日付も変わり、今日はクリスマスですね。
「クリスマスおめでとう!」
我が家の二人の息子は、それぞれ彼女と一緒にクリスマスを祝うようです。でもクリスマスの主役、イエス様をきちんと真ん中にして祝ってほしいものです。
日本では皆がクリスマスのお祝いをします。クリスマスの意味を知らないで祝っている人は少ないと思いますが、いざ御祝いとなると、主役をそっちのけにしてしまっていることは多いのではないでしょうか。「クリスマスってなに?」と聞けば、たいていの人は「イエス様の誕生日」と答えるでしょう。その通りです。ですから誕生日のお祝いには、やっぱり主役が真ん中にいてもらわなければならないのです。誕生日というのは、誕生日を迎える本人がお祝いするものではなくて、皆が誕生日を迎える方を真ん中に招いてお祝いするものです。
私たちの教会では、19日の日曜日がクリスマス礼拝でした。皆で「イエス様、来てくださってありがとう」と声をそろえて言いました。そうです。誕生日というのは、周りのみんなが、誕生日を迎える人に「生まれてきてくれてありがとう」という気持ちで祝うものなのだと、あらためて感じたのです。妻の誕生日には「生まれてきてくれてありがとう」。息子たちにも「生まれてきてくれてありがとう」。友達にも「生まれてきてくれてありがとう」と。
イエス様は、私たちを罪から救うために十字架にかかって死ぬことを覚悟で来てくださった。私たちを許すために。特に自分なんか、人に許してもらっていなかったら、神様に許してもらっていなかったら生きてなんかいられないもの。ずいぶん人を傷つけたり、がっかりさせながら生きている。そういうことが罪なのだ。自分にそういう目に遭わされた人が「あいつは許さない」なんて言ったら、自分なんか生きてられない。許されて生きてるんだなあ。