリャ」、下手が「コーリャ」で、芝居の中で三カ所、この声を交互に掛け合うのです。その声の数が、最初は七回、次が五回、最後が三回で、「七五三」の吉例になっております。いずれの時も、最後は見得にあわせて全員で「デーッケエ(デカイ!ということ)」と申します。これはつまりは主演の役者の立派さ、強さを、舞台上で讃えているわけです。…とにかく大きな声を出さなくてはなりませんが、なにせ十数分立ち続けたうえで言うものですから、酸欠で目の前が白くなるなんてことも…。体調が悪いと、このお役は本当に辛いですよ。

ちなみに、玉垣の書き割りが左右に割れて、吉田社頭の場面に変わる際、仕丁一同で「ハーイホーウ」と申しますが、この言葉、調べてみますと「はいほう」という一つの単語ではなく、「はい」と「ほう」という二つのかけ声を組み合わせたものだそうで、行列の先払いで使われた言葉なのだそうです。今でも「ハイホー」というフレーズは目にしますが、これとは別物ですので、念のため。