具体的に書くのは控えるが、被災地の避難所やボランティア受け入れ拠点では、「善意と善意の衝突」が発生する。大規模な自然災害の現場では被災者を救いたいという善意を持った避難所やボランティア受け入れ拠点ができる。想像以上の過酷な現場だ。これ自体がイレギュラーなことだが、より良い、質の高い活動をするためには、イレギュラーな仕事をレギュラー化しなければならない。そうしなければスタッフも被災者も共倒れになってしまうからだ。
ところが、全国各地から善意を持ったさまざまな人、グループがやってくる。現地でも、心に余裕があればありがたく受け入れたいのだろうが、こんな時には受け入れられるだけの心の余裕がない。たとえ善意であっても、計画外の受け入れはイレギュラーが一つずつ増えるということになる。善意を受け入れることは被災者にとって良いことだとわかっていても、「イレギュラーをレギュラー化する作業」を後回しや先送りにしなければならなくなるかもしれない。それによって「共倒れ」の危機感を抱く。
各地からやってきた善意は、苦労して遠くからやってきたのに快く受け入れてもらえない悔しさは想像に難くない。すったもんだの末に受け入れてもらっても、歓迎されなかったことは不本意だろう。事前に自律的な活動をするための綿密な計画を立てて、アポイントを取っていたら歓迎されたかもしれないが、被災地支援の経験がない善意は、とにかく熱い思いだけで動いてしまいがちだ。無理もないことだと思う。どうしたらうまくいくのか、良いアイディアは浮かばない。
でも、そんな中でもまれに心に余裕をもって動いている人を見かける。メンタルが強い人だ。今回、熊本を訪問した際にも、そういう人が3人いた。