タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

聖山の思い出

2018年05月22日 | 山歩きから
5月22日は山予定があるので予約投稿しておきます。

昨日は砥石郷山の森のことを書きました。

それと似たようなことですが、、、、中身はまったくの逆の話題です。

    

砥石郷山の北に聖山というお椀を伏せたような形の山があります。

この山がかつては全山ススキの山であったことを知る人は広島でも少数派になっています。

昨日も紹介している「西中国山地」(桑原良敏著)には、、、、

山頂の展望はかつては360度であったが、近年低木が茂り始めたので悪くなる一方である。よく晴れた日には日本海に浮かぶ「高島」に打寄せる白波まで見える。樽床貯水池をへだてて眺めた刈尾山の山容も印象的である。

と書かれています。(刈尾山の刈は上に草冠が必要ですが、その字をパソコンで出すことが出来ませんでした)

この本が発行されたのは昭和57年12月ですが、この原稿がいつ書かれたものかは知り由もありません。

タカ長が足しげくこのあたりの山を歩いたのは昭和30年代半ばから40年代の初めです。そのころは360度の展望であったことは記憶にありますが、日本海の白波まで見た記憶はありません。

タカ長が好きだったのは山頂から西側のアカゴウ谷を俯瞰した風景です。県境との間の広い谷を見下ろしながら、どこか適当なところに小屋掛けして仙人みたいな生活をしてみたいと夢想したものです。

    

全山ススキだった聖山も今はこのように木が茂っています。と言ってこれを撮ったのは2006年10月のことです。

最近はもっと茂っているのかもわかりません。

一面ススキの山だった聖山がこのように変わっていった事情は承知していませんが、昔の聖山を知る者には、この森の風景は心の痛むような風景なのです。

そのため聖山に登る気になれなくて、2006年以来ご無沙汰が続いています。

    

ある年の5月、恐羅漢山のふもとの古屋敷の民宿を出発して、ナツヤケのキビレから砥石郷山を往復して中之甲に下り、十文字峠から樽床ダムまで歩き、そこからバスで戸河内の町に帰る計画で歩いていたら、反対方向から歩いてきた登山者が「樽床ダムからのバスは運休だ」と知らされました。

バスに乗れないと三段峡を歩いて、入り口の柴木まで行かないと帰れなくなります。そうすると、歩行距離は倍増以上、忙しい山歩きになりました。

昼食時間もろくに取れなくて、渓流の水を食器にすくい、お茶漬けならぬ水漬で流し込むようなありさまでした。

そのように忙しい山歩きでも、十文字峠から聖山の山頂を往復しました。それだけ魅力のある山頂だったのです。

          

2006年に行った時の記念写真です。山頂はご覧のような森の中です。これを見ると山頂からの展望が期待できないことはご理解いただけますね。

砥石郷山の森が成長するのは楽しみですが、聖山には森が似合いません。というのが昔の聖山を知る者ボヤキです。

しかし、いくらタカ長がボヤいても聖山のススキの風景は戻ってきません。

タカ長の記憶には逆光に光るススキの波がハッキリと残っているのですが、、、、、、。




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