天路歴程

日々、思うこと、感じたことを詩に表現していきたいと思っています。
なにか感じていただけるとうれしいです。

夕顔

2013-01-02 10:41:55 | 小説
俺はかたまってしまった。思考が止まる。あたふたしてしまい、言葉がでてこない。
「あ、あのごめんなさい。俺、俺…。」
顔が熱くなる。俺は頭を下げた。澤部さんは優しく言う。
「隆君が謝ることないのよ。気にしないでね。気まずい思いをさせて、逆に申し訳ないわ。顔を上げて。」
俺は恐る恐る顔を上げた。澤部さんはいつもの穏やかな表情だった。でも、俺は見てしまった。澤部さんの目によぎるものを。張りつめていた何かが破れるのを。築いてた壁が崩れるのを。俺は見てしまった。澤部さんの闇の深さを。痛みを。悲しみを。俺は無力だった。何もできやしない。だからこそだろうか。俺は完全に澤部さんの虜になってしまった。恋に落ちた瞬間だった。
澤部さんは腕時計を見た。
「もうそろそろ行かなきゃ。話せてよかった。楽しかったよ。それじゃあ。」
「待ってください。」
俺の真剣な口調に澤部さんの動作が止まった。
「澤部さん、また会ってください。偶然とかじゃなく、会いたいんです。」
澤部さんは困った顔をする。
「無理ですか。駄目ですか。でも、俺、澤部さんのことが好きなんです。会いたいんです。会ってくれないのなら、毎日でも本屋に通いつめます。」
俺は必死だった。澤部さんはつぶやく。
「私みたいなおばさんのどこがいいの。」
「そんなこと、どうでもいいんです。俺は澤部さんじゃなきゃいやなんです。」
澤部さんの瞳が揺れた。俺は澤部さんの目をのぞきこみ続けていた。

澤部さんはなぜかかたくなに俺に連絡先を教えてはくれなかった。でも、妥協案を出してくれた。週に一回、土曜日に会ってくれることになったのだ。仕事帰りに、澤部さんが俺の家の近所にある公園に立ち寄る。そこで二人会うことにした。そこまで決めても、澤部さんは気が進まないようだった。
「仕事終わるの遅いし、やっぱり止めない。」
「嫌です。」
俺はきっぱりと言った。
「だって、私が仕事終わってからだと、隆君と会うの、夜十一時くらいになるんだよ。」
「別に俺はかまいません。」
「おうちの人が心配するでしょ。」
「俺は信頼されてるから、大丈夫です。勉強の気分転換に散歩するてちゃんと理由を言えば、信用してくれます。」
「ご両親の信頼を逆手にとるのは良くないわ。」
「本当に勉強の気分転換になります。嘘じゃありませんよ。」
俺はこのチャンスをふいにする気はなかった。澤部さんはため息をついた。また腕時計を見た。
「あ、もう本当に行かなきゃ。じゃあ、またね。」
澤部さんは慌てて、立ち去った。それでも俺は満足だった。最後の言葉が「またね。」だったからだ。また会えるのだ。俺は有頂天になっていた。

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