Chimney角屋のClimbing log

基本的にはクライミングの日記ですが、ハイキング、マウンテンバイク、スキー、スノーボードなども登場するかも・・・。

我が家の一大イベント 長男の結婚式

2013-11-11 01:10:57 | 日常

11月9日、私の母教会で、長男が結婚式を挙げました。本当に結婚の意味を理解し、一生相手を大切にして夫婦であり続けるために、私も教会で結婚式を挙げてもらいたいと思っていたのですが、私の母教会で結婚式をしてくれたことは、本当にうれしいことでした。

私は、結婚とは「神様が与えてくださった人を、生涯妻として、夫として大切にし、どんな困難があってもこの人と共に生きるという、覚悟と、宣言と、約束だ」というのですが、こういうことを言うと、簡単には理解してもらえないことが多いのです。つまり「好きで結婚したのに、好きでいられなくなったら夫婦でいられない」と思われてしまうのです。でもそれは間違っています。「好き」と「愛する」ははっきりと違います。「好きになれないところがいっぱいあっても、私に与えられたこの人はもっとも愛すべき人」ではありませんか?私だって、妻と30年も一緒にいれば、好きになれないところも少々あります(妻には、その何倍もあるでしょうが)。でも、私の最も愛する人はこの妻です。夫婦というのは、ただ「好き」というのではなく、この世で一番強い「愛」を築きあげて行く関係だと思うのです。そういうことを、教会の結婚式は教えてくれます。

 

沢山の方々が、一緒に祝ってくれました。最近はこんな結婚式は少ないようです。でも、この方たちは、私の息子、お嫁さんを育ててくれた方々です。神様に与えられた恩人です。そしてこの方たちは二人の宣言と約束の証人でもあります。結婚式や披露宴を派手にやることを勧めているのではないですが、「こんなにたくさんの人の前で夫婦の宣言と約束をする」という覚悟は必要です。

 

両家を代表しての挨拶。13分くらい欲しかったのですが、息子に「2分以内で」と念を押されたので、6分の1くらいに圧縮して、何とか時間内に収めました。

親というのは、こういった子供の人生の節目に思うことは「あの小さくて幼くて、かわいかったこの子が、こんなに成長したのか」という感慨なのです。乳飲み子は、親がなくては育たないでしょう。しかし、学校に上がるころには、子供は親と過す時間より、友達や先生や兄弟と過す時間のほうが長くなってきます。高校、大学、社会人となればなおさらです。こうなると、自分の子供を育てたのは親の私だなんて言えません。本当に沢山の人に育ててもらっていたのです。だから、子供は親の思う通りには育たない。当たり前です。それでもそれぞれ、自分にふさわしい人生を歩めるようになるのは、神様が、自分以上に自分のことを知っていてくださって、その道を整えていてくださるからです。この子の結婚を一緒に祝ってくださった方々も、神様に与えられた育ての親です。これからもこの二人は、こうやって守ってもらいながら生きて行くのです。

 

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2 コメント

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Unknown (Chimney)
2013-11-25 23:24:10
岳人さん。コメントありがとうございます。まだジジにはなりたくないような、ちょっと待ち遠しいような、複雑な気持ちです。
改めましておめでとう御座います! (谷川岳人)
2013-11-15 16:05:34
ご長男の結婚おめでとう御座います。貴方の息子さんの結婚と聞くと何となく嬉しく思います。そしてブログのコメントに一々頷きながら「そうだ!そうだ!」と、あいずちを打って仕舞いました。ご長男のご家庭に『幸多かれ』とお祈り致します。ところで、そうなると《爺ジイ~クライマー》の仲間入りも遠い話では無さそうですね~ぇ?

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