タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

サルメンエビネの咲く山

2018年05月22日 | 山歩きから
    

仲間たちと新緑の山を歩いてきました。

その軌跡を取ったつもりだったのですが、電池切れのためか、gpsロガーの調子が悪かったのか、とにかく軌跡を取ることが出来ませんでした。

そのため今日行ったところは「ヒミツ」ということにします。

本当の理由は、今日の話題は花のことなので、念のため詳細な場所を明かしたくないのです。

世の中には心ない登山者がいることは確かなので、そのようなことにしました。

    

タカ長はタカのことにも関係しています。と言っても最近はとても不真面目なのですが、、、、

この面でも、、、、特に繁殖情報などは秘中の秘のようなことになっています。

タカのことを勉強するシンポジウムでも安心できないのが現実です。タカの関係者だけが集まるシンポジウムだからと言って安心できないのが現実なのです。

    

そのようなこともあって今日歩いた山の具体的な情報は伏せることにしたわけです。

何とも悲しい現実ですね。

    

タカ長は山に咲く花の名前は多くは知りませんが、花を見るのは好きで、花を見ればカメラを向けます。

花の名前を知ってカメラを向けるとは限りません。見た目気に入った花があれば写真を撮ります。

そのように花の写真を撮ることをある程度想定して山を決めることがあります。

また、花のことなど考えないで歩いていたら思わぬ花に遭遇して、、、、ということもあります。

今日のサルメンエビネは後者です。

    

タカ長の勉強不足だと言ってしまえばそれまでですが、今日の山ではサルメンエビネが見られるなんて考えていませんでした。

そのため、、、、仲間が見つけてくれたときはうれしかったです。

    

そのサルメンエビネも1株だけではありませんでした。

天気もヨシ、、、急ぐ山歩きではないので仲間とともに何枚も撮りました。

しかし、、、、、残念ながら半分はピンボケでした。

    

ここでこのような花が見られるのなら、デジイチを持ってくるという選択肢もありますが、、、

でも、山歩きにデジイチは重たいですね。

ということでいつものコンデジで撮った写真をあと3枚だけ並べます。

    

    

    

この程度の写真しか撮れませんでしたが、、、、、仲間たちはどの程度のものを撮ったのでしょうか?

現場ではだれの写真が一番いいか、、、、、というようなことを話していましたが、一堂に集めてコンテストをするわけではありません。

私たちが撮る写真は、、、、自分のが一番いいとうぬぼれていればいいのではないでしょうか。


聖山の思い出

2018年05月22日 | 山歩きから
5月22日は山予定があるので予約投稿しておきます。

昨日は砥石郷山の森のことを書きました。

それと似たようなことですが、、、、中身はまったくの逆の話題です。

    

砥石郷山の北に聖山というお椀を伏せたような形の山があります。

この山がかつては全山ススキの山であったことを知る人は広島でも少数派になっています。

昨日も紹介している「西中国山地」(桑原良敏著)には、、、、

山頂の展望はかつては360度であったが、近年低木が茂り始めたので悪くなる一方である。よく晴れた日には日本海に浮かぶ「高島」に打寄せる白波まで見える。樽床貯水池をへだてて眺めた刈尾山の山容も印象的である。

と書かれています。(刈尾山の刈は上に草冠が必要ですが、その字をパソコンで出すことが出来ませんでした)

この本が発行されたのは昭和57年12月ですが、この原稿がいつ書かれたものかは知り由もありません。

タカ長が足しげくこのあたりの山を歩いたのは昭和30年代半ばから40年代の初めです。そのころは360度の展望であったことは記憶にありますが、日本海の白波まで見た記憶はありません。

タカ長が好きだったのは山頂から西側のアカゴウ谷を俯瞰した風景です。県境との間の広い谷を見下ろしながら、どこか適当なところに小屋掛けして仙人みたいな生活をしてみたいと夢想したものです。

    

全山ススキだった聖山も今はこのように木が茂っています。と言ってこれを撮ったのは2006年10月のことです。

最近はもっと茂っているのかもわかりません。

一面ススキの山だった聖山がこのように変わっていった事情は承知していませんが、昔の聖山を知る者には、この森の風景は心の痛むような風景なのです。

そのため聖山に登る気になれなくて、2006年以来ご無沙汰が続いています。

    

ある年の5月、恐羅漢山のふもとの古屋敷の民宿を出発して、ナツヤケのキビレから砥石郷山を往復して中之甲に下り、十文字峠から樽床ダムまで歩き、そこからバスで戸河内の町に帰る計画で歩いていたら、反対方向から歩いてきた登山者が「樽床ダムからのバスは運休だ」と知らされました。

バスに乗れないと三段峡を歩いて、入り口の柴木まで行かないと帰れなくなります。そうすると、歩行距離は倍増以上、忙しい山歩きになりました。

昼食時間もろくに取れなくて、渓流の水を食器にすくい、お茶漬けならぬ水漬で流し込むようなありさまでした。

そのように忙しい山歩きでも、十文字峠から聖山の山頂を往復しました。それだけ魅力のある山頂だったのです。

          

2006年に行った時の記念写真です。山頂はご覧のような森の中です。これを見ると山頂からの展望が期待できないことはご理解いただけますね。

砥石郷山の森が成長するのは楽しみですが、聖山には森が似合いません。というのが昔の聖山を知る者ボヤキです。

しかし、いくらタカ長がボヤいても聖山のススキの風景は戻ってきません。

タカ長の記憶には逆光に光るススキの波がハッキリと残っているのですが、、、、、、。