タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

あの頃の山メシ~6

2019年02月19日 | 山歩きから
北沢峠

天気予報通り雨になりました。

話題もないので、青春のころの山メシの話題です。

ソロキャンプで、標高的に一番高いところにテントを張ったのは南アルプスの北沢峠です。標高2000メートルくらいでしょうか。

今ではシャトルバスで行くことのできる北沢峠ですが、当時は戸台から歩いていました。テント装備一切を持って標高差1000メートルを登るのは、体力のないタカ長にはきついものでした。

    

その時の戸台川です。奥に見える山が鋸岳の稜線です。
到着した日は雨で、戸台川の様子を見ただけで戸台山荘にひき返して自炊した、とメモ書きしていました。しかし、雨の記憶はありません。

北沢峠に登る日は天気が回復しました。メモには沢に石を投げて足場を作り渡渉した、とあります。しかし、その記憶もありません。

戸台川ぞいを登って行くときに丸太橋を渡るところがあり、重いザックを担いで渡るのがとても怖かった記憶だけは残っています。

    

そのようなことをしながら登った北沢峠のテン場です。ここに写っているのが自分のテントなのか、他の登山者のものか、その記憶もありません。

とにかく、ここをベースにして甲斐駒ヶ岳や仙丈岳に登りました。

仙丈岳の山頂での記念写真です。山頂についたときはガスっていましたが、そのガスもやがて晴れ、雄大な展望が広がりました。その時の記憶は鮮明に残っています。

       

この登山の時に見た北岳の気品のある姿は今もって忘れることができません。そのような風景を見て、この日のタカ長は上機嫌だったのでしょう、我ながらいい顔をしています。

この時の登山は、その後は天気に恵まれ、予備日が余ったので、甲斐駒ヶ岳から北沢峠に下りた後あわただしくテントを撤収し、その足で戸台に下りました。余った時間を利用して戸隠高原のほうを歩きたかったからです。

弱い、弱いと言っても、今のタカ長からみたら別次元の行動力です。やはり、若いって素晴らしいことなのですね。

    

半世紀も昔のことなので忘れてしまったのでしょうが、本当にあの時の山メシはどのように準備したのでしょうか?一切を広島から持って行ったのか、途中の町で調達したのか、その記憶もありません。

山男、といわれる屈強の仲間たちから落ちこぼれた軟弱なタカ長でしたが、それでもテント装備一切を担いで北沢峠に登ったのです。

自慢にも何にもならない、ささやかな山歴ですが、それがタカ長の青春でした。

タカ長的には今も忘れられない北沢峠での生活です。