歌舞伎では、重要な役が花道から登場する時に、揚幕の中から「○○のお帰り」とか「△△のお入り」というふうに、大きな声で呼ばわってから登場する場面が多々ございます。
この声のことを<呼び>と申しておりまして、大抵は登場する役者の弟子が勤めることになっております(そうでない場合もある)。ストーリー的には、登場する役の家来だか召し使いだかが発した声という設定なのでしょうが、あくまでこの<呼び>は役ではなく、舞台裏の仕事の一つという扱いになっております。
○○や△△には、えてして役名が入ることが多いですが、殿様とか御上使、旦那という言葉が使われる場合もあり、今月の『貞操花鳥羽恋塚』では、序幕では「宗盛参詣」、ニ幕目では「殿様のお帰り」「御上使のお入り」といった<呼び>がございます。
私は、二幕目の「殿様のお帰り」をさせていただいております。ここでいう殿様とは、師匠梅玉の勤めます源頼政のことですのでね。
過去にも、『石切梶原』の主役、梶原景時の出の「景時参詣」や、『毛抜』で登場する、朝廷の使いである桜町中将の出の「御勅使のお入り」など、いろいろとさせて頂きましたが、どんな演目でも、大きな声で、客席に通るようにハッキリと言わなければなりませんので、気が張ります。
大体<呼び>と申しますのは、舞台で進行しているお芝居に割り込むように、遮るように発せられるので、本舞台でのお芝居を揚幕からよく見ていなければなりません。
誰かのセリフ、あるいは動きがキッカケになりますので、ここぞという間で言うわけですが、普通のセリフより、やや高い調子で、言葉全体を「とのさまのおい~り~~~」というように伸ばすように言いますので、ひとつ間違うと、途中で声が裏返ったり干上がったりする危険がありますので、油断はできません。自分が無理しないで出せる声の高さで、たっぷり息を吸ってから言うのが大切ですね。昔は声を高く出し過ぎて最後がかすれてしまったり、息が続かず尻切れとんぼになってしまったりという失敗をしてしまったこともありました。
また、やはり今月の序幕で、「神事の刻限」という声が舞台裏であってから、<浅葱幕>が振り落とされると、神殿ですでに踊りが始まっている、という場面があります。別に後から誰が登場するというわけでもありませんし、役名も呼ばれませんが、こういうものも<呼び>の中に含まれます。
一方で、『一條大蔵譚・檜垣茶屋の場』で、主人公一條大蔵卿が登場する際の「還御(かんぎょ。お帰りという意味)」や『伊勢音頭恋寝刃』での「さあさあ音頭の始まり始まり」などは、やはり舞台裏から、しかも大勢で言うのですが、これはその直後に舞台に役として出る役者達(前者は仕丁役、後者は仲居役の人々)による声でして、こういうものは<呼び>とは申しません。
もう一つ付け加えるなら、『良弁杉由来・ニ月堂の場』で、大僧正良弁上人が登場する際、舞台裏で、上人について出る大勢の僧侶が、「シィー」という息による音を発しますが、これは<警蹕(けいひつ)>と申しまして、皇族などの高貴な身分、高位の人物の行幸、道中の際に、人払いの意味で発していた風習なのだそうです。『忠臣蔵・大序』でも見られます(ここでは舞台に並んでいる大名役が発します)が、これはそれぞれ、最高位の僧である良弁大僧正、将軍の弟君たる足利直義がいるからこそのものなのですね。
というわけで、舞台効果としての声のお仕事も、様々ございますが、ともかくも今月は、喉の調子を整えて、立派な<呼び>を勤められるよう、努力しようと思います。
この声のことを<呼び>と申しておりまして、大抵は登場する役者の弟子が勤めることになっております(そうでない場合もある)。ストーリー的には、登場する役の家来だか召し使いだかが発した声という設定なのでしょうが、あくまでこの<呼び>は役ではなく、舞台裏の仕事の一つという扱いになっております。
○○や△△には、えてして役名が入ることが多いですが、殿様とか御上使、旦那という言葉が使われる場合もあり、今月の『貞操花鳥羽恋塚』では、序幕では「宗盛参詣」、ニ幕目では「殿様のお帰り」「御上使のお入り」といった<呼び>がございます。
私は、二幕目の「殿様のお帰り」をさせていただいております。ここでいう殿様とは、師匠梅玉の勤めます源頼政のことですのでね。
過去にも、『石切梶原』の主役、梶原景時の出の「景時参詣」や、『毛抜』で登場する、朝廷の使いである桜町中将の出の「御勅使のお入り」など、いろいろとさせて頂きましたが、どんな演目でも、大きな声で、客席に通るようにハッキリと言わなければなりませんので、気が張ります。
大体<呼び>と申しますのは、舞台で進行しているお芝居に割り込むように、遮るように発せられるので、本舞台でのお芝居を揚幕からよく見ていなければなりません。
誰かのセリフ、あるいは動きがキッカケになりますので、ここぞという間で言うわけですが、普通のセリフより、やや高い調子で、言葉全体を「とのさまのおい~り~~~」というように伸ばすように言いますので、ひとつ間違うと、途中で声が裏返ったり干上がったりする危険がありますので、油断はできません。自分が無理しないで出せる声の高さで、たっぷり息を吸ってから言うのが大切ですね。昔は声を高く出し過ぎて最後がかすれてしまったり、息が続かず尻切れとんぼになってしまったりという失敗をしてしまったこともありました。
また、やはり今月の序幕で、「神事の刻限」という声が舞台裏であってから、<浅葱幕>が振り落とされると、神殿ですでに踊りが始まっている、という場面があります。別に後から誰が登場するというわけでもありませんし、役名も呼ばれませんが、こういうものも<呼び>の中に含まれます。
一方で、『一條大蔵譚・檜垣茶屋の場』で、主人公一條大蔵卿が登場する際の「還御(かんぎょ。お帰りという意味)」や『伊勢音頭恋寝刃』での「さあさあ音頭の始まり始まり」などは、やはり舞台裏から、しかも大勢で言うのですが、これはその直後に舞台に役として出る役者達(前者は仕丁役、後者は仲居役の人々)による声でして、こういうものは<呼び>とは申しません。
もう一つ付け加えるなら、『良弁杉由来・ニ月堂の場』で、大僧正良弁上人が登場する際、舞台裏で、上人について出る大勢の僧侶が、「シィー」という息による音を発しますが、これは<警蹕(けいひつ)>と申しまして、皇族などの高貴な身分、高位の人物の行幸、道中の際に、人払いの意味で発していた風習なのだそうです。『忠臣蔵・大序』でも見られます(ここでは舞台に並んでいる大名役が発します)が、これはそれぞれ、最高位の僧である良弁大僧正、将軍の弟君たる足利直義がいるからこそのものなのですね。
というわけで、舞台効果としての声のお仕事も、様々ございますが、ともかくも今月は、喉の調子を整えて、立派な<呼び>を勤められるよう、努力しようと思います。