Chimney角屋のClimbing log

基本的にはクライミングの日記ですが、ハイキング、マウンテンバイク、スキー、スノーボードなども登場するかも・・・。

トムラウシ山の遭難 避難小屋のあり方

2009-09-18 02:11:37 | クライミング&山
 今月号の「岳人」と「山渓」を買って読みました。どちらも今年7月に起きた、ツアー登山の大量遭難事故について大きく取り上げていました。 
 ツアー登山が孕む危険性については以前から指摘されているところですが、問題は大きく分けて2点。一つは引率者の専門性。ツアー会社では「ガイド」と言っているが、本当にガイドの資質があるのか。今、山岳ガイドを名乗る人間はたくさんいる。信頼できるガイドを個人で雇って登山をすると数万円かかります。しかしツアーに参加すれば、ガイドを雇うよりかなり格安になる。しかし、実際にその両方を体験してみればわかると思いますが、その差には大きな隔たりがある。一方で「私こそツアー登山のプロガイド!」というガイドが現れないものか。「ツアー登山職人」のような・・・。
 二つ目は参加者自身の主体性。何しろ「地図・コンパス」などが「あると便利なもの」として知らされているのですから、それは「登山は自己責任」という理論は通用しない世界なのです。「遠足」または「観光旅行」としか言いようがありません。

 今回初めて知ったのは、(雑誌の記事を読む限り)ツアー会社の非倫理的とも思われる企画内容です。つまり、20名近いグループが避難小屋の場所取りをし、次の客、次の客と順繰りに避難小屋に送り込む「ところてん式」の計画だったということです。避難小屋を当てにして、しかも営業目的で無料の小屋を占拠する経営方針。遭難当日は、非常時なのだから避難小屋に引き返せば、本来の目的で避難小屋が有効に活用されたものを、ところてん式だから押し出されてしまったように思えてなりません。(そこはガイドの判断だったのでしょうが)

 この前谷川岳に登った時のこと。我々が一ノ倉沢の岩壁を登り稜線に出てみると、「今日は一ノ倉の避難小屋に泊まります」という、どちらも初老の夫婦2組に出合った。すぐ近くに「肩の小屋」という営業小屋があるのに。「避難小屋に泊まる」という山行計画とは何なのか。私の身近にも避難小屋を山行の計画に入れ、山に行く者がいる。私がかつて縦走登山を盛んに行っていた頃、「避難小屋というものは、緊急時にしか使用できないものだ」と考えていた。しかし山岳会に入会して、数回目で避難小屋を宿泊場所に計画した会山行に参加した。その時は「ああ、こういう使い方をしても良いものなのか」と、一時期思ってしまった。しかし今になって思うと、やはりそれは違う。避難小屋は「難を逃れるためのシェルター」なのだ。「あるのだから使ってもよい」という考えは、登山文化の堕落を促進する。

 しかし、谷川岳周辺のように、営業小屋が少ない山域では、「避難小屋」ではなく「開放小屋」というのがあっても良いのかとも思う。つまり、緊急時ではなくとも一般登山者が宿泊できるという前提で立てられた小屋も、現在「避難小屋」とされているものの中にもあるのではなかろうか。そういうものは「避難小屋」という名前ではなく、「開放小屋」としたらよいのだ。それを予約制にし、有料の物と無料のものにしたらいいのだ。あくまでも緊急時に使用することを前提にしたものは「避難小屋」として、使用したものは使用後に、設置者に対して費用を支払うようにしたらどうかと思う。非常時でもないのに避難小屋を無料で使用できるというのは、決して日本の登山文化のためにはならないと思う。

 また「避難小屋」は、決して立派な建物でなくていい。「雲取山」の山頂にある避難小屋などは、その立地から考えても存在自体不要だと思うし、あんな立派な小屋を作ったら「どうぞ、ただで泊まってください」と言っているようなもの。

 各自治体は「よかれ」と思って設置してくれているのだと思うが、その使用のされ方を調査し、不要な物、必要なもの、使用に関する制限や使用のルールを検討していただきたいものだ。山岳会や山に関する組織、マスコミなども、もっと避難小屋の使用に関して、よく考えるべきであると思う。

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