狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「毒おにぎり」・「おじや強奪」・「メチル禍」 三人組の悲惨な体験

2008-01-17 12:49:34 | ★集団自決

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

 文科副大臣「120点」 検定意見撤回実行委の要請を拒否 カメラ  (1/16 9:56)

【東京】沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」検定問題で、検定意見の撤回を求める県民大会実行委員会の仲里利信委員長(県議会議長)代表は15日午後、文部科学省に池坊保子副大臣を訪ね、検定意見の撤回と歴史教科書に「日本軍による強制」を明記するよう求めた。(略)

冒頭、池坊副大臣は「県民の気持ちを真摯(しんし)に受け止め、本当に誠実に取り組んできた。皆さんはそれ以降どういうふうに思っているのか話を聞きたい」と話した。>
 要請では、玉寄哲永県子ども会育成連絡協議会会長、小渡ハル子県婦人連合会会長、平良長政幹事(県議)がそれぞれ沖縄戦の体験談を話した。>

                     ◇

■「三顧の礼」も度が過ぎると・・。■

「仏の顔も三度まで」ともいうが、仲里利信県民大会実行委員長と玉寄哲永、小渡ハル子両副委員長の「三人組は」今度の政府への要請行動は同じ四度目の上京である。

「教科書検定意見撤回要請」を同じように四度も突きつけたことになる。

この三人組、断られても断られても繰り返せば目的を達せられる、と勘違いしているようだ。

こちらの誠意を伝える場合は「三顧の礼」もあり得るだろうが、

度を超すと「四顧の無礼」になるのではないか。

「三人組」の共通項は、三人とも沖縄戦の体験者で地元新聞に夫々衝撃的な沖縄戦の体験記を発表していることである。

だが、もう一つの共通点もある。

それは、三人とも沖縄戦の体験者ではあっても、

慶良間島の「集団自決」の体験者ではないということである。

■仲里→「毒おにぎり証言■

1仲里委員長は、当初仲井真県知事を担ぎ上げようとしたがこれに失敗すると、県議会が決議をした関係で否応なし?に実行委員長に祭り上げられた。

だが,仲里議長を一躍有名にしたのは「毒入りおにぎり」の証言であろう。 ⇒毒おむすび渡された 県議会議長、沖縄戦体験を語る

極度の食料不足でソテツの毒を抜いて食料にしていた時期に、

「毒入りおにぎり」を子どもに勧める残忍な日本兵の話は、

あまりにも衝撃的で日本全国は勿論、

海を超えてかのニューヨークタイムズにまで報道された。↓

「毒おにぎり」が海を渡る  仲里証言をニューヨークタイムズが報道

■玉寄→軍刀によるおじや強奪、換わりに手りゅう弾■

②玉寄哲永副委員長は、県子ども会育成連絡協議会会長という肩書と年齢(73歳)から勝手に想像そうするとご子ども好きの隠居さんが、子ども達の世話でもしているとの印象だが、テレビ画面で見ると髪の毛を後ろでちょんまげ風に束ね、激しく政府を糾弾するアジを飛ばす姿はとても隠居老人の印象ではない。

ちなみに「沖縄県子ども会育成連絡協議会」は「子育ての環境を作る支援」が本来の業務のはずの県の外郭団体で、その会長がこのように政治運動に走ることは問題のはず。

この方の記事は連日地元紙をにぎわうが、経歴に関しては筆者は寡聞にして知らない。

だが、10月9日の四国新聞3面・時の人の紹介によると、玉寄哲永(73)沖縄県民大会呼びかけ人 戦後地元新聞記者、女性団体の広報担当から沖縄県こども会育成連絡協議会会長を30年、・・・だという戦後地元新聞記者、女性団体の広報担当、・・・なるほど臭ってきた。

玉寄氏は単なる子ども好きの隠居老人ではなく、「子ども会育成」と」言うより「プロ市民」というのが相応しいようだ。

玉寄氏は琉球新報の特集<史実封殺>③で次のように証言している。
母親が子供のために取っておいた最後のおじやを、軍刀を振り上げ要求した日本兵。

避難のため父親らが一晩かけて掘った穴を自分たちが使うから出て行けと言った日本兵。

貴様らこれを使え」と手りゅう弾を手渡す日本兵

十一歳当時のことだが、玉寄さんの目には今もはっきり焼きついている。>

 

次々出てくる証言者②  「集団自決」 証言で自爆

同じ小さな島で起きた証言も語る人によって「事実」が異なる。

「なべ底のおじやを、軍刀で強奪する日本兵」は、当時の食料不足から判断して、一歩譲って理解したとしても、

別の証言者が、その貴重な食料の「おむすびに毒を入れて泣く子に食わそうとする日本兵」との証言を信じるのは困難だ。(毒おむすび渡された 県議会議長、沖縄戦体験を語る

 

「貴様らこれを使え」と手りゅう弾を手渡す日本兵。

ここでも日本兵が民間人に手りゅう弾をいとも簡単に手渡す証言だが、実は係争中の「沖縄集団自決冤罪訴訟」の被告側が、

「軍命令があった」とする唯一の証拠が「手りゅう弾が民間人の手に渡った」という事実である。

日本兵から手りゅう弾を手渡された多くの住民が生き残って証言している事実と「軍命」の矛盾をこのお方は気がついていない。

軍命違反は銃殺ものだし、何よりもご本人は生き延びておられるではないか。

殆どの日本兵は故郷に家族を残して沖縄に着任してきた平凡な父であり、兄であったはずだ。

それが、マスコミのイデオロギー報道に毒されて、新聞に報道される日本兵は悪鬼のように扱われるような証言で埋められるようになった。

連日、新聞に登場する「証言者」は口を揃えて日本軍の“悪事”糾弾の証言をしている。

これら証言者たちに言わせれば沖縄守備隊(32軍)116,400人の兵士たちは犯罪者集団か鬼畜集団だったことになる。

 

■小渡→メチル禍の惨劇、家族分断■

③小渡ハル子県婦人連合会会長、は戦後沖縄から遠く離れた神奈川県でメチルアルコールを飲んで亡くなった父も日本軍のせいというお方だ。

メチル禍も日本軍の責任? <史実封殺>届かぬ沖縄の心 1

 

以下は去年の12月24日エントリー↓のの

悪いのは全て「日本軍」 メチルで死んだ父も軍のせい」

の再掲です。

さて、今日から始まった琉球新報の連載特集の第一回目。

社会面トップを飾る大げさな見出しは・・・。

<史実封殺> ーーーー届かぬ沖縄の心 1


戦後命絶った父

家族裂く戦  歪曲許さぬ

 

その第一回目だが、まがまがしい見出しとともに、写真入で小渡ハル子さん(76歳・県婦連会長)の証言を紹介している。

紙面構成からは日本軍の残虐性に対する証言者の怒りが滲み出している。

だがよく読んでみると、・・・。

「終戦後 命を絶った父」・・・父君は戦時中は神奈川に在住し、沖縄戦とは直接関わってはいない。

ましてや「命を絶った」のは、敗戦後の日本で流行した「メチル禍」(★下記解説)が原因であり、これも日本軍の残虐性とは全く関係ない。

新報記事では次のように記されている。

<・・・終戦後の46年2月。 神奈川で「沖縄は玉砕した」と友人から聞かされた父は、沖縄にいる全てを失ったと思い込み、友人とメチルアルコールを飲み、自らの命を絶った。>

「自らの命を絶った」という見出しとは如何しても重ならない。

「家族裂く」・・・も偶々運悪く、父君一人を神奈川に残して一家で里帰りした為、結果的に家族が引き裂かれる不運にあったわけで、これも日本軍の残虐性とは無関係。

 「歪曲許さぬ」・・・も、証言者は何一つ「日本軍の残虐性」を証明する証言をしていない。

★メチル禍http://yabusaka.moo.jp/kai1945.htm

・・・日本では終戦直後から軍が放出したものが闇市場に流れ、猛毒性を知りながらメチル入り酒の販売が行なわれていた。そのため1年間で、報告されただけでも2000件のメチル禍が起こっており、1500人以上が死亡するという大惨禍をひき起こしていた。1946年になってもメチル入り酒は野放し状態で、死亡者はさらに急増した。46年1月から9月までの総被害者439名中292名(70%)が死亡、60名(13%)が失明したため警視庁では警鐘を鳴らす談話を発表した。ちなみに失明することから「目散るアルコール」とも言われていた。
 

 

                     ◇

■「三人組」に共通する「悲惨な体験」■

仲里委員長、そして玉寄、小渡両副委員長の「三人組」は

「毒入りおにぎり」、

「軍刀でおじや強奪、貴様らはこれをと、手りゅう弾」

「メチル禍」「家族分断」

・・・といった「残酷非道」な日本軍の体験者でもある。

お気の毒に。

よろしかったら人気blogランキングへ クリックお願いします

コメント (2)    この記事についてブログを書く
« 武器輸出は国の防衛に貢献する! | トップ | 沖縄タイムスと西日本新聞の... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (涼月)
2008-01-17 17:53:23
強制三点セットですな
返信する
Unknown (狼魔人)
2008-01-18 18:06:51
涼月さん

「迷惑三人組」でもあります。
返信する

コメントを投稿