梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

結局は

2005年10月27日 | 芝居
さて、どう過ごそうか迷った本日のお休みは、たっぷりの睡眠としっかりとしたお掃除で、半日を費やしました。午後三時過ぎの只今、綺麗になった(いつまでかはわかりませんが)部屋でのんびりと過ごしております。

昨日書き残したことがございましたので補足させて下さいませ。九月三十日の記事への、おかあヤン様からの御質問で「千穐楽には千穐楽用の鳴り物があるのか」というのがございまして、それに対して私は「千穐楽には、一日の公演終了時に演奏する<打ち出し>がいつもと変わる」お答えしました。ただ、具体的におこたえするには当方の知識不足のため、詳しくは保留とさせて頂いておりました。
昨日はちょうど千穐楽。これを機会に、鳴り物さんにお話を伺わせて頂きましたので、ここで改めて御説明いたします。
通常の<打ち出し>は初日から千穐楽の前日まで、一日の公演が全て終わった時点で演奏されるもので、最終幕が閉まり、狂言作者さんによる<止め柝>がチョン、と入ったところで、大太鼓のみで、「ドロドロドロ…」と細かく打つことからはじまる演奏となり、これに狂言作者による「チョンチョンチョンチョン…」と細かく連打する柝の音<刻み>が入り、最後に大太鼓の縁を「カラカラカラ…カランッ」と鳴らして終了するのです。このカラカラは、江戸時代の芝居小屋の観客入り口『鼠木戸』を閉める音を表現しているそうで、閉めるということは明日また開ける、つまり以前申し上げました「明日も公演がありますよ」というメッセージになるわけです。
そこで千穐楽用の<打ち出し>ですが、打ち方に大きな変化はないのですが、まず柝のほうで、<止め柝>が入ってからの<刻み>に、千穐楽までは打ち終わりに改めて「…チョン!」と大きく打って終わりとする<あげ>を入れるのですが、千穐楽では<あげ>ることをせず、<刻み>っぱなしで終わります。そして、大太鼓のほうでは、縁を「カラカラ」と叩くことをいたしません。このことで、次の興行までお芝居はお休みです、ということになるわけですね。
おかあヤン様、こんなものでいかがでしょうか?

ちなみに歌舞伎の世界に<舞台稽古>というものが定着したのは明治末から大正にかけてなんですね。調べてみますと、江戸時代ではほとんどが<総ざらい>までで、舞台で稽古をするというのは、玄人にとっては恥、とまでいわれていたそうです。それが、さきほどの明治末年に、帝国劇場が開場してから、劇場の方針として(いわゆる西洋演劇尊重の風潮の影響でしょう)、<舞台稽古>を原則としてから、だんだんと定着してきたのだそうです。比較的新しい習慣、と申せましょう。

さて、このあと午後六時からは、国立劇場で、<稚魚の会><歌舞伎会>の集まりがございまして、早くも来年度の勉強会への会議がもたれます。私も出席いたしますが、大劇場公演を成功させたうえでの、次なる舞台をさらによきものにできるよう、色々と話し合うことになるでしょう。

出かけるまで、今しばらくの休息を味わいましょう。