ダチョウ肥後 僕とオッカーと時々沖縄(2007年7月11日)
お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」のリーダー肥後克広(44)が、故郷・沖縄と母への思いをつづった著書「なんくるないサー!~オッカーと僕とアメリカだった沖縄と~」(晋遊舎)が評判を呼んでいる。(略・・全文読むなら上記クリック)
◇
漫才師の島田洋七の「佐賀のがばいばあちゃん」に対抗したのか、
お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の肥後克広が「沖縄のなんくるオッカー」という本を出版した。
「がばいばあちゃん」はベストセラーになり、テレビドラマや映画化もされた。
柳の下のどじょうを狙ったのだろうが、
「がばいばあちゃん」は今や全国区になってしまった。
おかげで正確な意味は知らなくとも「がばい」と言う佐賀方言も全国区になりつつある。
ちなみに「がばい」は宮崎方言で「すごい」と言う意味。http://dic.yahoo.co.jp/newword?ref=1&index=2005000568
ところで我らが「なんくる」は「がばいばあちゃん」の登場まではテレビ露出度は「がばい」に勝っていた。(と信じている)
好きな沖縄語のランキングで 「なんくる」が第一だと聞いた。 なるほど検索しても次のようにナンにでも「なんくる」がついてくる。 | ||||||||
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「なんくる」は「ひとりでに、自然に」、といった意味だが、「なんくるないさ」として、
「自然に出来るさ」、「何とかなるさ」といった意味でよく使われている。 ラテン的な「ケセラセラ」にも通じる言葉だ。
いかにものんびりした語感と「何とかなるさ」の楽天的語感もすんなり受け入れられる理由だろう。
だが、語源の解明となると「なんくるないさ」と、簡単にはいかない。
なんくる(NANNKURU) + なる(NARU) + さ(SA)
ここで「なる」はそのままの「成る」、「さ」は接尾語。
「なるのNARU が NARIに変化してNARISA。
そしてRが消えて NAISA。
そして目出度く、
NANNKURUNAISA・なんくるないさの誕生となる。
だが、これで終わりではない。
肝心の「なんくる」が未解決。
ナンクルを解明することは一筋縄ではいかないのだ。
先ず沖縄語で「私」のことを「わん」と言うが、これは我・吾(われ)から来ている。
◆われ 【我/吾】が「わん」に変化する過程。
吾れの(WARENO)⇒ 吾れん( WAREN)⇒吾ん(WAN)⇒わん
同じような変化で
◆ナレ(汝)はナンに変化する。
日本語には、「吾(われ)」と「汝(なれ」」の入れ替わりが行われる場合がある。(★注)
「吾から」は「汝(なれ)から」と入れ替わり、
「汝(なれ)から」が「なんくる」に変化していく。
つまり「自ずから」の意味の「吾から」が、「汝(なれ)から」、
そして「なんくる」と訛って行き意味はそのままで「自ずから」「ひとりでに」となる。
さて、何とか「なんくる」の出自を解明したが、
「沖縄のなんくるオッカー」は「佐賀のがばいばちゃん」に勝てるやら。
◇
★注:日本語には、「吾(われ)」と「汝(なれ」」の入れ替わりが行われる例。
なれ 【汝】が、「おの(己)」の転用で、うぬ 【汝/▽己】 に変る。
そして二人称で相手を罵る場合、汝(なれ)が己(おのれ)に変る。
つまり「おのれ」は相手を罵倒する二人称でもあり、自分を表す一人称としても使われる。
それがを端的に表す御馴染みの言葉は「自惚れ(うぬぼれ)」。
沖縄語講座勉強になります。
「なんくる」の語源理解しました。(でも本当は生活に根差した言葉なので、理解していないと思います。)
諺にも「案ずるよりは生むが易し。」とかがあります。でも、近い将来現実に起こりえることには、普通は事前に対策を打ちます。
「人事を尽くして、天命を待つ。」とも言います。
沖縄の人達が、その意味で「なんくる」を使用しているならいいのですが、人事を尽くさないで何とかなるさ。では無責任のような気もしますが。
話は変わります。「鉄の暴風」の沖縄タイムスは、集団自決の軍命説が、狼魔人様が先にWILLでお書きになったように、「狭いシマ社会の中では多様な呪縛があり、自由な証言を拒んでいる。」
そんなシマ社会にあっては軍命説が通用しても、それが全国展開したとき、自分達の命取りになると予想しなかったのでしょうか。ましてや沖縄タイムスは間違いを認め、一度は梅澤さんに謝罪したはずです。
それとも、大江健三郎を担いで強硬突破すれば、一軍人の言い分などは「なんくるなる。」と思ったのでしょうか。
私には、とてもこの問題は「なんくるなる。」問題ではないと思いますが。
沖縄語講座はあくまで独断と偏見の解釈ですのであしからず。(笑)
集団自決とは言ってもその実、追い詰められた住民の自暴自棄とパニックの結果だったことが少しずつ浸透して来ているようです。
「集団自決」は、自分が犯した「殺人」と「公文書偽造」、「公金詐取」を逃れる為の言い訳としては絶対必要だったのです。
それに「狭いシマ社会の中では多様な呪縛があり、自由な証言を拒んでいる。」が加わって問題をわかりにくくしていたのです。
沖縄語講座はあくまで独断と偏見の解釈ですのであしからず。(笑)
集団自決とは言ってもその実、追い詰められた住民の自暴自棄とパニックの結果だったことが少しずつ浸透して来ているようです。
「集団自決」は、自分が犯した「殺人」と「公文書偽造」、「公金詐取」を逃れる為の言い訳としては絶対必要だったのです。
それに「狭いシマ社会の中では多様な呪縛があり、自由な証言を拒んでいる。」が加わって問題をわかりにくくしていたのです。
こんな小話ありましたっけ?
某コールセンターにて、
お客様とのコミ力に欠けると
年下の上司(TL)にキツイお叱りを受けたA氏
思わず上司に向かって
「たーがしーじゃか」と言ってシマッタ。
TLは本土の人だったので、話が通じず
キョトンとしていたとか。
A氏が「わかるよね~」と詰め寄らなかったので
事は 丸く収まった。
そしてA 氏は、その事を見ていた同僚にこう言われたそうだ。
「あんた良かったね TLがわかったらあんたの人生チンダミしてたよ 」
「チャメッ チャメッ チャメッ ... 」と
コールセンターのコンプライアンスは
「お客様は神様です。」?
「神である証拠を出して下さい」とクレイマーに仰っても
「悪魔の証明だ!」「エビデンス? ねーよそんなもん!」
と罵られるのがオチです。
ウチナーンチュのクレイマーであれば、
「たーがしーじゃか」と言えば済む事かもしれませんが。
多文化共生、多様性が求められるグローバル時代です。
島人(しまんちゅ)はチンダミをどう調整するのでしょう?
オープンチューニングに琉球音階をのせて、
ハーモニーを奏でる事が求められるのでしょう。
唐ぬ世から 大和ぬ世
大和ぬ世から アメリカ世
アメリカ世から また大和ぬ世
ひるまさ変わゆる くぬ沖縄
時代が代わり周りの景色が変わっても
変わらないもの それが島人ぬ【宝】
テレビでは映せないラジオでも流せない
新聞にも載らない【味】わい深いのが
それが島人。
令和の始まりです。
お話は終わりです。
by ひまんちゅ
参考URL
ドゥチュイムニィ 作詞作曲 歌 佐渡山豊
https://www.youtube.com/watch?v=C__zDSFYH6E