心臓病を経験して自分の体と相談しながら山を歩く気持ちが以前より強くなったような気がします。
と言ってもその変化の幅は大きなものではないような、、、、、そんな気持ちです。
当たり前のことかも分かりませんが、若いころの登山には心身を鍛えるという側面もあり、、、
タカ長はタカ長なりにそのことを意識して、山のトレーニングなどしたものです。
たとえば、、、ボッカ訓練という名目で砂袋などザックに入れたり、、、、、
そのような登山ですが、そのころの登山そのものがタカ長にはきついもので、リーダーから「休憩」のひとことを今か今かと待ちながら歩いたものです。
休憩の声がかかり、重いザックを下ろしたら、体が急に軽くなって、チョットの風で飛ばされそうな、、、、、
あの時の感覚はいまも体のどこかに残っているような気がします。
そのころは黙々と登るだけ、、、、、おしゃべりなんてとんでもない、、、、、。
後年、いまのグループを立ち上げてからの登山はおしゃべり登山でした。
本当の意味の登山を志向していたわけではなく、健康のため、地域社会の交流を第一に考えての登山なのでおしゃべり禁止などしたことはありません。
そのころは先頭を歩きながら、後ろから聞こえる仲間のおしゃべりを聞いていました。
そのおしゃべりが聞こえなくなると、、、、、このペースは速いのかなぁ、、、、と思ってスピードを落としていました。
そのころの仲間と今の仲間、、、、その多くは入れ替わっていますが、、、、、
いまではタカ長のほうが足が遅くなった感じで、皆のあとをついて歩くことが多くなっています。
最初に書きましたように、心臓病を経験して自分の体と相談することが増えたような気がしています。
というか、、、、それまで以上にわがままをさせてもらって、、、自分なりの歩き方を貫くようにしています。
そのようなことを考えるのは、、、、、たとえば、、、このような本を読んだからです。
冒険家三浦雄一郎が80歳でエベレストに登頂されたことはご存知でしょうが、そのときチームドクターをされたのがこの大城和恵医師です。
「国際山岳医」という、タカ長にはなじみのない肩書をお持ちの大城医師のこの本には教えられることがありました。
そして、この本を通してあらためて教えられたのが三浦雄一郎、、、、、。
その縁でこの本を買い求めました。
富士山の直滑降やエベレストのサウスコルからのスキー滑降など、多くの人が知っている実績のある三浦さんですが、、、
60歳の定年のころには164センチの身長で体重85キロ、典型的なメタボ体型だったそうです。そのうえ不整脈が見つかり、、、、
体の状態から言えばゼロからではなく、マイナスからの出発があのエベレスト登山だったのです。
そのような三浦さんの経験はタカ長たちにも参考になります。教えられることも多々あります。
そのような勉強をしながら、自分なりに山とのつきあいを継続してゆくことをそれまで以上マジメに考えています。
その時のキーワードが「おしゃべり登山」だと考えています。
三浦雄一郎はマイナスからスタートしてエベレストに登りました。しかし、それは誰にでも出来ることではありません。
目指す山、目指すところは人それぞれでいいのです。
そこで思い出すのがこの本です。
何十年も前に読んだ本ですが、最後の一節は今も頭のどこかに残っています。
担架にゆられながら、ぼくは終わるを告げようとしている今回の冒険のこと、思いがけずに得られた勝利のことを、つくづく考える。人間にとって、理想というものは、達しようとして努めながらも、けっして達しえない目標であるということだ。しかし、隊員一同にとっては、アンナプルナは実現された理想である。(中略)
アンナプルナ、われわれがなにひとつ報酬がなくとも行ったであろうアンナプルナこそ、われわれの生涯の残りを生きる宝なのだ。この実現によって、一ページがめくられ、、、、新しい生活がはじまる。
人間の生活には、他のアンナプルナがある、、、、、、、
三浦雄一郎にとってのアンナプルナはエベレストでした。しかし、登山をする人にもしない人にも「アンナプルナ」はあるということです。
タカ長にとってのアンナプルナは伯耆大山でもいいし、、、場合によってはわが裏山でもいいのです。
高齢になったタカ長がそのアンナプルナに登るためには息せき切った登る登山はNGです。
そのようなことをしたら心臓がパンクします。だからおしゃべり登山、、、、、だと思うのです。
と言ってもその変化の幅は大きなものではないような、、、、、そんな気持ちです。
当たり前のことかも分かりませんが、若いころの登山には心身を鍛えるという側面もあり、、、
タカ長はタカ長なりにそのことを意識して、山のトレーニングなどしたものです。
たとえば、、、ボッカ訓練という名目で砂袋などザックに入れたり、、、、、
そのような登山ですが、そのころの登山そのものがタカ長にはきついもので、リーダーから「休憩」のひとことを今か今かと待ちながら歩いたものです。
休憩の声がかかり、重いザックを下ろしたら、体が急に軽くなって、チョットの風で飛ばされそうな、、、、、
あの時の感覚はいまも体のどこかに残っているような気がします。
そのころは黙々と登るだけ、、、、、おしゃべりなんてとんでもない、、、、、。
後年、いまのグループを立ち上げてからの登山はおしゃべり登山でした。
本当の意味の登山を志向していたわけではなく、健康のため、地域社会の交流を第一に考えての登山なのでおしゃべり禁止などしたことはありません。
そのころは先頭を歩きながら、後ろから聞こえる仲間のおしゃべりを聞いていました。
そのおしゃべりが聞こえなくなると、、、、、このペースは速いのかなぁ、、、、と思ってスピードを落としていました。
そのころの仲間と今の仲間、、、、その多くは入れ替わっていますが、、、、、
いまではタカ長のほうが足が遅くなった感じで、皆のあとをついて歩くことが多くなっています。
最初に書きましたように、心臓病を経験して自分の体と相談することが増えたような気がしています。
というか、、、、それまで以上にわがままをさせてもらって、、、自分なりの歩き方を貫くようにしています。
そのようなことを考えるのは、、、、、たとえば、、、このような本を読んだからです。
冒険家三浦雄一郎が80歳でエベレストに登頂されたことはご存知でしょうが、そのときチームドクターをされたのがこの大城和恵医師です。
「国際山岳医」という、タカ長にはなじみのない肩書をお持ちの大城医師のこの本には教えられることがありました。
そして、この本を通してあらためて教えられたのが三浦雄一郎、、、、、。
その縁でこの本を買い求めました。
富士山の直滑降やエベレストのサウスコルからのスキー滑降など、多くの人が知っている実績のある三浦さんですが、、、
60歳の定年のころには164センチの身長で体重85キロ、典型的なメタボ体型だったそうです。そのうえ不整脈が見つかり、、、、
体の状態から言えばゼロからではなく、マイナスからの出発があのエベレスト登山だったのです。
そのような三浦さんの経験はタカ長たちにも参考になります。教えられることも多々あります。
そのような勉強をしながら、自分なりに山とのつきあいを継続してゆくことをそれまで以上マジメに考えています。
その時のキーワードが「おしゃべり登山」だと考えています。
三浦雄一郎はマイナスからスタートしてエベレストに登りました。しかし、それは誰にでも出来ることではありません。
目指す山、目指すところは人それぞれでいいのです。
そこで思い出すのがこの本です。
何十年も前に読んだ本ですが、最後の一節は今も頭のどこかに残っています。
担架にゆられながら、ぼくは終わるを告げようとしている今回の冒険のこと、思いがけずに得られた勝利のことを、つくづく考える。人間にとって、理想というものは、達しようとして努めながらも、けっして達しえない目標であるということだ。しかし、隊員一同にとっては、アンナプルナは実現された理想である。(中略)
アンナプルナ、われわれがなにひとつ報酬がなくとも行ったであろうアンナプルナこそ、われわれの生涯の残りを生きる宝なのだ。この実現によって、一ページがめくられ、、、、新しい生活がはじまる。
人間の生活には、他のアンナプルナがある、、、、、、、
三浦雄一郎にとってのアンナプルナはエベレストでした。しかし、登山をする人にもしない人にも「アンナプルナ」はあるということです。
タカ長にとってのアンナプルナは伯耆大山でもいいし、、、場合によってはわが裏山でもいいのです。
高齢になったタカ長がそのアンナプルナに登るためには息せき切った登る登山はNGです。
そのようなことをしたら心臓がパンクします。だからおしゃべり登山、、、、、だと思うのです。