梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

梅之豆ガイド 『文屋』の巻

2006年09月08日 | 芝居
昨日ご紹介した『業平 小町』で、業平が花道へ引っ込みますと、舞台はそのままで、上手側で演奏していた長唄囃子連中を御簾で隠してしまい、かわって下手側の御簾を巻き上げて、清元節連中が姿を現します。チャッパという小型のシンバル状の楽器の「シャン、シャン、シャン」という音が印象的な<突掛(つっかけ)>という鳴り物が始まり、下手の<舞良戸(まいらど)>を開けて、小走りに文屋康秀が登場、小町のもとへと急ぐところを、上手の舞良戸から八人の官女が出てきて舞台中央でとうせんんぼ。それをかきわけながら上手へゆくのをなおも引き止めるので、官女のはいている緋の長袴を踏んづけて総倒しにするおかしみがあり、これからが踊りの始まりです。
文屋の衣裳は、今回は紫の狩衣に浅葱地に八ツ藤模様の指貫(さしぬき)袴。狩衣は表面の生地が透けるようになっており、下の生地に染められた紅葉の柄がうっすらと見えるというつくり。茶色でなさる方もいらっしゃいます。冠りものは黒の<風折烏帽子>で、立烏帽子を半分に折ったかたちです。黒の<三位(さんみ)烏帽子>になる場合もあり、このときは狩衣の意匠も変わります。

さて、「届かぬながら狙いきて 行くをやらじとコレ待った」からしばらくは、官女たちとからみながらの振り事になります。
この官女、臭い息を吹きかけたり、あられもない動きで文屋の邪魔をしたりと、女らしさのカケラもない振る舞いばかりですが、このお役は、かならず普段立役を演ずる俳優が勤めることになっております。古来より真女方ははしたない振る舞いをしないという鉄則があり、それは楽屋のみならず、舞台上でも同じこと。とてもこのような演技はできないわけで、立役が演じることで、ガサツさ、無骨さ、そしておかしみを表現しているわけでございます。『妹背山・三笠宮御殿』の<いじめの官女>も同様ですが、こうした、あえて立役が演じる女方のときの化粧では、自分の眉毛を肌色の帯状の布で隠した上で、額に近い位置に別に眉を描くのがキマリです。普通自分の眉を消す時は、固形の鬢付け油でつぶしたり、剃り落したりするところ。それを何故あえて布で覆って隠すのかと申しますと、そうすることで、ある種の<不自然さ><作り物っぽさ>を出し、普通の女方ではないんですよ、ということを表現しているのですね。
官女について話しすぎましたでしょうか。さて文屋は、小町のもとへ九十九夜通いつめた深草の少将の姿に自分をなぞらえたり、下世話な話でおどけてみせたり。史実でも下位のまま終わった彼ですから、この踊りの作者は、存分に洒落のめしたキャラクターに仕立て上げております。

「田町は昔 今戸橋」からは、狩衣を脱いで着付だけになり、いよいよ時代考証無視も甚だしい歌詞に合わせ、中啓(ちゅうけい。扇の一種)を小道具に踊ります。「法印さんのお守りも 寝かして猪牙(ちょき)に柏餅 夢を流して隅田川」なんていうまるっきり江戸の歌詞で、お公家さんが踊るんですからね。ここの部分の浄瑠璃は、<新内がかり>と申しまして、新内節っぽい曲調になっておりますから、余計に洒落が効いています。

「駕篭はしてこい 萌黄の蚊帳呼んでこい」からは官女たちとの<恋尽くし>の問答になります。官女一人ずつからの謎掛けに、全て<こい>で終わる言葉で答えてゆきますが、ここの部分で演奏される合方が<ギッチョの合方>。ちょっと変わった三味線の節です。ここの台詞もすっかり江戸前の洒落になっております。

文屋が返答に窮してしまい、官女たちが大笑いしたところで、「ぎっちり詰まったヤニ煙管 えくぼのいきの浮くばかり」となり、再び文屋一人の踊り。「富士や浅間の煙はおろか」から、ゆったりとした大間の振りになります。のぼる煙、飛ぶ蛍といった事象を、体だけで表現するのが眼目で、先人の口伝もたくさん残るところですね。
「一切体もやるきになったわいナ そうかいな」でキマリますと、「花に嵐の色の邪魔 寄るをこなたへ遣戸口 中殿さしてぞ…」で、ちょっと官女とのからみ。最後は官女を四人ずつ左右に従えて、舞台中央で中啓を開いて胸元にかまえた形で幕。
通しで上演する際は、このあとも続きますので、文屋が官女を振り切って上手に入り、それを追っかけて官女も引っ込み、舞台を空にします。

これ一幕でも上演されることも多い人気曲。なんといっても洒落、遊び心に富んだ曲と振りが魅力なのでしょう。
文屋康秀が詠んで、百人一首にもおさめられている歌が、曲中にも出てきますから、是非確かめてくださいね。