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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「沖縄の声裏切った」教科書審査改善案

2008-12-05 12:04:39 | 教科書

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意見原案を審査後公開/教科書検定で改善策/作業部会に文科省示す【12月04日】

審議会は非公開


 【東京】沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をめぐる教科書検定問題を受けて、検定手続き見直しを検討している教科書検定審議会の作業部会が四日午前、都内で開かれ、文部科学省から改善策素案が示された。審査過程の透明性向上に向けては、検定意見の原案として教科書調査官が作成する「調査意見書」や判定案を審査後に公開することを盛り込んだ。こうした資料公開は初めてとなる。

 検定審議会の各部会や小委員会についても開催日、出席委員、付議事項、決定事項、審議内容をまとめた議事概要を審査終了後に公表するとした。しかし、委員個々の意見のやりとりは記載しないとし、会議自体の公開も見送った。

 申請図書の情報が流出するなど審議に支障があるとされた場合には、審議を一時停止できる措置をより明確化。訂正申請の内容が申請者以外に知られることがないよう適切な情報管理を行うことを規定上はっきりさせる。

 学説が複数ある記述など、審議する上で特に慎重な判断を要する場合は、専門委員の任命や外部専門家の意見聴取を行うとした。

 教科書調査官については、これまで審査要綱に書かれていた具体的な役割や職務内容を教科書検定規則に明文化する。検定の信頼性を一層高めるため、調査官の氏名や職歴を公表するとともに、一九六九年に作られた選考基準も、幅広く適材を確保するため必要な見直しを行う。

 検定意見の伝達については、「丁寧に伝達されるよう運用改善を図る」と
して、事前に教科書会社に資料を手渡し、会社側が問い合わせる時間的余裕を確保する。趣旨や理由が正確に伝わるよう分かりやすい記述に努める。

 教科書検定では、二〇〇六年度検定で「集団自決」をめぐる高校日本史教科書に旧日本軍の「強制」の文言削除を求める検定意見が付き、その根拠や経緯が不透明と指摘された。これを受け、渡海紀三朗文部科学相(当時)が「透明化向上や専門的見地から検定の在り方を議論してもらいたい」と改善策を検討するよう検定審議会に求めていた。 
                                         

                     ◇

上記引用記事は沖縄タイムスの4日の夕刊だが、今朝の朝刊は同じ記事を社会面トップで取り上げ「ニュース近景遠景」と図解入りの特集で報じている。

検定透明化 程遠  教科書審査改善案

<文科省「全公開は無理」執筆者「密室変わらず」>

途中の情報規制は強化

 

「沖縄の声 再び裏切った」  

県内関係者が批判

★【追記】12:02

沖縄タイムス朝刊の記事がアップされたので引用します。

検定透明化 程遠く/教科書審査改善案/途中の情報規制は強化【12月05日】

文科省「全公開は無理」 執筆者「密室変わらず」/[ニュース近景遠景]


 沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」の教科書記述をめぐる検定手続きが問題化したことを受け、文部科学省が四日に示した改善案は、教科書検定審議会作業部会で了承された。ただ、「ブラックボックス」と言われた審査の透明性向上を目指し出発した議論は「議事概要を事後公開」にとどまった。見直し策の限界を示唆し、幕引きを強調する文科省。一方、教科書執筆者からは、検定の密室性が温存されたことに「(密室検定の)本質は変わらない」と批判している。

 「静かな審議環境と透明性向上という相反する二つが両立するには、これが着地点じゃないですか

 文科省幹部は、作業部会を終えてつぶやいた。日本軍の「強制」を削除する検定意見が付された一連の審査過程に対する不信感に押される形で始まった見直しは、審議の全面公開には至らなかった。

 「すべてをオープンにするのは無理。教科書の合否を決める行政処分ができなくなる。(この改善案でも)透明性は十分担保される」と同幹部は力説した。

 同日の作業部会では文科省の姿勢に注文も付いた。ある委員は「事後公開が問題解決ではない。究極の目標は教科書の信頼を高めること。なぜ改善するのか説明しないといけない」と指摘した。

 「多少従来より公開性を高めるような体裁を取っているが、結局本質的には変わらない」

 教科書執筆者の石山久男さんは改善案に手厳しい。部会や小委員会の事後公開は昨年の日本史小委の報告と変わらず、検定審本体の公開には一切触れられていないからだ。

 中でも問題視しているのは「審査過程の情報管理」を一つの柱に据えている点。検定の途中で審査内容が申請者以外に漏れた場合、審議停止できることが前面に押し出された。教科書会社にとって、審議が止まることは支障となり、出版できない最悪の事態も想定される。

 文科省幹部は「どういう経緯であれ、情報が出たら何らかの措置を取らないといけない。静かな環境ではなくなるわけだから」と今回の見直し作業で、情報規制が重点の一つだったことを認めた。

 石山さんは「今まで以上に守秘義務が厳しくなっている。公開性にさほど
の変化がないにもかかわらず、規制を強化するのは筋違いだ」と異議を唱えた。(東京支社・西江昭吾)

                   ◇

沖縄タイムスの怒りがにじみ出るような見出しが踊っているが、「議事概況を事後公開」、つまり

開催日、出席委員、付議事項、決定事項、審議内容を公開すると言うのだから、

とりあえず「透明化」にとっては大きな前進ではないか。

このタイムス記事では、「文科省vs教科書側」の対立構図であるかのような印象操作をしているが。

実は、教科書側は既に「会社側」と「執筆者側」の二つに分裂している。

タイムスは、「審議過程の非公開」は文科省の一方的な決定であるかのように報じているが、

文科省は6月16日、原則非公開としている検定審議の在り方について、関係4団体から意見聴取している。

その際、教科書会社でつくる教科書協会は、

「審議過程での公開は避け、検定決定後に行われるべきだ

とし、現状通り非公開で審議し、決定後に議事録を公開するよう求めている。

さらに教科書協会は、

執筆者を含め、検定にかかわるものは守秘義務を果たすべきだ」とし、

従来の検定審委員や教科書会社だけでなく執筆者にも守秘義務を課すことを求めていた。

その結果が、今回の次の決定である。

「申請図書の情報が流出するなど審議に支障があるとされた場合には、審議を一時停止できる措置をより明確化。訂正申請の内容が申請者以外に知られることがないよう適切な情報管理を行うことを規定上はっきりさせる。」

この執筆者にも守秘義務を課した部分がタイムスにはお気に召さないのだ。

>訂正申請の内容が申請者以外に知られることがないよう適切な情報管理を行うことを規定上はっきりさせる。

従来教科書の内容が、出版される前から原稿本が流出してプロ市民の特定教科書反対運動に利用されてきた経緯を睨んでの今回の決定であり、極めて順当な決定だ。

つまり審議過程で情報が流出するのを危惧した教科書協会の意見を取り入れた経緯を、

タイムスは故意に隠蔽しあたかも文科省の独断であるかのような印象操作である。

もう一つタイムスの怒りが収まらないのは、審議過程の明確化の当否はともかく、「教科書検定意見の撤回」という「県民の声」は、依然として無視されていると言うこと。

>教科書検定では、二〇〇六年度検定で「集団自決」をめぐる高校日本史教科書に旧日本軍の「強制」の文言削除を求める検定意見が付き、・・・・

そう、昨年の9月29日、沖縄タイムス、琉球新報が扇動した「11万人」集会(「教科書検定意見撤回を要請する県民大会」)の目的は、一年以上経過した今でも未だ実現していないのだ。

つまり検定意見は撤回されていない!

タイムスが怒り狂うのもワカル、ワカル。

 

「県民の声再び裏切った」 (朝刊見出し)

沖縄タイムスさん、カッコ付きとはいえ「県民の声」を安易に使って欲しくない。 

タイムスが目論む教科書歪曲は決して「県民の声」ではないはずだ。

「県内関係者が批判」 (朝刊見出し)

なるほど、この場合通常だったらタイムスは「県内の識者が批判」としていたはずだが、再三当日記が批判してきた記事を見たのだろうか。

確かにタイムスがいう「県内関係者」と言えば「集団自決訴訟」の被告側応援団になるので、朝刊記事の談話に、山口剛史・琉球大学准教授や「9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員会の玉寄哲永副委員長の名前が出ても納得だが。

彼等を「識者」はいけませんよ。

 

沖縄タイムスが常用する「識者詐欺」「学識者詐欺」については次のエントリーに詳しい。

沖縄タイムスの卑劣な印象操作! 沖国大生「集団自決」を演劇に

学あるバカは恐ろしい!

 

検定透明化 教科書協が非公開要請 2008年6月17日琉球新報

教科書会社でつくる教科書協会は「審議過程での公開は避け、検定決定後に行われるべきだ」とし、現状通り非公開で審議し、決定後に議事録を公開するよう求めた。さらに「執筆者を含め、検定にかかわるものは守秘義務を果たすべきだ」とし、従来の検定審委員や教科書会社だけでなく執筆者にも守秘義務を課すことを求めた

 

ちなみに教科書協会が、審議過程の非公開や守秘義務を求める理由について、

「平穏な環境を保持し、予断や憶測などの流布を防止し、公正中立な審議が確保されなければならない」と指摘している。

「平穏な環境」とか「予断や憶測の流布」というと分かり難いが、審議過程の情報が外部に漏れて、

「プロ市民」や核○派の抗議団が審議会になだれ込んで「平穏な環境」が乱れたり、

歴史観の違う国に情報が流れ不要な「予断や憶測」が流れるのは良くないということ。

以下は歴史観の違う国の「予断と憶測」の例。

自国の歴史教科書について他国にいちゃもんつけられたくはないものだ。

つくる会」教科書、韓国の歴史認識と大幅な隔たり  (朝鮮日報 05.3.11)

 
 
 日本の「新しい歴史教科書をつくる会」が作った扶桑社の歴史教科書05年改訂版は、従軍慰安婦や日本の動員に反発した朝鮮人・中国人に対して徹底して内容から排除する一方、太平洋戦争による日本の犠牲は強調するなど、日本を加害国ではなく、被害国と描写し、4年前の01年版より一層歪曲されていることが分かった。。 11日、内容が公開されたこの教科書は、韓国の近代化を日本が支援したという記述が強調され、露日戦争、満州事変をロシア、中国の挑発から日本を保護するため、避けられなかったことと説明していることが明らかになった。 韓国挺身隊研究所、経済正義実践市民連合、興士団など、80余りの市民団体からなる「アジア平和と歴史教育連帯(教科書運動本部)」は同日記者会見をし、昨年4月、文部科学省に提出された扶桑社の歴史教科書検定申請本の内容を公開した。教科書運動本部は最近、この検定申請本を入手し、関連学者とともに、具体的な内容の深層分析を進めてきた。(略)
 
 
沖縄紙が「集団自決訴訟」の裁判官向けのプレッシャーとして、安易に「沖縄県民の声」を多用するのはヤメロ!

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崩れた一枚岩 教科書審議会の透明化で

2008-06-18 08:10:05 | 教科書

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昨年来、沖縄を揺るがしている教科書問題が集団自決問題と表裏一体をなしていることは周知の事実。

歴史教科書の集団自決に関する記述問題が「9・29 “11万人”集会」にまで発展して政府当局に大きな圧力となったことは記憶に新しい。

「集団自決」教科書検定検定透明化 教科書協が非公開要請
2008年6月17日
 
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-133206-storytopic-62.html

【東京】教科書検定手続きの透明化を検討している教科書検定審議会の作業部会は16日、原則非公開としている検定審議の在り方について、関係4団体から意見聴取した。教科書会社でつくる教科書協会は「審議過程での公開は避け、検定決定後に行われるべきだ」とし、現状通り非公開で審議し、決定後に議事録を公開するよう求めた。さらに「執筆者を含め、検定にかかわるものは守秘義務を果たすべきだ」とし、従来の検定審委員や教科書会社だけでなく執筆者にも守秘義務を課すことを求めた。同内容を文書でも提出した。
 教科書協会が審議の非公開や執筆者への守秘義務を求めたことに対し
、執筆者や県内の市民団体からは透明化に逆行し、審議の密室性を高めると反発の声が広がっている。
 作業部会は7月3、4の両日、聴取した意見に基づき、
審議の透明化などの課題について対応策をまとめる作業に入る。
 非公開や守秘義務を求める理由について、教科書協会は
「平穏な環境を保持し、予断や憶測などの流布を防止し、公正中立な審議が確保されなければならない」と指摘。検定終了後の議事録公開で「透明性の一層の向上を図る」と説明している。
 教科書協会によると、今回の意見は加盟44社中、27社の担当でつくる検定専門委員(29人)の正副委員長5人で素案を作成。協会の正副会長らの了承を得てまとめたが、委員会自体は開かず広く意見は聴取しなかった。素案作成者には高校日本史教科書を発行している3人を含む。
 教科書検定審については渡海紀三朗文部科学相が2月の閣議後会見で「教科書検定制度の透明性の向上や専門的見地からの検定の在り方を議論してもらいたい」と述べ、改善策を検討する意向を示していた

                     ◇

「“11万人”集会」を主導した勢力は、係争中の集団自決訴訟の被告側支援団体であり、一枚岩の団結を誇っていた。

教科書問題では、教科書検定審議会の密室性が指摘され、議論を公開することによる透明化を「被告側=教科書業界」は文科省に訴えていたはずだ。

繰り返し上京して要請行動に出る「被告側」に文科省が根負けしたのか、公開を前提に透明化を検討し始めた。

ところが、一番喜ぶはずだった教科書協会が「審議過程での公開は避け、検定決定後に行われるべきだ」とおかしなことを言い出した。


 

教科書の執筆者は左翼と組んで騒ぎを起こし、新聞等に頻繁に露出してその名を売れば、

高嶋某教授のように高校教師から、一夜にして、どこかの大学が拾ってくれる例が多い。

今回の教科書騒動でも沖縄の某大学からお声がかかっている執筆者もいると聞く。

また沖縄の某J史研究家も、某国立大学に沖縄戦史の博士論文を提出中と聞く。

沖縄で「識者」として出世するには、まず「沖縄タイムス史観」で理論武装するのが先決というのだから、いやはや困ったものだ。

 

当然、沖縄県内各団体と教科書執筆者は一枚岩で、揃って教科書協会の「裏切り行為」には不満を漏らしている。

集団自決訴訟の控訴審を一週間後に控え、一枚岩を誇った「被告支援団体=教科書業界」に分裂の兆しが見え始めたのか。

そして、これは、沖縄側と本土側(教科書協会)との分裂なのか。

ちなみに、今朝の琉球新報・社説はこの問題で、あくまでも県内各団体・執筆者の「審議会を公開により透明化すべし」の立場を取り、

教科書協会側の「従来どおり非公開で、検定後公開」という主張を批判している。

社説:
<教科書検定> 審議公開で透明化促進を

教科書協会が主張する「平穏な環境を保持し、予断や憶測などの流布を防止し、公正中立な審議が確保されなければならない」

とする指摘に対して、

琉球新報は「果たしてどれだけの県民・国民がその説明に納得できるであろうか」と手厳しく批判している。

それにしても、あれほど審議会の透明化を求めていた教科書業界の一角が「逆行」をし始めた理由は一体何なのか。

公開で専門家が討論するのに何の不都合があるのか。

昨年の3月、教科書検定意見で、集団自決に関して「軍の命令や強制があった」とする記述は出来ないとの報道があった時、

「教科書関係者は皆この事実を知っていたので、今回の検定意見は“渡りに舟”だろう」と語ったある学者のコメントを想いだす。

 

【追記】琉球新報・社説

「集団自決」教科書検定検定透明化 教科書協が非公開要請
2008年6月17日

教科書検定 審議公開で透明化促進を2008年6月18日 教科書の中身を、密室で協議する理由が分からない。しかも、渡海紀三朗文部科学相が「透明性の向上」を打ち出したのに、教科書協会が16日に出した検討結果は、教科書検定審議の「非公開」である。国民の要請や流れに逆行している。
 沖縄戦での「集団自決」をめぐる高校歴史教科書検定問題で、県民は辛酸をなめさせられた。
 渡嘉敷島での集団自決問題では、軍命の有無をめぐる裁判(岩波裁判)で、軍命の存在が認められた。
 それにもかかわらず、検定意見で削除された「軍命」の文言復活は、いまだあいまいなままだ。
 一度削除されたものを復活させるために、沖縄県民は11万人余(主催者発表)の総決起大会を開き、検定意見の撤回を求めた。
 それでも、文科省は頑として撤回に応じない。
 県民の怒りの大きさに、渡海文科相も応えたのであろう。教科書検定審議会を含む「教科書検定制度の透明性の向上や専門的見地からの検定の在り方を議論してもらいたい」と、改善策の検討を促していた。
 ところが、16日に行われた教科書検定審議会作業部会による関係4団体からの意見聴取に対し、教科書会社でつくる教科書協会は「審議過程での公開は避け、検定決定後に行われるべきだ」と、これまで通り審議会の非公開審議を求めている。
 それどころか「執筆者を含め、検定にかかわるものは守秘義務を果たすべきだ」として、検定審委員や教科書会社にとどまらず執筆者にも守秘義務を課すよう求めている。
 非公開や守秘義務を課す理由として教科書協会は「平穏な環境を保持し、予断や憶測などの流布を防止し、公正中立な審議が確保されなければならない」と説明している。
 果たしてどれだけの県民、国民がその説明に納得するであろうか。
 しかも、教科書協会は非公開、守秘義務という密室審議を求める重大な判断を、委員会も開かず、協会全体の意見聴取もなく、ごく限られたメンバーで行っている。
 教科書協会自体の閉鎖性、密室協議にも疑問を抱かざるをえない。
 次世代の教育の要となる教科書の中身である。広く審議を公開し、国民全体が納得のいく教科書を作り上げることが大事だ。
 密室審議は、政治の介入を許し、歴史の改ざんすら起こしかねないことは、今回の沖縄戦「集団自決」をめぐる検定問題で、すでにはっきりしている。
 光の届かない暗闇や建物の陰でいじめや犯罪は多発する。審議の国民への公開は、不正や改ざん防止の基本である。

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文科副大臣「いい加減にしろ」か 検定意見撤回実行委の要請を拒

2008-04-18 06:43:54 | 教科書

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文科副大臣 検定意見撤回に難色(2008.4.16) カメラ 池坊保子文科副大臣(左から2人目)に要請書を手渡す仲里利信実行委員長(中央)=16日午前、文科省

 【東京】岩波・大江「集団自決」(強制集団死)訴訟で大阪地裁が元戦隊長らの訴えを棄却したことを受け、「9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員会の仲里利信実行委員長(県議会議長)ら6人は16日午前、文部科学省に池坊保子副大臣を訪ね、検定意見の撤回と「集団自決」の記述に「日本軍による強制」の文言を復活させることをあらためて求めた。
仲里委員長らによると、池坊副大臣は「(県民の思いは)痛いほど分かる」としながらも「司法の判断と行政の立場は違う」と強調。2007年末に文科相が承認した訂正申請について「進展した内容だった」とし、検定意見撤回や記述回復には難色を示したという。
 委員からの「司法の判断を考慮しないのか」との問いには「最終的な判断が出ていない。現段階で、私の口から何も言えない」と述べるにとどめ、具体的な言及を避けたという。要請後、池坊副大臣は「司法の判断に左右されていいか疑問がある。教育は中立でないとならない」と述べた。
 仲里委員長は要請文を読み上げ、「大阪地裁の判決は政府の対応に対して司法の立場から是正を求め、沖縄戦の体験者による体験談を唯一の真実として認めるべきであることを強く内外に示した」と強調した。
 玉寄哲永実行副委員長(県子ども会育成連絡協議会会長)は「これだけ多くの証言があり、これ以上の証拠はない。これまでの裁判の内容で判断し検定意見を撤回してほしい」と述べた。
 要請にはこのほか、小渡ハル子実行副委員長(県婦人連合会会長)、伊波常洋(県議・自民)、平良長政(同・護憲ネットワーク)の両幹事らが同席。
 文科省要請前に、内閣府を訪れ、東良信審議官にも同様に要請した。仲里委員長によると、東審議官は「(岸田文雄沖縄担当)大臣に伝えたい。客観的に見て(政府も)努力すべきことは努力すべきだと思う。頑張ってほしい」と述べた。

                                              ◇

やれやれ、わずか3ヶ月前に、同じメンバーで同じことを要請され池坊副大臣。 

その時の副大臣のドレスの色が紫で無かっただけが唯一の違いだったとか。

 

文科副大臣「120点」 検定意見撤回実行委の要請を拒否 カメラ  (1/16 9:56) 池坊保子文科副大臣(右から3人目)に、検定意見撤回と日本軍強制の明記を求める仲里利信県民大会実行委員長(同2人目)ら=15日午後、文部科学省

勿論、同じ抗議メンバーとはお馴染みの三人組。

そうです、「毒おにぎり」の仲里利信実行委員長、

「おじや強奪」の玉寄哲永副委員長、

「メチル禍」の小渡ハル子副委員長の三人組です。↓

「毒おにぎり」・「おじや強奪」・「メチル禍」 三人組の悲惨な体験

写真を比べてみると小渡おばぁ、相変わらず化粧も濃いがドレスもハデハデでお元気なこと。

 

独断で検定意見を撤回できるわけも無いのを承知の上ででの抗議団のパフォーマンス。

同じメンバーの同じ要求に、池坊副大臣も内心は

「いい加減にしろ!」と言いたかったと思うが、

実は三ヶ月前にもその気配が見えていた。

以下は過去エントリー「集団自決:資料に「村役場の独断」 120点!池坊副大臣が評価」よりの抜粋です。

それよりも関連記事の仲里実行委員長等の上京要請団に関する見出しが笑わせてくれた。

<「集団自決」訂正承認>

文科副大臣「120点」

検定意見 撤回  実行委要請を拒否

これは仲里委員長が、当初文科省の「決定」に一応の評価をして「80点」としていながら、

委員長の座を逃げ損なってしぶしぶ「70-60点」と評価を変えた事実を知った上での、

池坊副大臣の強烈な皮肉と受け取った。

池坊副大臣、GJ!

県知事も文科省決定を評価して早々に「運動」から退散し、委員長も当初「80点」と評価していた。↓

実行委きょう要請行動 教科書検定意見撤回  (1/15 9:42)

 <渡海文科相の「訂正申請」承認を当初「80点」と評価していた仲里委員長は「当初は、今後記述が変わることのないよう文章による談話がもらえると考えていた。結果的には80点どころか6、70点」と厳しい見方を示し、「再度要請し(検定意見が)撤回されるまで頑張る」と意気込みを語った。>

県知事も仲里議長も評価した「大甘の決定」に、再度不満を表し性懲りもなく雁首を揃えて4回目の要請に現れた要請団。

池坊副大臣も腹の中では、

いい加減にしろ!

と言いたかったのだろう。

【引用終了】

                        ◇

■敗訴を想定していた被告側■

要請団50人が上京/地位協定の抜本改正求め

今回の要請団は一応「米軍の・・・県民大会」の決議文の要請だが、メンバーは「教科書・・・県民大会」とそっくり同じ。

彼らが抗議・要請のために上京するたび行うパフォーマンスは逐一マスコミが報じる。

とにかく上京したついでにいつもの場所に顔を出しておけば同行のマスコミが報道してくれるから「集団自決裁判」の場外乱闘に大いに貢献したことになる。

そもそも「集団自決裁判」は大阪地裁の判決が下る前までは岩波側も敗訴を想定したと正直に告白していた。

「新証言がなければ勝てなかった」 岩波側の本音

場外乱闘は重要戦術■

被告側は法廷内というリング上の勝負を諦め、場外乱闘に持ち込むことは重要な法廷戦術と考えていた。

そのためにはマスコミを総動員して原告は「沖縄島ぐるみ」を敵にしたという印象操作をする必要があった。

その意味で「集団自決」とは関係ない「スパイ容疑による処刑」を場外乱闘の一つとして「論点」として巻き込んだ。

現在の常識で言えば、例えいかなる理由があっても、友軍が住民を処刑するということは「県民感情」を著しく逆なでする。

捕虜にした民間人を降伏の使者にすることが「ハーグ条約」の戦時規定に触れるとか、実際にスパイ行為をした住民がいたかどうかはここではさて置く。

ことの当否はともかく「集団自決問題」に「スパイ処刑問題」を持ち込むことは明らかな被告側の場外乱闘の高等戦術である。

「集団自決」と「スパイ処刑」は似て非なるものではあっても、「スパイ処刑」をリング内に持ち込むこと自体が「島ぐるみを敵にする」という場外乱闘になるから。

その意味で琉球新報4月15日付け、目取真俊氏の「大江・岩波裁判を傍聴して」は終始「スパイ処刑」を強調し、県民感情を逆なでして場外乱闘に貢献していた。

さわりの部分を一部抜粋しておこう。

渡嘉敷島では、「集団自決」だけでなく、赤松隊によって十数名の住民が虐殺される事件も起こっている。 本人の証言によるとC少尉も赤松隊長の口頭による命令を受け、住民を自らの手で殺害している。 
伊江島の女性が首を切られ埋められていたが、(傷が(浅かったのか)生き返って逃げようとした。 それで、自分がピストルで射殺した、という。>(
琉球新報4月15日、「大江・岩波裁判を傍聴して」目取真俊)

これは意識的な場外乱で「原告の元軍人は沖縄県民全体を敵に廻した」という印象を造成する高等戦術である。

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もう一つの県民大会で  900人を3500人に数字捏造

2008-01-29 13:06:23 | 教科書

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沖縄タイムス 2008年1月29日(火) 朝刊 25面   
 
「超党派維持」訴え/文科省対応に抗議

 沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をめぐる教科書検定問題で「6・9沖縄戦の歴史歪曲を許さない!県民大会」実行委員会は二十八日、「集団自決」への日本軍の強制を明示する教科書記述を認めなかった文部科学省の訂正申請への対応に抗議する集会を、那覇市の教育福祉会館で開き、約百五十人が参加した。
 集会では琉球大の高嶋伸欣教授が、訂正申請で文科省から四回の書き直しを命じられた教科書会社があったことを紹介、「あいまいな規則を文科省が意図的に運用している。教科書検定制度を大きく改善させなければならない」と話した。

 同大の山口剛史准教授は「集団自決」への軍強制を認めない教科書検定意見が残された影響で「訂正申請後の記述でも、軍強制と『集団自決』の関係があやふやにされた」ことを説明し、「四月からは新学習指導要領で愛国心教育が始まり、教科書への悪影響や攻撃が続く」と懸念を示した。

 会場からは、自民党県連が、九月二十九日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員会に解散を求める方針を決めたことを疑問視する声が相次ぎ、「県民は『沖縄戦の真実を教科書に』という一致点のもと、超党派でのとりくみをすすめよう」との集会アピールが採択された。

 集会に参加した青春を語る会の中山きく代表(白梅同窓会長)は「沖縄戦を体験した者として、軍命がなかったとは言わせない。今後も同じ県民として超党派の立場で運動できるよう頑張りたい」と訴えた。

                                             ◇

ひところに比べておとなしくなったかと思っていたら、立春もまじかで春遠からじと思ったのか、またぞろ左翼集団が啓蟄を待たずに蠢動を始めた。

>「6・9沖縄戦の歴史歪曲を許さない!県民大会」実行委員会?

え? 「県民大会」といえば「11万人」の捏造で政府を脅した「9・29県民大会」ではなかったのか。

事情を知らない人は沖縄タイムスの誤植と勘違いしたかも知れないが、沖縄タイムスは意図的誤報はあっても誤植はめったにない。

実は同じ目的の「県民大会」去年二度開催されていたのだ。

琉球大の高嶋伸欣教授を中心にした沖縄教職員組合を実行委員にして6月9日、那覇の県民広場で「6・9沖縄戦の歴史歪曲を許さない!県民大会」が開催されたが、左翼教師集団以外の県民にはそっぽを向かれ動員人数は約900人で(世界日報敷田記者が確認)、9月29日の「11万人」と比べてあまりにも県民は無関心だった。

それでも共同配信は1000人と報じたが沖縄タイムスと琉球新報は3500人と5倍も誇大に報道した。

歴史歪曲 3500人抗議/63団体が県民大会(沖縄タイムス1面)

 実数を5倍に捏造する「県民大会実行委員」の癖はこの頃から芽生えていたようだ。

>自民党県連が、九月二十九日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員会に解散を求める方針を決めたことを疑問視する声が相次ぎ、「県民は『沖縄戦の真実を教科書に』という一致点のもと、超党派でのとりくみをすすめよう」との集会アピールが採択された。

元々自民党は共闘には躊躇していたし「一定成果」でやっと左翼運動に訣別できると思っているので左翼運動を継続するはずはないだろう。

「記述修正に一定成果」/自民「検定撤回」実行委解散提起(総合2面) 

「6・9県民大会」実行委員会が蠢動しているのは開店休業状態の「9・29県民大会」実行委員会を再活動させようという意図だろう。

だが、県知事が抜け、自民党会派や県選出自民党国会議員が抜け、そして実行委員長の仲里議長が抜けたくて浮き足立って居るのでは解散するのが自然の流れだろう。

「6・9県民大会」については以下のエントリで触れています。

三ヶ月ごとの「県民大会」は多すぎるでしょう

                     ◇

「11万人」集会が物理的に不可能だと分かった現在でも、沖縄では「11万人」が「主催者発表」の但し書き抜きで堂々と紙面に踊っている。

以下は今夜も、さ~ふ~ふ~さんの引用です。

「すべて軍命令」  2008/01/27 15:39

今日の沖縄タイムスのオピニオン面です。
投稿者がどんな意見を持っていてもいいんですけどね、
「戦隊長命令の有無にかかわらず、(略)、戦場の行為はすべて軍の命令になる」って、意味をなしません。
これじゃあ、兵士が個人的に犯した犯罪も軍命になっちゃいます。
こういう投稿を掲載する以上、面担デスクは、プロの仕事として、
投稿者と相談してわかりやすく書き直ししなくちゃダメだと思いますよ。
たとえば、「戦隊長の監督責任が問われる」とするとかね。

                    *

現在進行中のニセモノです  2008/01/28 08:40

本日の沖縄タイムスのオピニオン面。
もう断定されてます。
10年後には歴史的事実になっていることでしょう。
「メーカー希望小売価格」みたいなものなのにね。


 

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教科書問題・分裂した実行委員会

2008-01-20 10:20:38 | 教科書

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沖縄タイムス 2008年1月20日(日) 朝刊 2面   
 
「記述修正に一定成果」/自民「検定撤回」実行委解散提起

 沖縄戦「集団自決(強制集団死)」に関する教科書検定問題で、自民党県連(外間盛善会長代行)は十八日、教科書検定意見撤回を求める県民大会実行委員会(委員長・仲里利信県議会議長)に解散を提起する方針を決めた。「記述が修正されて一定の成果を得た。実行委の役割は終え、活動に区切りをつけるべきだ」というのがその理由。同党県連の国会議員や県議は、記述の訂正を事実上の検定意見撤回だと受け止め、県民大会の目的はほぼ実現した―との認識だ。存続を求める実行委は強く反発しているが、同県連が幕引きの意向を明確にしたことで、教科書検定をめぐる超党派の活動は極めて困難な状況に追い込まれた。(政経部・与那原良彦)
 十八日の議員総会では「自民党も一丸となった要請で記述が訂正され、検定意見は事実上撤回された」「実行委は県民大会開催とその後の要請行動が目的だ。県民大会で求めたことは一定の成果を得た」などの意見が相次いだ。実行委の役割は終わっており、活動に区切りをつけるべきだという見解でまとまった。

 実行委幹事の伊波常洋政調会長は「訂正を拒んでいた文部科学省が訂正に応じ、制度の中でギリギリまで踏み込んだ対応をした。軍が主語になり、関与を認めた。事実上の検定撤回だ」と指摘。沖縄条項の設置などは県民大会決議を超えた要請だとして、「仕切り直して、今後の問題についてはあらためて、組織的対応を検討すべきだ」と述べた。

 議員総会では、「自民党が主導して解散を求めれば、『実行委つぶし』と批判されかねない」という慎重意見もあった。しかし、県議の間には「超党派要請だが、結局は政府与党への批判を招き、野党が得をするだけだ」と不満が渦巻く

 六月に県議選を控え、衆院の解散・総選挙がいつあっても不思議ではない状況だけに、選挙戦への影響を懸念。事態の早期収拾が必要だという判断も働いた。

 また、一部の実行委員が、要請行動への協力に慎重になった自民党の県選出・出身国会議員を批判したことも、県連の態度を硬化させる要因になっている。

 自民党県連と実行委の方針の対立につながった根本にあるのは、記述の訂正に関する評価の違いだ。

 次回の実行委は二十三日にも開かれる予定だ。県民大会で結集した県民の思いは何か、原点に立ち返った議論が求められる。

                                               ◇

文科省の決定を受けて仲井真県知事が真っ先に「当初の目的は達成した」として「検定意見撤回」運動からの知事自身の撤退を宣言した。

仲井真知事「まずまずの配慮」 教科書「集団自決」記述  (12/27 )

>同党県連の国会議員や県議は、記述の訂正を事実上の検定意見撤回だと受け止め、県民大会の目的はほぼ実現した―との認識だ。

更に県選出の自民党議員団の「五ノ日の会」も運動からの撤退を表明した。⇒「集団自決」修正/五ノ日の会、要請不参加

>自民党県連(外間盛善会長代行)は十八日、教科書検定意見撤回を求める県民大会実行委員会(委員長・仲里利信県議会議長)に解散を提起する方針を決めた。

沖縄の自民党県議団も去年一年は野党と共闘を計り、保守支持層から顰蹙を買っていたが、今年は軌道修正を図ったのだろう。

遅きに失した感もあるが。

同じ自民党県議でも実行委幹事の伊波常洋政調会長は、撤退を主張しながら、沖縄条項の設置などは県民大会決議を超えた要請だとしている。

沖縄条項は自民党は組していないと言うアリバイ作りをしておいたのはわかる。

■実行委員会が分裂!■

ここで整理をすると撤退の意思表示をしたのは

①沖縄県知事ー仲井真弘多

②県選出自民党国会議員の会「五ノ会」(会長ー仲村正治) 

③自民党県連(外間盛善会長代行)

実行委員会の仲里委員長が「検定意見撤回」の再要請のため渡海文科大臣との面談の仲介を②の「五ノ会」(会長ー仲村正治)の依頼したところ、「民意配慮」のお礼のための面会かと思ったら抗議の為の面会だと知って憤慨したという。

話を聞いた大臣が「文科相「初めと話が違う」/実行委反応に不快感」というのも理解できる。

仲里議長のことをKYとは言わない?

ところでこのお方はどうなったのか。

そう、あの「毒おにぎり」で有名な仲里県議会議長も県知事と共に当初は運動の撤退を計っていた。

だが、運動の実行委員長という立場上、又「毒おにぎり」証言をした人物の撤退は、知事のように簡単にはいかなかった。

「残虐な日本軍」を証言した「運動」のシンボル的人物の撤退は、今後の運動に大きなダメージを与えると言う猛反対にあい、結局は逃げ損なってしまった。

「教科書検定意見撤回」運動は超党派を旗印に、沖縄の自民党も巻き込んだマスコミは「島ぐるみ」といった表現を大っぴらに書いてきた。

ここに来て教科書をめぐる超党派の活動は極めて困難な状況に追い込まれた。

と言うより「教科書検定意見撤回」運動も既に分裂、そして事実上の解散となった。

■選挙対策に苦慮の自民党県連■

保守系の仲井真知事、県選出自民党国会議員、自民党県連とこれまで超党派を支えて来た保守政治家が揃って「運動」離脱声明を出して、気になるのは、「六月の県議選、更には来るべき衆院の解散・総選挙への影響」である。

沖縄のマスコミは当然「実行委員会」の存続を主張しているし、沖縄の保守政党が懸念するのは、選挙戦へのマスコミによる反対運動だ。

県議会の「教科書検定意見撤回決議」の全会一致の採択も当初は自民当会派は反対していたが、マスコミの圧力に負けた経緯がある。⇒(自民党の見識、 結論先送り/「集団自決」意見書

■自民党県連の進むべき道■

昨年の自民党県連は、マスコミの異常な扇動の前に屈したが、これ以上保守本道の道を踏み違えてはならない。

野党と共闘といった保守にあるまじき行動でマスコミに媚び続けている限り、野党は勿論肝心の保守支持層にも見放されることを忘れてはならない。

今回の一連の「運動」は一見沖縄の左翼勢力に利のあるような印象を与えるが、事実はさにあらず。

ネットの普及により沖縄マスコミの異常さや児童・生徒を政治運動に巻き込んだ左翼勢力の卑劣な手段が暴露され、これに愛想をつかした野党支持者もいると聞く。

自民党は断固として左翼勢力との共闘に決別して保守本道に立ち返って欲しい。

■相変わらずの「女・子供・年寄り作戦」続行■

「民意に背向けるな」/実行委員らが反発 (沖縄タイムス)

左翼勢力は当初の計画通り、運動の政治臭を消す目的で、「女・子供・年寄り」の三つの団体を前面に打ち出して、運動続行を叫んでいる。

①「女」⇒県婦人連合会(小渡ハル子会長)

②「子供」⇒県子ども会育成連絡協議会(玉寄哲永会長)

③「年寄り」⇒青春を語る会(中山きく代表)

小渡ハル子県婦人連合会長と玉寄哲永県子ども会育成連絡協議会長の実行委両副委員長は強い口調で解散を否定した。

「到底県民には受け入れられない。民意に背を向けるわけには行かない。解散はありえない」。 

青春を語る会の中山きく代表(白梅同窓会長)は

「教科書執筆者が今後も訂正申請を出すと聞き、心強く感じていただけに驚いた。ここで解散したら、沖縄の思いはその程度だったのかと言われる」

三人の発言者は、一見政治に無関係の団体の代表をして目くらましをしているが、その発言行動は「プロ市民」のそれであり、今後もマスコミは彼らを前面に立てて「民意」を装うであろう。

県PTA連合会の諸見里宏美会長、こんな方も引っ張り出して・・・

「教育にかかわる問題なのだから、もっと長い目で見なければならない」

「私たち大人は、毅然とした態度を示す意味でも、簡単には妥協できない」

と言わしている。

 

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教科書検定・文科相「話が違う」  「だからよ~!」

2008-01-09 18:55:21 | 教科書

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文科相「初めと話が違う」/教科書検定

実行委反応に不快感
 【東京】渡海紀三朗文部科学相は八日午前の閣議後会見で、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員会が、文部省の下した結論に対して、あくまで検定意見の撤回や日本軍の強制記述を求める見解を示していることについて「初めと話が違うという気がする」と述べ、不快感を示した。
 渡海文科相は実行委の反応について「報道でしか知らない」と前置きした上で、「当初は八〇点と言っていたにもかかわらず、何でこんなことになったのか、という気持ちがある」との認識を示した。

 同問題をめぐっては、昨年末の教科用図書検定調査審議会(検定審)の結論を受けた仲里利信実行委員長らが、「不満は残るが、記述はほぼ回復された」と一定の評価を下し、実行委の解散も示唆していた。

 ただ、実行委員会を開き、あらためて対応を検討した結果、実行委は解散せず、今月中にも「日本軍による住民への強制」を示す記述の回復や、検定意見の撤回などを国に求める立場を確認していた。

 今後の対応について渡海文科相は「これからの話だが、検定審の先生方が努力し、説明をいただいている。県民の皆さんにはご理解していただきたい」と、実行委の要望には応じる考えがないことを強調した。(沖縄タイムス2008年1月8日(火) 夕刊 1面  )
 

                    ◇

渡海文科大臣: 「話が違うぞ、仲里議長!」

仲里議長:    「だからよ~」

                     ◇
 

昨年末のぎりぎりになって出された教科書記述に関する文科省のあいまいな決定は「強制あり派」、「強制なし派」の両派に夫々の思惑を残したようだ。

「教科書検定意見撤回」集会への参加に対し、仲井真県知事は

「大衆政治運動に県が関わるのは如何なものか」と、当初参加を躊躇していた。

保守系知事としては当然の態度だったが、「県議会決議」に反対していた自民党会派がついに「民意」に負けて議決に同意してから、「空気を読んだ」のか、否応なしに「運動」の先頭に立たされるようになった。

そう、地元マスコミはあまり報じなかったが自民党県議は当初は議会決議には反対しており、決してマスコミが言うように「県民ぐるみ」ではなかった。⇒自民、結論先送り/「集団自決」意見書(沖縄タイムス 6月9日)

ところが、県自民党県議団は、マスコミの議決に賛成せよという圧力に耐えていた6月、県議員団を文科省に相談に派遣している。

地元マスコミは報じていないが、小渡自民党県議が世界日報のインタビューに答えて次のように話している。
   
 ≪先月末の議員総会で見解がまとまらず採択を見送ることを決定したが、今月14日の総会では、自民党県連代表が文科省に行き、今回の教科書検定の経過説明、回答を踏まえて協議した結果市町村が相次いで意見書を可決していることや採択されない場合の県民からの反発を懸念する意見が大勢を占めて、採択やむなしの方向になった」≫(「ダイジェスト版世界日報」)

>自民党県連代表が文科省に行き、今回の教科書検定の経過説明、回答を踏まえて協議した結果

このとき自民党県連代表は伊吹文科大臣(当時)と一体何を話したのか。

伊吹大臣は「教科書記述に政治家が介入すべきではない」と、高邁な理念を繰り返していたが、自民党沖縄県議団の「沖縄の民意」の報告に、当初の建前をかなぐり捨てて世論におもねる「政治的妥協」の取引き(密約)をしたのではないか。

 参考エントリ:「集団自決」 伊吹大臣「教科書記述」で密約?

そういえばその時期に伊吹大臣は微妙な発言をしている。

伊吹文科相「軍関与なら問題ない」/「集団自決」修正
 
伊吹文科相「軍関与なら問題ない」/「集団自決」修正
 【東京】高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決(強制集団死)」の記述から日本軍の関与が削除された問題で、県選出、出身の自民党国会議員でつくる五ノ日の会(会長・仲村正治衆院議員)は二十四日、文部科学省に伊吹文明文科相を訪ね、検定の撤回を要請した。仲村会長らによると、伊吹文科相は、軍の関与を容認した上で「すべてで『軍命』があったわけではない。『軍の関与』という表現であれば、次回の検定で問題とならないだろう。出版会社にお願いしてはどうか」などと提案したという。
 (略)
 伊吹文科相は県議会が全会一致した「検定結果の撤回を求める意見書」の表記が「軍命」ではなく「軍の関与」となっていることに「知恵を出した表現だ。来年の教科書を書くならば、そういう形で書かせたほうがいいのではないか」と語ったという。(略)

伊吹文科相は県議会が全会一致した「検定結果の撤回を求める意見書」の表記が「軍命」ではなく「軍の関与」となっていることに「知恵を出した表現だ。

うーん、今考えると、自民党県議でありながら「教科書検定意見書撤回県民大会」の実行委員長で派手なパーフォーマンスを演じた仲里議長も、しぶしぶ運動に参加した仲井真県知事も、彼らの全ての言動は、

文科省の「あいまい決着」を文科省から取り付ける為の演出だったのだ。

その証拠に、仲井真知事も決着後、早々に「想定内」の発言をしている。
  ↓

仲井真知事「まずまずの配慮」 教科書「集団自決」記述  (12/27 9:51)

 そして沖縄の「民意」を代表しているかのような素振りで文科省に「検定意見撤回行動を支持していた沖縄出身自民党議員で構成する五ノ日会も、

文科省の決定を聞くや否や、早々に運動支援撤からの撤退を表明している。↓

 五ノ日会「協力せず」 教科書検定意見再撤回要請行動  (1/8 16:03)

運動の実行委員長に担ぎ上げられた仲里議長も文科省の決定に不満を装いながらも、実はこれで「運動」から撤退できると内心は安堵していたに違いない。↓

教科書訂正承認に安堵と不満=沖縄議長ら
時事通信 - <NOBR>2007年12月26日</NOBR>
仲里利信県議会議長(70)=自民=は、軍の関与を明記した集団自決の記述が復活したととらえ、「検定意見は自動的に消滅したと考えている」とほっとした様子。 ...

だが、仲里議長は自民党議員でありながら左翼運動の深みにはまり込んでしまった。

「毒おにぎり」発言等でちょっとはしゃぎすぎてしまったのだ。

ちなみに「毒おにぎり」発言は琉球新報のみで、過激報道では琉球新報に勝る沖縄タイムスはこの報道をしていない。

結局「実行委員会」の自然消滅を期待した仲里議長の期待は打ち砕かれてしまった。

動き出した左翼運動はもはや「どうにもとまらない」ところまで来ていたのだ。↓

「今後も撤回求めていく」 教科書検定で沖縄の実行委
東京新聞 - <NOBR>2007年12月28日</NOBR>
実行委員長の仲里利信県議会議長は26日、都内での記者会見で「記述はほぼ回復され、検定意見は事実上撤回された」との認識を示していたが、県内世論を踏まえ実行委 ...

                      ◇

突然ですが・・・、

テレビの影響なのか方言ブームである。

「徹子の部屋」でゲストの加山雄三が巧みに東北弁を操って黒柳徹子を驚かしていた。

元湘南ボーイで元祖若大将の加山雄三がずーずー弁をで話すミスマッチが返って黒柳徹子の好感を得ていたようだ。

「がばいバーちゃん」や「てげてげ」のお陰で沖縄語の「なんくる」や「てーげー」も以前ほど違和感なく語られるようになった。

参考エントリ:沖縄語講座:「佐賀のがばいばあちゃん」と「沖縄のなんくるオッカー」

沖縄語の中でも「だからよ~」は、沖縄人なら勿論説明不要だが、知らない人への説明はちょっと難しい。

良く使われる相鎚の一種なのだが、相手の意見を否定するわけでもなく肯定するわけでもない曖昧模糊とした相鎚の言葉。

この便利なフレーズでは、相手がこちらを批判しても、それに反論せずにあいまいな態度で合鎚を打ち.、

場合によっては相手に同調して,どさくさ紛れに自分の行為まで批判してしまうような便利な言葉でもある。

ところで冒頭の渡海文科大臣の「話が違う」の発言に仲里議長がなんと応じたかは新聞は報じていないが、

自民党所属の県議会議長の立場としては、

「だからよ~」の心境だったと同情せざるを得ない。

いや、もっと自嘲の念を込めて、

「だっからよ~!」

と言いたかったのかもしれない。

 

【追記】12:25

「集団自決」修正/五ノ日の会、要請不参加

仲里議長は仲村会長(五ノ日の会)に対しては、渡海紀三朗文部科学相との会談の設定などが依頼していた。

だが、五ノ日の会は以後会談の設定や要請への同行はしないとの事。

仲村会長: 仲井真知事も評価している。県民の要望は80―90%達成されたと考えている」。 「もう勘弁してくれない?」。

仲里議長: 「だっからよ~!」

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沖縄にも佐藤優バブルが!

2008-01-08 06:43:26 | 教科書

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バブル景気といっても色々あって、日本を空白の10年に落とし込んだ「土地バブル」、更にに歴史を遡ればオランダのチューリップ・バブル、そして最近ではインターネット・バブル

だが、いろんなブルがあっても佐藤優バブルまであったとは寡聞にして知らなかった。

だが、佐藤優バブルと言っても佐藤優という同姓同名の人物が突然異常増殖したというわけではないらしい。

命名者の池田信夫氏によると、佐藤優バブルとは、『国家の罠』で一躍論壇の寵児となった起訴休職外務事務官という長ったらしい肩書の佐藤優氏が、

頻繁にというより無節操に出版物を出しその中身が薄くなって来たことを指す。

彼の初期の作品には一応評価しながらも、最近の著書『国家論』に対しては池田氏は手厳しく批判している。

 

国家論―日本社会をどう強化するか (NHKブックス 1100)
佐藤 優
日本放送出版協会

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≪「国家論」と銘打っているのに、いきなり無関係な三位一体論の解説が延々と続き、『資本論』によって国家を論じるが、その解釈は宇野弘蔵。あとは柄谷行人やカール・バルトなどが脈絡なく出てきて、結論は「日本社会を強化するには、お互いに協力しあうことが必要だ」。これほど支離滅裂で無内容な本はまれにみるので、栄えある今年のワースト1にあげておこう。≫

池田氏は、佐藤優氏が「もう貯金を使い果たしたため」、国家論という社会科学の中でも一番むずかしいテーマを古臭い唯物論で語ろうとすることを、「めくら蛇におじず」と斬って捨てている。

更に、経済学の知識がまったく欠けているのに、彼のマルクス解釈に依存したアプローチを、陳腐な社民主義と批判し、結局は佐藤氏の「地アタマ」の限界だという。

もうそろそろ佐藤優バブルも崩壊だともいう。

                       ◇

 

 

恥ずかしながら去年までは佐藤優氏が沖縄に関係のある人物だとは知らなかった。

当然あの有名な佐藤優氏が沖縄マスコミの論壇に登場するなど夢想だにしなかった。

ところが昨年の「教科書検定意見撤回」運動で沖縄メディアが異常に騒ぎ出した頃から、

何故か佐藤氏は頻繁に沖縄メディアに登場し、講演会をしたり新聞に寄稿をしたりするようになり、沖縄の血を引いていることを強調し始めた。

佐藤バブルの結果、今まで省みなかった沖縄の歴史や教科書問題に無節操にも手を出してきたのか。

やはり貯金を使い果たした結果、急遽メディアが注目する沖縄に焦点を当てたのだろうか。

言うまでもないが、「貯金を使い果たした」とは佐藤氏が貧乏になったという意味ではなく、彼の外務省での経験や裁判での経験を通して蓄積した知識の貯金を使い果たしたということである。

案の定、沖縄の「集団自決」に関する「教科書問題」では不勉強を丸出しのトンデモ発言の連続だった。⇒佐藤優氏の歴史認識の誤り 保革超えた政治闘争?

池田氏が指摘するように、めくら蛇におじずなのか、それともやはり「地アタマ」の限界なのだろうか。

                      ◇

 

今年は琉球新報に毎週一回の割りでコラムを書くという。

題して『佐藤優のウチなー評論』

その第一回目が、1月5日に掲載された。

一回目の見出しが、

<色眼鏡(上)> 

<誰もが持つ「フィルター」>。

テキスト化は面倒なので省略するが、一言で言えば去年地元紙や講演会で発言した「集団自決」や「教科書」に関する事実誤認や自身の不勉強に対する、弁解と開き直りである。

彼の母親が沖縄出身であることを強調し、連載では彼なりの「沖縄という『色眼鏡』をかけて評論するという。

<恐らく、この「色眼鏡」には、本紙の平均的読者と同じ部分もあれば、違う部分もある。>(ウチナー評論)

いや、そうではあるまい。

彼の「色眼鏡」は琉球新報の平均的読者以上に色が濃く、読者以上に事実を見誤っているではないか。

「集団自決」に関する「教科書問題」に対する佐藤氏の理解は、平均的琉球新報読者以下であることは次の発言を見れば自明である。

 
保革超えた政治闘争必要/佐藤優氏、那覇で講演(沖縄タイムス 2007年9月1日)
(略)起訴休職中の外務事務官の佐藤優氏が講演し、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」が削除された教科書検定問題について「とんでもないこと。軍が存在しなければあの悲劇はない。それ以上の議論は必要ない」と主張した
(略)

彼の「集団自決」や「教科書問題」に関する発言で致命的なのは、その論拠を全て沖縄タイムス、琉球新報,特に『鉄の暴風』に求めていることにある。

「ウチナー評論」の第一回では、彼の沖縄歴史論が、沖縄タイムスという濃厚な色眼鏡を通してのみ語られているのを開き直って事前弁解している。

佐藤氏は、沖縄戦の実態を記した『鉄の暴風』を例に「沖縄戦とはこういうものだ、とつくりあげたことに、それ以外の人たちがアンチを言うのは世界でも珍しい。歴史認識の問題というより、レベルの低い話だ」と強調した。(同上)

 

『鉄の暴風』がつくりあげた「沖縄戦」以外はレベルが低く、反論はまかりならぬ。

やはり、このお方「めくら蛇・・・」か「地アタマ」の限界なのだろう。
 

参考エントリ: 教科書は人民裁判で 「佐藤優の教科書論」

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国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫 さ 62-1)
佐藤 優
新潮社

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社説ウオッチング:集団自決記述の検定

2007-12-31 06:42:22 | 教科書

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社説ウオッチング:集団自決記述の検定 にじむ「本土不信」

集団自決記述をめぐる27日の各紙社説
集団自決記述をめぐる27日の各紙社説

 ◇にじむ「本土不信」--沖縄2紙

 ◇「強制」排除疑問--毎日・朝日

 ◇制度揺らぐ--読売

 ◇誤った対応--産経

 どんなテーマであれ、社説には各紙独自の視点や論点、対立点を見いだせる。ただ常に180度主張が分かれるわけではない。その意味で、沖縄戦の集団自決を高校の教科書でどう記述するかという問題は異例かもしれない。

 ざっとおさらいすると、文部科学省・教科用図書検定調査審議会の検定で日本史の集団自決記述に意見が付き、「日本軍の強制」が消えたり、軍関与をあいまいにするような記述変更があったことが3月に表面化した。沖縄は反発し、県議会や市町村議会が検定意見撤回、記述回復を求める意見書を可決。9月の福田政権発足直後には抗議の県民大会も開催された。

 こうした中で文科省は、教科書会社から、正誤訂正や学習に支障がある場合の「訂正申請」を受ける形をとり、出し直された記述を審議。今月26日、「強制」は「直接的な軍命令は確認できていない」と退けたが、要因として軍の関与は明記されるようになった。

 ◇大きく分かれた見解

 各紙社説はどう受け止めたか。

 毎日は、軍関与をはっきりさせる記述や背景説明が増えたことに「一歩踏み込んだともいえる」と評価する。しかし「強制」表現の排除には「軍と住民との間の根底にあった強制的関係、絶対的な上下関係をきちんととらえたものとはいい難い」と、沖縄戦全体の中で選択肢を奪われた住民が置かれた立場、状況の視点が足りないことを挙げた。東京も「『強制』という言葉を用いずに悲劇の本質を伝えることはできるのか」と指摘した。

 朝日は、手投げ弾配布や壕(ごう)追い出しなどをした軍の関与が集団自決が起きた状況の主な要因とする検定審見解を「多くの人が納得できるものだろう」と評価した。しかし、「強制した」というような直接的表現を認めなかったことには「疑問がある」とした。

 読売と産経今回の「修正」を教科書検定制度を損ねかねない問題として強く批判した。

 読売は、軍が「自決しなさい」と住民に手投げ弾を渡したという記述について「根拠となった住民の証言の信頼性を疑問視する研究者もいる」と指摘検定済み教科書にこのような訂正申請が「なし崩し的に」認められたら「政治的思惑によって、教科書検定制度そのものが揺らいでいくことにもなりかねない」と論及した。

 産経は、異例の再審議が行われたのは沖縄県議会の撤回要求や県民集会などのためとし「事実上の“二重検定”であり、それ自体、検定制度を逸脱している疑いが強い」と主張。「これでは、検定は何だったのかとの疑問を指摘されてもやむを得まい」「検定に対する不服申し立てを一部でも認めるような誤った対応を、二度と繰り返してはならない」とした。

 ◇次代へ、どうつなぐ

 沖縄県の2大地域紙、琉球新報と沖縄タイムスも今回の結果に強く反論した。それは、読売や産経の論点とは異なり、「強制」という表現が退けられたこと、当初の検定意見が結局撤回されなかったことに対してである。

 新報は「『集団自決』の現場にいながら命拾いをした多くの体験者らがこれまで『軍の強制』を証言してきた。その事実を検定審が一つ一つ丹念に検証した形跡はない」と指摘。「そのことを抜きに『軍の直接的な命令』を示す根拠はないと断定することに、果たして正当性があるだろうか」と問いかける。そして「文科省や検定審は現地での聞き取りなど、幅広い調査を」と実証の姿勢を求め、一方で県民にも「中途半端な解決では後世に禍根を残すことにもなりかねない。史実を後世に伝えるのは県民の責務であることを再確認したい」と呼びかけて結ぶ。

 タイムスは27、28両日にわたり社説を掲載した。「この一連の経過を通して見え隠れするのは『できれば日本軍という主語を消したい』『日本軍と集団自決の関係をあいまいにしたい』という背後の意思である」。そして沖縄と本土の間に「深い溝」をみる。

 「沖縄戦における『集団自決』や『日本軍による住民殺害』の体験は、沖縄の人たちにとっては琴線に触れる『土地の記憶』であるが、『国民の記憶』と呼べるものにはなっていない。広島、長崎の被爆体験は『土地の記憶』であると同時に、『国民の記憶』にもなっている。だが、沖縄の地上戦体験は『土地の記憶』にはなっているが、『国民の記憶』になっているとは言い切れない」

 「本土紙」がなかなか持てない、あるいは見落としがちな視点だ。両紙は次代への継承を大きな課題、義務として挙げた。

 毎日はこれに触れ、「今回の問題を別の角度から見れば、『では学校は沖縄戦をどう教えてきたか』という問いにはね返る」と提起した。学校教育の現場で歴史は「暗記物」とみなされがちで、特に戦争や戦後史は学年末近くに尻切れになりやすい。教科書の記述をめぐり論争しながら、一方で、多くの生徒がそのくだりを目にしていないという皮肉な現実もあるのだ。

 また、沖縄は日本の近現代史を集約的に学べるほか、環境、文化、風俗など多分野にわたり関心を引きつける教材になり得る。こうした視点から総合学習的なアプローチも有意義だろう。

 毎日は「高校レベルの教科書なら検定というタガを外すことを検討しては」と結んだ。教科書会社にさらに大きな責任、力量が必要になるが、細かな字句いじりにも陥りがちな検定過程を思えば、検討に値するはずだ。【論説委員・玉木研二】

毎日新聞 2007年12月30日 東京朝刊

                                                ◇

>どんなテーマであれ、社説には各紙独自の視点や論点、対立点を見いだせる。ただ常に180度主張が分かれるわけではない。その意味で、沖縄戦の集団自決を高校の教科書でどう記述するかという問題は異例かもしれない。

常に他紙の社説を読み比べている現役の論説委員が、言うのだから各紙の社説が「常に180度主張が分かれるわけではない」のだろうが、今回の集団自決記述検定では全国紙の評価は二つに分かれた。

>◇大きく分かれた見解

だが日頃の論調から、各紙の見解が180度大きく分かれるのは分かるとしても、

今回の決定に対する評価が、白と黒というように「大きく分かれた」わけではない。

読売と産経はほぼ全面否定評価なのに対して、

朝日と毎日は疑問を残しながらも一応の評価。

新報、タイムスはさて置き、全国各紙の社説をリトマス試験紙にすれば、今回の文科省決定は灰色と言うより「強制あり派」に擦り寄った決定と言わざるを得ない。

「強制なし派」の立場で主張し続けた当日記としては残念な決定になってしまった。

ただ今回の教科書騒動で一つだけだが成果はあった。

前回(1981年)の沖縄戦・教科書検定騒動の時は沖縄の左翼学者と文部省(当時)の間だけの問題で、一般の人は今回ほど教科書検定に関心を示さなかった。

参考:1981年当時の沖縄県教育長新垣雄久氏談。
<1981年度の教科書検定で、高校日本史教科書の沖縄戦の記述から「日本軍による住民虐殺」が削除されたことを知った時,これは大きな問題になるという意識を持った。 82年8月ごろ、当時の文部省に行き、初等中等局長に記述回復を求めた。  当然、教科書には「住民虐殺」の記述があるべきだと思った。 また、教科書で沖縄戦の記述が少なく、沖縄は住民を巻き込んだ地上戦が起きた場所であり、重視して取り上げて欲しいととの思いがあった。

初等中等局長は「教科書検定は文部省で簡単に覆せるものではない」と言ったが、「出来るだけ県民の要望に沿うように検討したい」と答えた。

その後、記述は回復した

沖縄が復帰して10年しかたっておらず、国の沖縄への思いも強かったように感じた。>(2007年9月22日琉球新報)

前回、1981年当時に比べてネットの普及が凄まじく、今まで教科書問題といえば左翼勢力の専売特許だったのが、一般国民が関心を示すようになった。

これは教科書騒動の一つの成果だろう。

又新聞社説が次のような意見を書いて高校の歴史教育を皮肉ったのも大きな成果の一つ。

そういえば高校では日本史は必修ではなっかった筈だが、大騒ぎの割にはこれに言及している社説は無い。(世界史だけ必修「おかしい」 規制改革会議が物言い

<学校教育の現場で歴史は「暗記物」とみなされがちで、特に戦争や戦後史は学年末近くに尻切れになりやすい。教科書の記述をめぐり論争しながら、一方で、多くの生徒がそのくだりを目にしていないという皮肉な現実もあるのだ。>(毎日)

 ただ毎日の、

高校レベルの教科書なら検定というタガを外すことを検討しては」

には現状では賛同できない。

「現状では」と但し書きを付けたのはのは、依然としてマルクス主義の残滓で洗脳された左翼教師が教室を抑えている現状を見たら当然だろう。

教科書を使わない授業では教科書代わりに左翼新聞を使ったりして、教室は左翼思想の養成所にもなりかねない。⇒新聞使い調べる力向上/NIEフォーラム

昨日のエントリでも引用したがこんなことにもなる。⇒(6)教師たちの思い

教科書の検定廃止にはまだまだ道は遠い。

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権威と権力 左翼勢力の攻撃目標は「権威の象徴」である

2007-12-30 10:39:26 | 教科書
 

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国を劣化させるには教室を劣化させるのが手早い道だ。

左翼・反日勢力が教室の劣化させる手段として教科書の劣化をターゲットにするのは当然の成り行きである。

いや、日教組に洗脳された教師は既に劣化しているので、教科書の歴史わい曲が思い通りいけばまさに鬼に金棒だ。

左翼教師は教科書の内容に関わらず、常に偏向授業を行っている。
(6)教師たちの思い

今年を振り返って沖縄を震源地に全国を騒がした「教科書問題」。

そして「集団自決」に関し表裏一体をなす「大江・岩波裁判」は、単なる教科書記述訂正や個人の名誉毀損の問題ではない。

左翼・反日勢力と保守・良識派との国の名誉と尊厳をかけた戦いである。

具体的にいえば「教科書問題」、「大江・岩波裁判」では「集団自決」に関して「軍の強制の有無」が争われた。

「強制あり派」の支援者には大学教授を始め教育関係者が多く、彼らの主張の中には頻繁に「皇民化教育」とか「天皇制」という言葉が出てくる。

元々「天皇制」とは日本共産党の用語で「皇民化教育」とは左翼運動用語だがここでは深く触れない。

それは「皇民化教育」という言葉で暗示されているように、左翼勢力の次のターゲットは「天皇」である。

つまり彼らが「反日本軍」、「反国家」の影に隠しているのは「天皇制打破」である。 

                       *

日本人は長い歴史の上で、天皇の持つ「権威」と時の権力者の持つ「権力」を上手に使い分けてきた。

江戸時代を例にして、京都の朝廷の権威と江戸に君臨する徳川将軍の権威を比べると分かり易い。

更に誰でも知っている物語を通して権威と権力を透かし見るとなお分かり易い。

■「殿中でござる!」■

12月になると必ず登場する日本人の大好きな物語「忠臣蔵」で「権威」と「権力」を垣間見て見たい。

「忠臣蔵」は権力を握る将軍とその上に権威を持って君臨する天皇の関係を知るのに絶好の物語である。


大体の粗筋は誰でも知っていると思うが、まずは忠臣蔵の概要を復習しよう。

江戸時代の元禄十四年(1701年)3月14日、勅使接待役の浅野内匠頭が、勅使接待指南役の吉良上野介の意地悪に逆上し、江戸城松之廊下で突然刃傷に及ぶ。

浅野内匠頭はそばにいた梶川与惣兵衛に「殿中でござる!」
と必死に抱き止められる。

殿中(江戸城内)で抜刀するというのは絶対的な禁止事項。

ましてや天皇の勅使を迎える準備中のことではないか。

なんという畏れ多いことだ。

事件を聞いた将軍綱吉は激怒、その日のうちに内匠頭に切腹を命じた。

余談だが、ズボンの丈が長すぎて引きずりそうになってると必ず「『殿中でござる』だよ!」って注意するヤツがいる。

袴の裾を引きずるシーンは時代劇ではよく見るが、ズボンの裾の長いのを「松の廊下」の場面に結びつけたのだ。

だが「殿中でござる」の実際の意味は、「ここは御殿の中なのだから控えなさい」という意味であって、決して「裾が長すぎる、控えなさい」という意味ではない、・・・そんなの関係ねぇか。

「殿中でござる」は、むしろ人通りの多い道路の電柱に立小便をする酔っ払いに向かって

「デンチュウでござる」と注意した方が・・・関係あるのかも・・・。

 

おっと、ここらで体勢を立て直して、閑話休題。

時は5代将軍徳川綱吉の時代で、この日は、京都の朝廷より天皇の勅使を迎える幕府にとっては厳粛な日であった。

事件がおきた時、将軍徳川綱吉は行水をしているところであった。

その日の儀式では将軍自らが天皇の勅使に答礼をするので行水も念入りにされた。

権力を手中にした将軍といえども権威の象徴の天皇、・・・

いや、天皇の使いの勅使に対してさえ、このように将軍自ら最大級の気配りをしたのだ。

浅野の刃傷の結果、切腹・城地没収・絶家の判決をうけた。

浅野家(赤穂藩)は解体され、藩士は全て浪人となった。

その内47人が、翌十五年12月14日夜から15日にかけて吉良邸を襲撃、主君の恥辱をそそいだ事件がお馴染みの「赤穂浪士の討ち入り」の物語である。

■権威の前には頭の上がらない権力■

問題にしたいのは京都の朝廷から江戸へ「下って」くる使者に過ぎない「勅使」の接待の為に「権力」の殿堂である江戸城で大騒動が起きたということである。

その当時の京都の朝廷は経済的には質素を極め江戸下りの道中の路銀にも事欠く有様だったと言う。

一方江戸の将軍は経済的にも、軍事的にも権勢を極めていたが朝廷の勅使の接待には右往左往した。


更に時は流れ、最後の将軍慶喜は維新前夜、錦の御旗をかざす官軍にひたすら恭順の態度を示した。

それから雪崩を打ったように「大政奉還」、江戸城の「無血開城」そして明治維新と続く。

「権力」の権化である「将軍」は「権威」の象徴である朝廷に自ら立ち向かい「朝敵」となることは「畏れ多き事」で、戦わずして江戸の無血開城をした。

此処で脱線、又してもしばし枝道に入る。

■左翼教師の教えた明治維新■

当時はあまり意識しなかったが今振り返ってみると、高校時代の歴史の教師には唯物史観にドップリ浸かった先生が多かった。

いわく「フランス革命もロシア革命も市民階級が支配階級から権力を自力で奪取した」。

しかし「明治維新はしょせん支配階級同士の権力のたらい回しに過ぎない、似非(エセ)革命だ」。

サヨク教師の明治維新論は延々と続く。

「フランス革命」や「ロシア革命」でマリー・アントワネットはパリ市民の前で断頭台の露と消え、ニコライ2世は家族と共に銃殺された。

一方「明治維新」では、最後の将軍慶喜は生きながらえて維新後も多才な自分の趣味を楽しみながら天寿を全うした。

明治維新は市民が支配層から力で勝ち取った革命ではない。

その点、フランス革命もロシア革命も偉大だ。

だから日本も真の市民革命をせねばならぬ。

その当時は、このサヨク教師の熱弁に成る程と納得していた。

その後確かフランス?の歴史学者だったか、外国の歴史家が明治維新を称して「権力階級(武士)の世にも珍しい『集団自殺』である」と言った言葉で目が覚めた。

外国人の明治維新についての解釈で目からウロコが落ちた。

そして日本人の「権力」と「権威」に対する奇妙なまでの峻別、そして拘りに興味を持った。


日本史の中の権力者は限りない権力収奪の闘争に明け暮れても「権威」は別において天皇の手に委ねた。
 
 例え「権威」の収奪が可能なほどに自己の「権力」が強大になっても、

お隣りの中国の歴代王朝のように「易姓革命」などの屁理屈で「権威」を簒奪する事は無かった。

■クダラナイ物とクダル物■

江戸に幕府を開き絶大な「権力」を手にした徳川幕府は「権威」の象徴天皇家は京都の御所に祭り上げておいた。
 
現代では東京(江戸)に行くのは「上(のぼ)り」で東京を発つのは「下(くだ)り」である。

我々が東京に行くと「おのぼりさん」になる。

しかし江戸時代は「のぼり」と「くだり」が逆であった。

 勿論「権威」の象徴が住む京都に行くのが「のぼり」で「権力者」将軍の住む江戸に行くのが「くだり」であった。

「くだらない」と言う言葉がある。

 つまらない、とか程度が低いと言った意味でよく使われるが語源はこの辺りから来ているらしい。

つまり「権威」の象徴のお住まいの京都から江戸に「下って」来た物品は、「下り物」として織物でも何でも高級品、上物の代名詞であった。

 ところが京都から「下って」こない物はその辺の低級な「くだらない」物でつまらないものの代名詞となった。 

嘘のようだが、これ本当の話。

当日記もクダラナイ話が多く「クダラナイ話」というカテゴリーを置いているくらいだ。

 話を脱線の迷路から本筋に戻そう。

■教科書で騒いで出世する上る人々■

マルクス主義の残滓(ざんし)で汚染された左翼教師の究極の目標は「天皇制」の打破である。

今回の教科書問題の火付け役であり、運動のリーダーでもある高嶋伸欣琉球大学教授であるが、

彼は2005年に検定中の「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書の白本のコピーを韓国や中国に持ち込んだ事でも有名な人物である。

今回の教科書騒動でも高嶋教授は、自分が教科書問題の仕掛人だとはっきり言っている。

『82年の文部省の検定で、「日本軍による住民殺害」の記述が削除された時、私は沖縄タイムスに「このことを知っていますか?」と聞いたら、「知らなかった」ということで、私が知らせたから大きな問題となったのです』
http://www.news.janjan.jp/area/0706/0706117120/1.php


このお方、教科書裁判で有名な家永教授のチルドレンともいうべきで教科書裁判というと必ず顔を出しマスコミに名を売った。

高嶋教授は、元筑波大附属高校の教諭で「高嶋教科書訴訟」という下らん論点を争っていたが、

何時の間にか高校教師から国立大学の教授に出世して、今や、教科書問題と言えばこの人が権威者になってしまった。

今回の教科書騒動でもマスコミに名を売った高校教師の教科書執筆者の何人かは沖縄のどこかの大学の教授にでも納まるのだろう。 高嶋教授や古くは安仁教授のように。

それで、高嶋教科書裁判の論点は?

①福沢諭吉の「脱亜論」と勝海舟の「氷川清話」とによるアジア

②1湾岸戦争時の掃海艇派遣に関するアジア諸国への配慮の必要

③昭和天皇死去報道の扱い方

④湾岸戦争時の米軍による情報操作の有無

実に下らん!


「高校公民教科書」(一橋出版)の自分の執筆した部分の上記の4点が文部省に却下されたため、

「精神的苦痛を受けたとして、1993年6月に提訴」した。

こんな下らん事で「精神的苦痛を受ける」ようなデリケートな精神の人物とはとても思えないのだが。

どうでもいい提訴内容に紛れているが、

の天皇に関する言いがかりが、家永教授から受け継いだ「天皇制打破」の序章である。

家永教授亡き後は、教科書騒動と言うと必ずこの人物が顔を出してくるが、

高嶋教授が崇拝する家永教授は、戦前は皇室崇拝主義者であった。

それが今や教科書問題の左翼側のシンボルとも化した皇室崇拝精神、

そがどの時点で豹変して「天皇制打破」に変わって行ったかは興味深い。

ちなみに今回「集団自決」問題で「強制あり派」に顔を連ねた安仁屋政昭沖国大名誉教授を始め多くの学者は、

殆どが「家永裁判」の原告(家永)側の支援者であり証人にもなっている。

勿論彼らは戦前の教育はというと「皇民化教育」を叫ぶ、

「天皇制」打破主義者達である。

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「教科書問題」臭いものは元から絶たなきゃ駄目!

2007-12-29 12:57:10 | 教科書

昨日に続いて本文が消失です。

17時55分頃には本文記事の存在を確認しているのですが、某ブログにTBを張った瞬間、消失しました。

少なくともコメント下さった松五郎さんは本文を読んでいます。

意味不明ですが意気消沈、がっくりです。

二度あることは三度あると言うので次回は保存してからエントリします。

                     ◇

【追記】18:35

校正前の下書きが残っていましたので再エントリします。

                     ◇

臭いものは元から絶たなきゃ駄目!

臭いものを芳香剤等で誤魔化しても消臭の根本解決にはならない。

いやむしろ臭いが混ざって以前より不快なにおいを放つ場合だってある。

どんな難問でも、キチンと正面から向き合って真剣に対処しないと後にに必ず禍根を残すことになる。

臭いものに蓋をしては駄目!

                      *

今回の教科書騒動に対する文科省の決定は、臭いものに蓋はしないまでも、

芳香剤を振りかけて臭いを誤魔化したという結果に終わった。

テレビなどでよく映される裁判の判決の場面などで、

勝訴した側は「前面勝訴」と書いた紙を掲げ歓喜の声をあげ、

敗訴した側は「不当判決」という紙を掲げ怒りの拳を突き上げる。

今回の文科省の決定を判決に例えるなら、当初は両陣営とも「不当判決」と怒りの拳を突き上げた場面だろう。

ところが実際は両陣営にも賛否両面に評価が分かれていた。

「強制なし派」(注1)の藤岡拓大教授は今回の決定を「反軍イデオロギー」を全面的に認めた愚かな決定と全否定している。

反軍イデオロギー」全面容認の愚、「パンドラの箱」開けた文科省 拓殖大学教授 藤岡信勝 (世界日報)

こんな記事もあった。
自民党歴史教育議連、教科書“再検定”を批判

その一方同じ「強制なし」派で「免罪訴訟裁判」の徳永弁護士は次のように今回の決定を評価している。 

 <回の検定に関するわたしの評価ですが、すでに述べたように、本当によかったと考えています。検定審議会の委員の方々は、理不尽な政治的圧力に屈することなく、その職務をよく尽くされたと評価しています。

まず、「隊長命令」はもとより「軍の命令」も「軍の強制」までも否定し、全教科書から「軍命」も「軍強制」が削除されたことは、本当によろこばしいことです。>(草莽崛起 ーPRIDE OF JAPAN

「軍命」も「軍強制」も教科書から消えたのなら、責任が,大江被告が言うように、タテの構造に有ろうとも、現場の戦隊長の責任では無いことになる。

個人の名誉毀損を争う裁判の原告代理人であれば、裁判自体を考えれば、この決定を評価して当然だろう。

注1)当初、軍の命令の有無が争われていたが「軍命」を証明する客観的証拠が無い現在、「軍命あり派」は「軍命」から「軍強制」に摩り替えて議論されているので、以後等日記では「軍命あり派」、「軍命なし派」をそれぞれ「強制あり派」、「強制なし派」と」表記する。

「強制あり派」の評価も大きく分かれた。

「強制」認めよと抗議集会 検定審に評価割れる沖縄 (12月27日 22:07) 

 「9.29県民大会」 の仲里実行委員長は、当初「不満は残るが記述はほぼ回復され、検定意見は事実上撤回されたと理解する」と一定評価を表明していた。

この仲里委員長は沖縄県議会議長の要職にあり、衝撃的な「毒おにぎり」証言と、政府要人への数多くの抗議会見等でマスコミには顔と名前を十分に売り込んだと思ったのか、当初「実行委員会」の解散を示唆していた。

ところが「実行委員会」は役員に「女子供」関連の団体会長を立てて、その本来持つ政治臭を薄める作戦を立てた。

玉寄哲永副委員長は「沖縄子ども連」の会長だし、

役員の中山きく女史は元女子学徒隊でつくる「青春を語る会」の会長で、どちらもご高齢の様子。

「実行委員会」が解散したのではやることが無くなってしまう。

彼らの反対や平和団体や教職員組合の反対表明により、結局はこんなことになってしまった。⇒ 「軍が強制」認めず/関与記述復活

仲里議長も逃げられなくなったようだ。

こうなったら仲里議長も、毒おにぎりを食らわば、・・・じゃない、毒を食らわば皿までの心境なのだろう。

いずれにせよ今回の文科省決定は、いくら検定意見が付いても大声で騒ぎ立てれば教科書は書き換えられるという悪しき前例を作ってしまった。

それに自信をつけた「強制あり派」年明け早々上京して抗議行動するという。⇒ 証言否定「容認できない」 実行委、年明けに上京へ  

 

だったら、「強制なし派」も負けずに大声を出して欲しい。 

「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝会長は、かつてこんなことを言っていた。

政治介入への違法性指摘 教科書検定 撤回求める動きで有識者ら
<・・・「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝会長は、教科書検定が撤回された場合、「文科相を相手取って訴訟を起こす」ことを明らかにした。>(世界日報 12月14日)
 
今回の決定は事実上の(検定意見撤回」だといっているのだから、是非とも提訴に持ち込んで欲しい。
 
冒頭に述べたように今回の文科省の決定は臭い汚物に芳香剤を振りかけて臭いを誤魔化したようなもので、後で前にも増した悪臭が噴出しないとも限らない。
 
いずれにせよ文科省は今回の決定で大声を出して騒げば教科書は書き換えられる悪しき先例を作った。
 
だとしたら「強制なし派」も、「強制」は勿論、
 
「関与」といったあいまいな表現は全て削除するように大声を出して文科省に働きかけるべきである。

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検定制度の崩壊 国家の劣化は教室から始まる!

2007-12-27 10:44:25 | 教科書

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今年を振り返るには未だちょっと早すぎるとも思うが、昨日の「集団自決」に関する「教科書検定」問題の決着に,

これで今年も終わったか・・・との感慨にふけってしまった。

昨日のエントリで「玉虫色の政治決着」と書いたが、今朝の琉球新報の三面トップも、

「玉虫色の政治決着」

という白抜きの大見出しが踊っている。

当日記とは異なる意見の琉球新報の見出しが同じ見出しだということが、

今回の文科省の決着のあいまいさを物語っている。

琉球新報が当日記のタイトルをパクッたわけじゃないだろうが。(笑)

手元にある琉球新報は、教科書検定関係で1、2、3、22.23の各面トップで記事を掲載し、7面では特集を組んで合計6面を費やす熱の入れようである。(タイムスはもっとひどいでしょう)

ちなみに琉球新報の見出しだけを抜書きしてみよう。

1面トップ

「軍強制」認めず
「軍強制」認めず 教科書「集団自決」記述
   

「関与」に後退     審議会  検定意見を堅持

 

◆2面と3面が繋がった大見出し

玉虫色の政治決着  「検定意見」に固執」

◆22面23面が繋がって

思い無視 どうして  怒   

声届かず落胆 不満

              

上記見出しを見るだけでも自明の通り、沖縄のサヨク勢力は「玉虫色決着」には「不満」であり、「怒」であり「嘆」でさえあるのだ。

早速今日にも県民広場で抗議の緊急集会を開くという。

■検定制度の崩壊■

今朝の産経新聞「主張」は「二重検定」だとして批判しているが、今回の決着はそんな生易しいものではない。

 【主張】沖縄戦集団自決 禍根を残した“二重検定”12.27 03:06

一旦決定して誤字・脱落や「明らかな誤謬」以外は訂正が認められない筈の検定制度が、

数を頼んで大声を発する勢力により書き換えられうる悪しき先例を作ってしまったのだ。

こうなってしまったら歴史教科書とはシナ王朝の「正史」のようなもので、政権が変わる度にそのとき大声を出す勢力の言いなりに歴史が変えられてしまうことになる。

これは教科書検定制度が事実上崩壊したことに他ならない。

■判決の「傍論」を真似た本文の「側注」■

それに今回の文科省の決着は、憲法判断に関わる訴訟で裁判所が下す判決(主文)にしばしば付加される「傍論」の例を見習っている。

判決は訴訟の当否を判断する「主文」だけで十分であり、

「傍論」は裁判官の独り言のようなもので、

時には裁判制度を揺るがす「暴論」にもなりかねないので、

不要どころか百害あって一利も無い類のものである。

「主文」より離れて「傍論」だけが一人歩きする場合さえある。

今回はの文科省の決着は「主文」で「命令や強制」は削除させたが、

「側注」という「傍論」を使って「主文」以上の暴論を記述している教科書もある。

例えば三省堂の「再訂正申請記述」の<側注>を見ると次のようになっている。

戦闘の妨げやスパイ容疑を理由に殺された人を見た。さらに、日本軍の関与によって集団自決に追い込まれた人もいるなど、

<側注>集団自決について、日本軍によってひきおこされた「強制集団死」という見方が出されている

本文では「強制」を」禁じて「関与」に書き換えさせてはいても、

<側注>で「日本軍によって・・・強制集団死・・・」と記述しては頭隠して尻隠さずではないか。

日本軍の「残虐性」を表す表現としては<側注>の方が激しいくらいで、これを称して本末転倒という。

しかもこのような教科書を教室現場で使用するのは、日教組の教師やサヨク教育に洗脳されたままの教師だ。

「本文」より「側注」が独り歩きする可能性は目に見えている。

教科書記述以上に偏向した内容で「残虐非道の日本軍」を生徒に刷り込むことが出来たら反日サヨク勢力の思う壺である。

このようにして「自国を貶める教育」が再生産されていく。

                     ◇

■国家競争力の強化は教室から■

教科書と国歌の競争力に関する某新聞のコラムを以下に抜粋し引用する。

◆(略)、わが社会では教科書を通じた理念の戦争が繰り広げられた。(略)のアイデンティティを否定し、市場経済の本質を歪曲した左派の歴史・経済教科書が氾濫した。祖先と親の世代が流した汗を「清算の対象」に追い込んだ教科書が、未来の世代に与える影響が怖い。これらの教科書はいつか我々に社会的費用を請求するだろう。左派の教科書が溢れていることに危機感を覚えたニューライト系列の学識経験者や全国経済人連合会などが、この数年間で(略)のアイデンティティ、自由民主主義や市場経済の価値などをベースにした歴史・経済教科書をまとめたのは、不幸中の幸いだ。

◆米ニューズ・ウィーク欧州版の経済エディタのステファン・テイルは、「国家競争力の強化は教室から行われるべきだ」と言う。同氏は、「フランスとドイツの指導者らが改革を叫ぶものの、速度が遅い理由は、反企業・反世界化の内容を盛り込んだ教科書のため」と指摘した。教科書の改革こそ、国運を上向かせるために、国家的なレベルで推進すべき文化改革であり、精神改革である。

引用新聞名はあえて伏してあったが「[オピニオン]教科書改革 」で全文読めば自明の通り韓国の有力紙東亜日報である。

同紙は韓国の朝日新聞と評された。朝日新聞とは現在も特約紙の関係にあり、東京支社を東京都中央区築地の朝日新聞東京本社ビル内にある。

朝鮮日報が右派一辺倒であるのに対して、中央日報は実利主義がベースにあるため、改革派政権が続く中では保守色は薄まっているし、東亜日報は伝統的に記者や労働組合の発言力も強いこともあって、個々の論調ではそれほど保守的ではないものも見られる。(ウィキより)

上記コラムにもある「国家競争力の強化は教室から」は真理を含んでいる。

韓国も最悪のサヨク大統領から保守派大統領に変わって、このようなコラムが「韓国の朝日新聞」に載るようになったというのに、

我が国では安倍首相から福田首相に変わったとたん、政治介入でサヨクに媚びる教科書にしてしまった。

韓国に比べても日本の教科書制度の大きな後退だ。

だが、大声を出せば教科書記述は変えられることが分かった以上、

保守良識派もこれまでのように大人しくしていてはおれないはずだ。

サヨクに負けない大声を発する必要がある。

これ以上サヨクの大声に負けて教科書が更に劣化したら、

サヨクの日本弱体化作戦は更に加速する。

国家の弱体化は教室から始まる。

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教科書問題 土壇場で首相が政治決断?

2007-12-25 18:15:52 | 教科書


山崎氏「記述ほぼ復活」/「集団自決」検定撤回

 文部科学省が高校の日本史教科書から、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に対する日本軍の強制を示す記述を削除させた教科書検定問題で、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員会の幹部ら六人が二十五日朝、三度目となる文科省への要請行動のため上京した。要請団と面談した自民党沖縄振興委員会の山崎拓委員長は「集団自決」への軍強制を示していた検定前の記述がほぼ復活すると述べた。また、岸田文雄沖縄担当相が内閣府の沖縄戦関係資料閲覧室の機能を強化する考えを示した。
 山崎委員長は、県議会議長の仲里利信・県民大会実行委員長ら要請団と正午すぎに面談し、教科書会社からの訂正申請に対する文科省の対応の結果、「ほぼ検定前の記述に戻るのではないか。ただ、直接的に軍が命令したとの記述にはならないと思う」との見通しを示した。

 要請団はその後、岸田文雄沖縄担当相とも面談した。岸田沖縄担当相は沖縄戦関係資料閲覧室の資料をインターネットで閲覧できるようにするなど、機能強化を図る考えを示した。

 文科省は「軍の強制」を示す記述回復を求めた教科書会社からの訂正申請に対し、沖縄戦の「集団自決」について「直接的な軍命は確認できていない」などとした教科用図書検定調査審議会の指針を示し、教科書会社に「軍の強制」を薄めた記述での再訂正をさせている。

 九月二十九日の県民大会では、検定意見の撤回と記述回復を求める決議がされており、県民大会実行委は教科書審議会の指針に抗議するとともに、渡海紀三朗文科相への面談を求め、「軍の強制」を示す記述の回復と検定意見の早期撤回を求める予定。

 仲里委員長は「十一万六千人の意思が、文科省職員や審議会の一握りの意見で拒まれるようなことがあれば、県民一丸となり長期的に検定意見撤回と記述回復の実現に取り組むことになる」と決意を述べた。(沖縄タイムス2007年12月25日(火) 夕刊 1面 ) 

                                                ◇

新聞報道に取材記者の主観が混じりこむ以上、報じられる記事がメディアによって多少ニュアンスが異なるのは分かる。

とは言っても・・・。

>山崎拓委員長は「集団自決」への軍強制を示していた検定前の記述がほぼ復活すると述べた

これでは、22日の次の報道とは真逆ではないか。
 
「強制」の記述認めず 教科書検定審 出版社が再修正(12月22日 朝刊) 

それに今朝のNHKも次のように報道している。
 
◆教科書 5社が記述を再修正 (NHK 07/12/25)

 http://www3.nhk.or.jp/news/2007/12/25/d20071224000080.html


 この問題は、来年4月から高校で使われる日本史の教科書の検定で、沖縄戦で起きた集団自決に関して、日本軍の直接的な関与を表した記述が削除されたものです。これに対して沖縄県で反発が強まり、文部科学省が教科書の記述の修正を認める方針を示したことから、これに促された異例の形で集団自決について記述した6つの教科書会社すべてが、記述を修正する、訂正申請という手続きを取りました。

  申請された記述は「日本軍が集団自害を強制した」などという表現で、集団自決が日本軍の命令によって起きたことをにじませる形になっています。

  これに対し文部科学省の教科書検定審議会が、あらためて「住民に対する日本軍の直接的な命令を示す資料は見つかっていない」とする基本的な見解を示したうえで、5つの教科書会社に申請した記述のままでは認められないという考え方を伝え、事実上の修正を求めていたことが関係者の話で明らかになりました。
これを受けて5社はいったん申請を取り下げ、再度記述を修正したということです。

  修正された記述の詳しい内容は明らかになっていませんが、日本軍のかかわりを含む、住民が集団自決に至った背景を書き込んだものとみられ、審議会は今週中にも結論を出すことにしています。

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まさか沖縄から抗議団が、上京したからといって容易に文科省の判断が変わるとも思えない。

山拓が子分の渡海文科大臣にプレッシャーをかけているの分かっていたが、日本の文科省が山拓の策謀で左右されるように堕落しきっているとも思えない。検定問題、訂正勧告を要求 自民・山崎氏が文科相に  (9/29 )

だとしたら福田首相が来るべき衆院選に向けてマスコミに媚びる作戦に出たのか。

それとも「薬害肝炎問題」で「政治決断」をしたのがマスコミ受けしたため、調子に乗って、

「政治決断」の名の下に「政治介入」をしたのか。

新報報道によると、いずれにせよ福田首相が27日の訪中前の26日に出すといわれる「福田談話」を発表すると言う。

軍強制記述は「回復」 自民山崎氏が示唆  (12/25 16:02)

<福田康夫首相が26日に記者団との定例会見で、検定問題に関して発言することを明らかにした。首相は沖縄戦の実相を学校教育の中で語り継ぐ必要性を強調するとみられる。>(琉球新報)

「福田談話」の内容によっては、

福田内閣は歴史教科書に「政治介入」をした最悪の内閣として後世にその悪名を残すことになる。

「教科書問題」のような取材記者の恣意的要素が入りやすい問題では、最後の刷り上った教科書を見るまでは分からないが、

敢て推測すると「日本軍の命令、強制」といった表現は避けながらも、

「工夫と努力と知恵」(10月1日の町村官房長官)を駆使して、

文脈では「命令」或いは「強制」を臭わして、

「首相談話」で「命令、強制の文言は記載してなくとも、日本軍の関与なしにはありえなかったので、教室ではそのように語り継いで欲しい」・・・・。

うーん、これでは最悪だ。

冒頭のタイムス、そして新報記事もいずれも山崎拓氏を取材したものなので、どれだけ信憑性があるのやら。

それに「軍命、強制」を教科書に記述したい地元二紙の恣意的報道で一喜一憂するのも愚かだが・・・。

とにかく教科書の現物を見るまで気は抜けない。


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悪いのは全て「日本軍」 メチルで死んだ父も軍のせい」

2007-12-24 06:54:07 | 教科書

 

「強制」外し、怒りの声 軍隊美化を指摘 「集団自決」検定問題  

 高校歴史教科書の「集団自決」(強制集団死)検定問題で、訂正申請の記述内容について文部科学省の教科書調査官と教科書出版社が、日本軍による「強制」の文言使用を避ける形で調整していることに、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」実行委員からは22日、怒りの声が上がった。
 代表団として25日に上京する
副実行委員長の小渡ハル子県婦人連合会長は「県民大会の前に戻ってしまった。11万6千人の思いを踏みにじるもので、許せない」と話し「文科省が記述にこだわるのは、軍隊を美化したいという思いが見え見えで、背景には軍事化が進む日本の流れがある。だからこれだけは譲れない」と強く訴えた。
 県民大会事務局幹事で代表団の平良長政県議は「もし事実であるならば許せない。県民大会が成功したのにもかかわらず、申請をやり直す文科省のやり方について憤りを感じる」と話した。
 実行委員の「青春を語る会」の中山きく代表(白梅同窓会会長)は「手りゅう弾を渡し、受け取った側の住民は命令として受け取っているので強制。文科省は住民の意思を尊重すると言いながら結局、沖縄の要望に添っていない。強制という文言を使用してほしい」と訴えた。

 (琉球新報 12/23 10:04)

                       ◇

 

 >副実行委員長の小渡ハル子県婦人連合会長は・・・・文科省が記述にこだわるのは、軍隊を美化したいという思いが見え見えで、背景には軍事化が進む日本の流れがある。

教科書の記述を学術的検証に基づいて記述するように、ということが「軍隊を美化」とか「軍事化が進む日本」とかの妄想に繋がる人はおそらくは自分の脳で考えることは忘れ去っているのだろう。

この次には「軍靴の響き」が聞こえたり、「きな臭いにおい」がするようになり、

ついには「カメムシ」の幻覚にも襲われかねない。

カメムシ先生「君が代訴訟」で敗訴確定!

怒りをあらわににする「日本の軍事化」を、危惧する小渡ハル子女史、沖縄の新聞ではお馴染みの名前だが、

自分の父親が戦後、違法行為の「メチル禍」でしかも神奈川県でなくなったのも「残虐な日本軍」のせいだと妄想する珍しいお方だ。

何でもかんでも日本軍のせいにしたがる小渡ハル子女史のことを7月のエントリから紹介したい。

違法のメチルアルコールで死んだのは事故責任、いや自己責任だと思うのですがね。

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メチル禍も日本軍の責任? <史実封殺>届かぬ沖縄の心 1

さて、今日から始まった琉球新報の連載特集の第一回目。

この特集の説明は次のように記されている。

教科書検定で、沖縄戦の「集団自決」の日本軍の強制の記述が修正・削除された件で、県代表団の撤回要求が“門前払い”された。

沖縄戦の史実の歪曲が踏みにじられた。 各界の関係者に自らの体験を交えて語ってもらうという。

社会面トップを飾る大げさな見出しは・・・。

<史実封殺> ーーーー届かぬ沖縄の心 1


戦後命絶った父

家族裂く戦  歪曲許さぬ

 

その第一回目だが、まがまがしい見出しとともに、写真入で小渡ハル子さん(76歳・県婦連会長)の証言を紹介している。

紙面構成からは日本軍の残虐性に対する証言者の怒りが滲み出している。

だがよく読んでみると、・・・。

「終戦後 命を絶った父」・・・父君は戦時中は神奈川に在住し、沖縄戦とは直接関わってはいない。

ましてや「命を絶った」のは、敗戦後の日本で流行した「メチル禍」(★下記解説)が原因であり、これも日本軍の残虐性とは全く関係ない。

新報記事では次のように記されている。

<・・・終戦後の46年2月。 神奈川で「沖縄は玉砕した」と友人から聞かされた父は、沖縄にいる全てを失ったと思い込み、友人とメチルアルコールを飲み、自らの命を絶った。>

「自らの命を絶った」という見出しとは如何しても重ならない。

「家族裂く」・・・も偶々運悪く、父君一人を神奈川に残して一家で里帰りした為、結果的に家族が引き裂かれる不運にあったわけで、これも日本軍の残虐性とは無関係。

 「歪曲許さぬ」・・・も、証言者は何一つ「日本軍の残虐性」を証明する証言をしていない。

にも関わらず、記事は最後は次のような小渡ハル子さんの怒りの言葉で結ばれている。

<「これでは『集団自決』した人たちが浮かばれない。母親集団として、検定意見を絶対に撤回させる。何度でも何度でも撤回するまでやる」と語気を強めた。今後県民大会が開かれれば、要請団の一人として文科省に出向き、多くの沖縄戦証言資料を沖縄の資料を突きつけるつもりだ。>

次々と新たに登場する年老いた証言者たちは、「教科書検定意見が集団自決そのものを否定・削除している」とでも思い込まされているのでしょう。

お気の毒に。

★メチル禍http://yabusaka.moo.jp/kai1945.htm

・・・日本では終戦直後から軍が放出したものが闇市場に流れ、猛毒性を知りながらメチル入り酒の販売が行なわれていた。そのため1年間で、報告されただけでも2000件のメチル禍が起こっており、1500人以上が死亡するという大惨禍をひき起こしていた。1946年になってもメチル入り酒は野放し状態で、死亡者はさらに急増した。46年1月から9月までの総被害者439名中292名(70%)が死亡、60名(13%)が失明したため警視庁では警鐘を鳴らす談話を発表した。ちなみに失明することから「目散るアルコール」とも言われていた。
 こうしたメチルアルコール中毒死事件は戦後の混乱期に多発したが、人々の暮らしが落ちついてくるとともになくなっていった。
 また同様の中毒死事件は04年5月に中国・広州でも起こっている。その後の捜査でやはりメチル入りの偽造酒が押収された。

 

メチル禍も日本軍の責任? <史実封殺>届かぬ沖縄の心 1

うーん、沖縄戦の体験も無く戦後神奈川県で、酒の代わりに違法のメチルアルコールを飲んで亡くなられた父親も日本軍の責任、自分は沖縄にいて父親と「引き裂かれた」のも日本軍の責任では、沖縄で戦死した日本の兵隊さんも浮かばれないでしょう。

いや、この方が被害妄想に駆られるくせがあるのならこれを報じた琉球新報の方が責任は重いのかもしれない。

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【おまけ】

今日はクリスマスイブだが休日に当たる。 昨年の今日のエントリを見たら日曜日でやはり休日のようだった。

今日の沖縄は雨らしいが、異教徒の筆者にはクリスマスイブなんて、「そんなのかんけーねぇー!」。(早く使っておかないと賞味期限が迫っている気配)

で、おまけは?

そうでした去年は「忘年会のネタ」でした。

以下再掲です。

                     ◇

今日は日曜日のクリスマスイブ。

クリスマスを祝い、大晦日にはお寺の除夜の鐘を聞き、その足で神社に初詣でに行く多神教徒は日本では珍しくない。

そういえば沖縄波の上の護国寺と波の上神社は隣あって在り、同じ敷地内にあるように思える。

除夜の鐘の生の音を聞いたその足で隣の神社で初詣が出来る。

いや、鐘の音を聞きながらお賽銭を投げられるほどだ。 

両施設に行ったことのある息子にこの二つの違いを聞いてみたら

「一緒でしょ?」と簡単明瞭。

沖縄では「本地垂迹」が現代でも生きている。

恐るべしチャンプルー文化。

それとこの時期になると何故かクラシック音楽が盛んになり、プロ、アマを含めて多くのオーケストラがベートーベンの「第九」を演奏する。

これに参加するアマチュア合唱団がシラーの詩の原語を覚えるのに四苦八苦する話が良く話題になる。

クリスマスイブの日曜日に忘年会をする物好きががいるかどうかは別にして、これから年末にかけて忘年会が目白押しの人もいるだろう。

そんな人にかくし芸ネタを一つ。

誰でも知っている有名なメロディーに乗せて、ベートーベンの「第九」合唱部分の「歓喜の歌」のサワリを原語で歌うこと。

ドイツ語歌詞

「フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン」

ここまで覚えて後は知っているドイツ語らしい単語を羅列すれば済む。

例えば

バウムクーヘン(お菓子)、ベッケンバウアー(サッカーのヒーロー)

ヒンデンブルグ(ドイツ大統領)、

エンゲルベルト・フンパーディリンク(歌手)・・・この辺になると古すぎる?

他にもたくさんある。  

菩提樹(リンデンバウム)とか。

あ!そうそう、肝心な人物?を忘れていた。

フランケンシュタイン

そして、愛ん手多淫、・・・失礼、変換ミスです、吾飲酒多飲、でも無く

アインシュタイン。

(カタカナ有名人を部分変換しようとするととんだしっぺ返しを食う)

 

でも肝心の「フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン」の部分を覚えるのが舌を噛みそうで大変だって?

大丈夫。 今朝の日経が覚え方を指南している。

風呂出で(フロイデ)。

詩へ寝る(シェーネル)、

月照る糞犬(ゲッテルフンケン)

 

余裕があれば

蒸す(ムス)、愛ん(アイン)、利減る(リーベル)、負当てる(ファーテル)、忘年(ヴォーネン)!

もあわせて覚えるとウケること請合える。

ただしウケるコツはネタ晴らしが必要。

本地垂迹http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9C%B0%E5%9E%82%E8%BF%B9%E8%AA%AC

                     ◇

春秋(12/24)

 喜びよ。美しき神の霊感よ――。年末のベートーベン「第九」が日本に定着した時期は、高揚感が国中を覆った高度成長期に重なる。だが人が友愛で支え合い生きる力を歌うシラーの詩は、自殺や虐(いじ)めが増える今の日本でこそ響かせたい。

▼東京向島の料亭の芸者衆の合唱団が、ドイツ語の歌詞の暗記で苦労したという85年の記録がある。そこで上智大独文科の学生だった吉井実奈子さんが“虎の巻”を考えた。たとえば冒頭はこんな調子。「風呂出で(フロイデ)。詩へ寝る(シェーネル)、月照る糞犬(ゲッテルフンケン)」。原意とはかけ離れているが人生を明るく楽しむ気持ちが伝わってくる。

▼今宵(こよい)クリスマスイブ。第九の最終楽章のように1年の最高潮のはずだが街の風景がどこか寂しげに映るのは気のせいか。仕事や育児、介護に追われ、孤独や鬱(うつ)病に悩む人の話をよく耳にする。出生率が落ち、日本の人口は半世紀後には1億人を割るという。国の将来に希望を抱けない気分のまま年は越したくない。

▼ここはひとつ「喜びの歌」を覚え、内籠(ご)もりの心の扉を開こう。人は皆独りぼっちではない。金銭だけが幸せの源ではない。シラーの原詩は「この星空の上に、愛する父なる神がきっと住んでおられる」と歌う。虎の巻版はこうだ。「蒸す(ムス)、愛ん(アイン)、利減る(リーベル)、負当てる(ファーテル)、忘年(ヴォーネン)!」。――楽しいイブをお過ごしください。

【蛇足】

テレビを掛けっぱなしで書いていたがフジテレビ「報道2001」のエンディングに稲垣潤一の「クリスマスキャロルの頃には」を流していた。

以前から気になっていたことだが、歌詞の冒頭で

「ク ・ リ ・ ス ・ マ ・ スキャロルの」というくだりが気に食わない。

「クリスマ」までのブツ切れ歌詞は我慢もしよう。

だが「スキャロル」(そう聞こえる) とは、一体どこの言葉だ!

 


教科書検定で「強制」の記述認めず 

2007-12-22 09:35:51 | 教科書

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  • 「強制」の記述認めず 教科書検定審 出版社が再修正(12月22日 朝刊)
  •  沖縄戦の集団自決での日本軍の強制性を巡る日本史高校教科書検定問題で、教科書検定審議会日本史小委員会は「強制」と明記した訂正申請の記述は認めず、教科書出版社が記述を再修正したことが、関係者の話で分かった。

     この問題で検定審は、複数の沖縄戦などの研究者の意見を書面で提出を求めた上で、集団自決には「複合的な要因」があったとの見解をまとめている。軍官民一体の沖縄戦で、軍が手りゅう弾を渡したり、教育訓練で捕虜になることは許されないなどの感情を植え付けたりしたことがあった一方で、直接的な軍命令があったとする証拠は確認されていないとの内容だったとみられる。

                                                ◇

    おめでとう!

    教科書問題における「軍命なし派」の完全勝利である。

    このニュースを伝える地元新聞のウェブ記事更新は遅いので中日新聞を引用したが、むしろ余分な感情を排して少なくとも琉球新報記事よりは分かり易い。

    今朝の琉球新報は一面で、

    <集団自決 検定>   

    「強制」外しで調整

    文科省調査官  教科書会社  表現大幅後退も

    と報じているが、何かもう一つ諦めが悪い印象だ。

    今までの異常ともいえる「教科書検定意見撤回」運動の大キャンペーンの手前、引っ込みが付かない気持ちも分からぬではないが・・・。

    その点中日新聞の報道の方が冷静に現実を受け止めて報じている。

    タイムスも新報も厳粛に現実を受け止めるべきである。

    >教科書検定審議会日本史小委員会は「強制」と明記した訂正申請の記述は認めず、教科書出版社が記述を再修正したことが、関係者の話で分かった。

    簡単なことで、教科書に軍の強制と明記した記述は認めない、・・・ということは「軍命あり派」の完全敗北ということになる。

    >複数の沖縄戦などの研究者の意見を書面で提出を求めた上で、集団自決には「複合的な要因」があったとの見解をまとめている。

    >軍官民一体の沖縄戦で、軍が手りゅう弾を渡したり、教育訓練で捕虜になることは許されないなどの感情を植え付けたりしたことがあった一方で、直接的な軍命令があったとする証拠は確認されていないとの内容だったとみられる。

    結局、沖縄戦の専門家に意見を求めても、

    「軍命あり派」の唯一の証拠とされる「手りゅう弾」配布を検証しても、

    当時の軍国教育を考慮しても、

    直接的な軍命令があったとする証拠は確認されていないということ。

    だとしたら「軍命、強制」を削除した「検定意見書」は従前どおり効力を発したことになる。

    あれほど世間を騒がした教科書検定意見撤回」運動が、

    潰え去った瞬間だ。

    国を貶める運動に狂奔した勢力の完全敗北である。

     

    文科省の皆さん、

    教科書検定審議会の皆さん、

    サヨクの執拗な圧力を配して毅然と正論を貫き通したことに敬意を表します。

     

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    みの、国際試合で韓国に感激 ◆あいまいさ言葉「関与」

    2007-12-20 07:03:59 | 教科書

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    みの、韓国に感激 「おかげ様」で日本もやり直し2007/12/19              
       クウェートを中心に中東にはめっぽう甘く、日本や韓国には厳しい笛が鳴り響く「中東の笛」というのがあるそうだ。審判がこの"魔法の笛"を駆使したハンドボール北京五輪アジア予選に待ったがかかった。


       アンフェアな判定に対し、日本と韓国が予選やり直しを要請していたことについて国際ハンドボール連盟(IHF)は12月18日、今年8月と9月に行われた男女の五輪アジア予選のやり直しを決めたのである。

       『朝ズバッ!』は、そのアンフェアぶりをVTRで一部再現した。9月に行われた五輪アジア予選男子、日本vsクウェート戦、審判はイラン人2人。

       クウェート選手によるブロッキング(相手の進行を邪魔する行為)やホールディング(相手プレーヤーの腕、手を捕まえる行為)が続出しても甘い判定、日本選手が同じ行為をすると笛が鳴り一回で退場。結局、29対27で惜敗。日本は予選3位となり北京五輪への出場を逃した。

       スポーツ競技の場で、何故アンフェアな「中東の笛」がまかり通るのか?

       ハンドボールはクウェートでは国技級の人気スポーツ。アジアハンドボール連盟会長はクウェート出身の王族、シェーク・アーマド。同連盟本部もクウェートにあり、中東諸国で要職を占めているという。

       日本ハンドボール協会の市原則之副会長は「ひどい時にはアーマド自身が(競技の場に)下りてきてレフェリーを替えたり、抗議したりしていた」というほど。

       そこで、みのが持ち出したのは、イラクのサダム・フセインによるクウェート侵攻を機に勃発した1991年1月の湾岸戦争。日本は総額130億ドルを支援した。

       みのは「どれだけの大金を拠出したと思っていますか?ありがとうの新聞広告を出したが、日本の名前はなかったんですから。そういうことを忘れちゃいけないんだ、我々は」と、ここぞとばかり吠えまくった。

       最後にみのは、今回のIHFへの要請が韓国主導で行われたことに、ことのほか感激を示した。日本は国際競技の場ではあまり主張せず、弱腰が目立つのを、暗に批判したのかも。(TBSみのもんたの「朝ズバッ!」)

                                                  ◇

    上記はTBSみのもんたの「朝ズバッ!」をテキスト化したものです。

    >日本は国際競技の場ではあまり主張せず、弱腰が目立つのを、暗に批判したのかも。 

    国際競技も、国際政治(外交)もルールをタテに外国と戦うという点では根っこは同じ。

    国内的には「不言実行」や「沈黙は金」「言わぬが花」「(弁明せずとも)惻隠の情」といった日本人的美徳も、

    国際舞台では人好しとして馬鹿にされるのがオチである。

    馬鹿にされるのはスポーツであれ政治であれ同じこと。

    みのもんたが指摘するまでもなく次の例を日本外務省は忘れてはいけない。

    >イラクのサダム・フセインによるクウェート侵攻を機に勃発した1991年1月の湾岸戦争。日本は総額130億ドルを支援した。

    >みのは「どれだけの大金を拠出したと思っていますか?ありがとうの新聞広告を出したが、日本の名前はなかったんですから。そういうことを忘れちゃいけないんだ、我々は」と、ここぞとばかり吠えまくった

    最近では「慰安婦問題」を国際的に放置したがために、それが「20世紀最大の人身売買をした日本」という誹謗中傷が国際的に定着しつつある。

    「南京大虐殺」にしても政府は国際的プロジェクトチームを組んで歴史の歪曲に大声を出して抗議すべきである。

    他の点は学ぶ必要は無くとも、今回のIHFへの要請で韓国が示した猛抗議は大いに学ぶべきで日本の外交に最も欠ける点である。

                     。。。。。。。。。。。。。 
     

    ◆「関与」という言葉の曖昧さ◆

    日本語が主語や目的語を必ずしも厳密に扱わないという点で曖昧な言葉であることは認めるが、

    この曖昧さが必ずしも日本語の欠点とは思わない。

    むしろ日本語の特性、長所だとさえ思うのだが、ノンフィクションや歴史の記述となるとその曖昧さが欠点になる。

    「集団自決裁判」の被告大江健三郎氏は、ノーベル文学賞受賞記念講演で「あいまいな日本の私」と題した講演をしたという。

    なるほど大江氏は法廷での証人尋問でも曖昧な弁明で終始していたが、その著書『沖縄ノート』は曖昧を通り越してデタラメとしか言いようがないのだが。

    さて、その裁判にも関連する「教科書記述」問題で文科省の決断で問題になるのが「関与」という世にもあいまいな言葉の扱いである。

    文科省は当初「軍の命令や強制」という表現は削除しても「軍の関与」まで否定しているわけではないといっていた。

    となると「命令や強制」という言葉は記述しなくとも「関与」というあいまいな言葉を使って「軍の命令」「軍の強制」は十分に表現できる。

    渡海文科大臣が「11万人」集会の脅しを受けて「工夫と知恵と努力」で県民感情に配慮すると言ったのは「関与」という曖昧な言葉の濫用だったのか。

    歴史記述に曖昧な表現は許されない。

    今回の歴史教科書記述には軍の関与」或いはこれに類する述語の記述は「軍の命令」「軍の強制」と同列に扱って厳に記述岸にすべきである。

    高校の歴史教科書レベルでは「集団自決」の存在とその悲惨さを記述すれば十分であろう。

    一部には「軍の命令、強制の有無」について両論併記を主張する人もいるが、教える教師の資質にもよるがこれも百害有って一利なしだ。

    曖昧なことは記述せず、更に興味のある生徒は大学、大学院レベルで専門的に勉強すれば済むことだ。

    何よりも高校の授業で「世界史」は必修でも「日本史」は必修ではない国ではないか。

    何も選択科目の「日本史」の中の「集団自決」だけを取り上げて、

    あいまいな記述まで駆使して自国を誹謗する必要はない。

    関与といえばこんな事件もある。↓

  • 神奈川県警 警視が霊感商法関与か 職員十人超勧誘疑い(12月20日 朝刊)
  • 犯罪に関与すれば逮捕されるのでしょう?

     

    【付記】11:40

    沖縄タイムス(2007年12月19日(水)朝刊25面 )の関連記事記事転載を忘れていましたので下記に付記します。 
     
     
    教科書検定/「再訂正」各社出そろう【沖縄タイムス】

     文部科学省が高校の日本史教科書から、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に対する日本軍の強制を示す記述を削除させた問題で十八日、都内で教科用図書検定調査審議会の日本史小委員会が開かれた。各教科書会社から再訂正の申請が出そろったことを受けての開催とみられる。
     日本史小委員会では、審議委員に各社からの再訂正の内容について説明があったとみられるが、その可否についての結論は次回に持ち越した。

     関係者によると、少なくとも二社が、沖縄戦では住民に捕虜になることを許さなかった日本軍の方針が徹底されていたことなどの背景を付け加えた上で、「集団自決」には「軍の強制」もあったことを示す記述での再訂正を予定していた。

     ただ、同審議会は沖縄戦の「集団自決」について「直接的な軍命は確認できていない」として、「過度に単純化した記述」への懸念を示す指針を出しており、再訂正の申請に向けて教科書会社と文科省がやりとりする中で、記述が「軍の強制」を薄める内容に変更された可能性もあるという。

     渡海紀三朗文科相は記述訂正について年内には結果を示す方針で、教科書審議会の意見が決まるのを待って、来週内にも結論を明らかにするとみられる。


    「つくる会」が不承認意見書


     【東京】沖縄戦「集団自決(強制集団死)」に関する教科書検定問題で、「新しい教科書をつくる会」(藤岡信勝会長)は十八日午後、文部科学省を訪れ、民間教科書会社から申請される訂正の「不承認」を求める意見書を提出した。

     藤岡会長は「文科省は検定意見は撤回せず、『過度に単純化した表現を認めない』としており、『軍の強制』を明示した表現は不承認とするのが当然の筋道である」などとした。同会が意見書として文科省に申し入れるのは四回目。


    ◆関連:エントリ:

    曖昧な妥協は国を辱しめる 「軍の関与」も認めてはならない 

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