タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

狙い撃ちの雨

2018年05月23日 | 日々雑感
昨日は好天に恵まれいい登山が出来ました。明日は晴れ予報です。

昨日と明日の間の今日は朝から雨になりました。

晴れと晴れの間の雨、まさに「狙い撃ちの雨」です。

今日は長寿会の運動会なのですが、、、、無情の雨のため室内で競技することになりました。

    

長寿会の運動会は春秋の2回行われていますが、、、、どうも雨にたたられることが多いような印象があります。

会長が雨男なのか、その他のメンバーが悪いのか、本当のことはわかりませんが、狙い撃ちの雨に逢うのは今日だけではありません。

雨のため室内で4種の競技をしました。と言ってもたいした競技ではありません。

    

タカ長はこの輪投げなど4種目すべての競技で合格、賞品の野菜をもらいました。

と言ってもほとんど全員もらえるようになっているのです。

要するに家を出て、集会所に集まり、皆でおしゃべりするのが目的で、賞品はその付録みたいなものです。

    

しかし、、、、、やるからには好成績を収めたいのは人情で、、、、タカ長とて例外ではありません。

4種目すべてで合格点をもらってほっとしました。

    

本当のお楽しみは競技の後のこれで、、、、

なんだかんだと談笑していたら、これを完食していました。胃袋のほうもまだまだ元気ですね。

と言いながら、、、、午後遅い時間になってもまだ満腹状態で、、、今夜の夕食が入るところがあるか心配になってきました。

なかなか空腹を感じないのは、、、、、

    

これをこれだけやったから、、、、、と日記には書いておきます(笑)

タカ長もこの歳になってやっとビールの味を覚えました???

牛小屋谷

2018年05月23日 | 山歩きから
5月20日に砥石郷山に登りながら思ったことを書き綴っています。

紹介したように砥石郷山は広島県の最高峰、恐羅漢山の隣にある山です。

この砥石郷山だけではありませんが、恐羅漢山をめぐる一帯のやまは「芸北山群」と呼ばれ、広島の岳人のふるさと、ハイマートでした。

タカ長とて例外ではなく、恐羅漢山をめぐる山には何度も通ったものです。そのため恐羅漢山やそのふもとの古屋敷にはたくさんの思い出があります。

    

そのことを書き綴るのが今日のテーマではありませんが、、、、、

恐羅漢山をめぐる思い出を一つだけあげるとしたらやはり「三八(さんぱち)豪雪」のことになります。

昭和37年12月末から降り始めた雪は例年にない雪でした。その時もタカ長は正月休みを利用して古屋敷の民宿をベースにスキーを楽しんでいました。

古屋敷の滞在を終えて帰るとき、内黒峠の登り口で地元の古老から「この雪はいつもの雪と違うから気をつけて帰れよ」と声をかけられました。

その声は未だに耳の底に残っています。

結果的にみるとタカ長たちが内黒峠を越えたのは「ギリギリの脱出行」になりました。タカ長たちは降り続く雪の中を難儀しながら無事に下山しましたが、少し遅れた人は本当に難儀されたようです。内黒峠で遭難事故も発生しました。

そのようにして降り始めた雪は、横川谷では最大5.5mになったという記録もあります。

あの豪雪のあと挙家離村が一気にすすみました。タカ長たちが定宿としていたMさんも広島市内に出てゆかれ、思い出の民家は無人になりました。

その年の秋だったのか、次の年の秋だったのか忘れましたが、そのMさん宅を独り訪ねてみると、家の前には草が生えていました。

その日は風の強い日で、風が木々をゆすり、ススキを叩く音だけが集落に満ちていました。その音も今もって耳の底に残っています。

    

そのような鮮烈な思い出もありますが、多くの思い出は年とともに消えています。

牛小屋高原から牛小屋谷に向かうこの道などまったく覚えていません。

    

古屋敷から牛小屋谷を下りて田代に行き、そこから三段峡に行ったり、、、横川谷を下りて三段峡に行き、帰り道を牛小屋谷にしたり、、、、

そのようなことをしていたはずですが、そのあたりの記憶がほとんどなくなっています。

しかし、、、、、牛小屋谷は小さな谷で三段峡よりは好きだった記憶はあります。そして、、、、

    

新緑のころ歩くのが良かったという思いでもあります。

今では数少なくなった牛小屋谷の思い出ですが、、、、

    

田代から牛小屋谷に向かうときに右手に見る民家がだんだんと草に埋もれていく思い出は鮮烈です。

その思い出は三八豪雪の後のものですが、、、その最後の思い出は山友とその長男と3人で歩いた時のものです。

その時その長男は高校生でした。初めて連れ歩いた山がよほど気に入ったみたいで、しきりに感動していました。

その時もあの民家の前を通り、一緒に山を見上げました。

    

その時の山行きで山に目覚めた彼は大学進学と同時にワンダーフォーゲル部に入部し活躍したようです。

その彼は社会に出て家庭を持ちましたが、若くして病没してしまいました。

そのため彼とあの民家を見ることはできません。

その時以来初めて歩いた田代でしたが、その民家を見ることも、その場所を特定することもできませんでした。

あの民家は本当に草に埋もれてしまったのでしょうか?

    

お恥ずかしい写真を紹介しますが、、、、

加齢とともにバランス感覚が悪くなり、このようなところを歩くのがおっかなびっくりになりました。

若い時なら鼻歌気分で歩けた牛小屋谷ですが、いまはご覧の有様です。

ということは、、牛小屋谷もそろそろ見納め?

その前に今度は紅葉の牛小屋谷だけは見ておきたいのですが、、、、。