最初に母が酔っているのを見たのは、高校生のころだった。私は帰宅し、玄関のたたきで靴を脱いでいた。
「ただいま。」
いつもならすぐにおかえりと返ってくるのだが、その時は返事がなかった。今日からパートに行くと言ってたから、慣れないことして疲れたのかなと私は思った。弟とは十歳離れていて、その当時弟は小学校の低学年だった。母はずっと専業主婦だったが、弟も学校に行くようになり時間に余裕ができたので、パートに出ることにしたのだった。私は深く考えず、リビングダイニングに向かった。母はダイニングテーブルに突っ伏していた。酒くさい臭いが充満していた。テーブルにビールの缶とワインの瓶が転がっていた。私は驚いた。今日はパートの出勤日で、朝はあんなにはりきっていたのに。どうしたのだろう。
「お母さん、お母さん。」
私は母を揺り起こした。母は薄目を開ける。
「ああ、真理子、おかえりなさい。」
「どうしたのよ。」
母は体を起こす。ゆらゆらと上体が揺れている。ふふふと笑った。
「お母さんね、パート首になっちゃった。」
「え、初日で。どうして。」
母は泣き笑いの顔になった。
「パート先の店長あてにお父さんから電話があったらしいの。私の採用について苦情を言ったらしいわ。『ご家族の同意を得てから、働きに来てください。』だって。」
「はあ、なにそれ。未成年じゃあるまいし。家族の許可なんていらないでしょ。お母さんも働きたいなら、働きたいとそこの店長に頼めばよかったのに。」
「だって、お父さんの言うことは正しいし…。私は世間知らずだから、迷惑かける前にやめてよかったのよ。」
なにそのマインドコントロール。私はいらいらする。父は自分の思い通りに家族を動かそうとする。母は本当に父に従順だった。このパートははじめての母の意思表示だった。父は最初から反対していたが、母はそれを振り切ってことを進めたのに。最後の最後で父に屈してしまった。そんな母も母だが、母をことごとく縛り付ける父のひどいやり方に私は腹が立った。母の自尊心を徹底的に壊し、自分には何の価値もないと思い込ませる。それから、自分の思うとおりにコントロールするのだ。今まで父が母をほめたこともないし、ねぎらいの言葉をかけたこともなかった。いっけん筋道のたった論理で、母のいたらなさ(それは決して欠点ではない)を責めるのだった。父は他の家族、私や弟にもこの手法を使ったが、私は真っ向から反発していた。弟は彼が幼い頃は私が盾になっていた。大きくなってからは、彼はのらりくらりと父の矛先をかわしていた。まともに呪縛にかかって、母は苦しんでいた。自分の意思で行動しようとして、阻まれてしまった母。自分の存在意義を否定され、それを乗り越えることができなかった母の酔った姿を高校生の私は目の当たりにしていた。そしてこの出来事は、その後の私と母の関係を決定づけたのだった。
「ただいま。」
いつもならすぐにおかえりと返ってくるのだが、その時は返事がなかった。今日からパートに行くと言ってたから、慣れないことして疲れたのかなと私は思った。弟とは十歳離れていて、その当時弟は小学校の低学年だった。母はずっと専業主婦だったが、弟も学校に行くようになり時間に余裕ができたので、パートに出ることにしたのだった。私は深く考えず、リビングダイニングに向かった。母はダイニングテーブルに突っ伏していた。酒くさい臭いが充満していた。テーブルにビールの缶とワインの瓶が転がっていた。私は驚いた。今日はパートの出勤日で、朝はあんなにはりきっていたのに。どうしたのだろう。
「お母さん、お母さん。」
私は母を揺り起こした。母は薄目を開ける。
「ああ、真理子、おかえりなさい。」
「どうしたのよ。」
母は体を起こす。ゆらゆらと上体が揺れている。ふふふと笑った。
「お母さんね、パート首になっちゃった。」
「え、初日で。どうして。」
母は泣き笑いの顔になった。
「パート先の店長あてにお父さんから電話があったらしいの。私の採用について苦情を言ったらしいわ。『ご家族の同意を得てから、働きに来てください。』だって。」
「はあ、なにそれ。未成年じゃあるまいし。家族の許可なんていらないでしょ。お母さんも働きたいなら、働きたいとそこの店長に頼めばよかったのに。」
「だって、お父さんの言うことは正しいし…。私は世間知らずだから、迷惑かける前にやめてよかったのよ。」
なにそのマインドコントロール。私はいらいらする。父は自分の思い通りに家族を動かそうとする。母は本当に父に従順だった。このパートははじめての母の意思表示だった。父は最初から反対していたが、母はそれを振り切ってことを進めたのに。最後の最後で父に屈してしまった。そんな母も母だが、母をことごとく縛り付ける父のひどいやり方に私は腹が立った。母の自尊心を徹底的に壊し、自分には何の価値もないと思い込ませる。それから、自分の思うとおりにコントロールするのだ。今まで父が母をほめたこともないし、ねぎらいの言葉をかけたこともなかった。いっけん筋道のたった論理で、母のいたらなさ(それは決して欠点ではない)を責めるのだった。父は他の家族、私や弟にもこの手法を使ったが、私は真っ向から反発していた。弟は彼が幼い頃は私が盾になっていた。大きくなってからは、彼はのらりくらりと父の矛先をかわしていた。まともに呪縛にかかって、母は苦しんでいた。自分の意思で行動しようとして、阻まれてしまった母。自分の存在意義を否定され、それを乗り越えることができなかった母の酔った姿を高校生の私は目の当たりにしていた。そしてこの出来事は、その後の私と母の関係を決定づけたのだった。