虎っ娘ランナーのランニング日誌

マラニックバッグにタイガースメガホンをさして国道2号線を西へひた走るランナーを見かけたら・・・、それは私です。

男子マラソン応援ラン

2007年08月26日 | ランニング

2007.8.25
浪速の街を世界のトップスリート男子が駆ける!

こんな世紀のビッグイベントを見逃してなるものか!
と、早起きして大阪城噴水広場へと、マイコースをランでいく。

自分の汗と涙が沁み込んだこの大阪城のコースを世界レベルの男子マラソンランナーが駆け抜けると思うと、ミーハー的に感慨深い。
(それがど~した?って言われればそれまでだが。)

この日の天候。
日差しはさほど強くはないものの、家から6キロ程のランだけでも、噴出すほどの大粒の汗。相当な湿度の高さだろう。
(後でわかった。スタート時の気温29度、湿度78%。)
やはり、各選手とも相当抑えたタイムで入っている。
過酷なサバイバルレースの展開となりそうだ。


10キロ地点。優勝したケニアのギベト選手はすでにトップ集団にいたわけだ。

       
第二集団には、ニッポンのエース尾方選手の姿が!

丁度横に陣取っていたのが尾方選手の応援団だった。
          
のぼりに「熊野」というの文字があるので、
「はて熊野?そんな選手いたっけ?」と不思議に思って聞いてみてわかった。
彼は広島県熊野の出身だったのだ。

広島→オガタ・・・・・・・、と言えば!

そう!広島カープの尾形選手。(漢字はちょっと違うし、彼は北海道出身だが。)
先日の巨人戦で、9回サヨナラ本塁打を放ちお立ち台で涙した殊勲者。
よ~やった!尾形!
ありがとう!尾形!
君のおかげでウチは負けても首位とのゲーム差2.5と変わらずに済んだんだよ~!

とは、あまり大きな声では言えない。
なぜなら、この世界陸上のメインスポンサーはY新聞だから・・・。


で、陸上の方の尾方選手。
結果は、日本勢では一番とは言え惜しくも5位。
北京五輪の出場権は得られなかった。

アフリカ勢の選手達の研ぎ澄まされたような筋肉を直近で見た後、後続の日本人選手を眺めると、体型だけですでに勝負あったかと思ってしまうほどだ。
そんな中での34歳、尾方選手の奮闘は立派だった。
大阪城28キロ地点では、まだまだ余力があるように見受けられたが、40キロ地点でのスパートで振り切られてしまったらしい。
惜しかった。
何故か妙に肩入れしてしまうのだ。
理由は、単純。金本さんと同郷のアスリート、だと今日知ったから。

出走85人中28人が脱落。6人が体調不良で酸素吸入などを受けたという今回のレース。
「熱中症になるかと思った。普通の人なら死んでいる」
とは、レース後の尾方選手の弁。

ありがとう、尾方選手!

私は、普通の人です!

北海道マラソンも気温30度近くだったら、またバスに乗りましょう!
タイガースの2007年ペナント一位通過を見ずして死んだらアカンもんなっ!

この後、レース後の熱気を宿した大阪の地を通勤ラン。
計20キロを走って仮死状態に陥った・・・・
という、充実の男子マラソン応援ツアーでありました。