天路歴程

日々、思うこと、感じたことを詩に表現していきたいと思っています。
なにか感じていただけるとうれしいです。

地上三センチの浮遊

2014-09-27 21:09:39 | エッセイ
「装うということ」



こちらの展示を見てまいりました。
1910年代から1930年代にかけての『ナショナルジオグラフィック』に掲載された写真及び、その頃の民族衣装やファッションが展示されていました。

『ハーパース バザー』や『ボーグ』などのファッション誌が出始め、女性がコルセットから開放され、スカートは短くなり、活動的な服装になっていった時代。「流行」の流れが速くなり、「洋装」が世界に行き渡る前夜の時代。

象徴的な写真が、展示されていました。1910年代、オランダのある都市の写真。流行のドレスで闊歩する女性たちと民族衣装で佇む女性たちが同じフレームに収まっているのです。
これはその当時の日本でもおこってたことです。洋装の女性(珍しかったでしょうが。)も和装の女性も混在してたはずです。和洋折衷な袴姿の「ハイカラさん」もいたことでしょう。

その当時の世界各国の民族衣装及び、「流行り」のファッションポートレートが展示されており、たいへん興味深かったです。

民族衣装は、「ハレとケ」「身分」「既婚か未婚か」などなどすべての社会的情報が織り込まれています。一目みただけで、装った人間が今日は教会に行くのか働くのか、王族なのか農民なのか、はたまた学者なのかがわかるようになっているのです。
逆に今に続く「モード」「ファッション」の世界は社会的な記号をはぎ取ることに価値を見出しているような気がしました。「気分」や「イメージ」というような漠然としたものに左右される。(それはかえって個性が画一化するという不思議な逆転現象が起こるのですが。)

今にも通じるファッションポートレート。ファッション誌の源流がそこにあることがわかります。その中でもココ シャネルのセンスはずば抜けていました。彼女のスタイルは今でもかっこいい。やはり、卓越した才能の持ち主なのでしょう。

民族衣装のポートレートは、「装う」ことは「生活」と同義語なのがよくわかりました。民族衣装は、その民族の髪や目の色、体型を引きたてるものです。そして、そこの気候、風俗、慣習、魂や誇りすべてのものがこめられているのです。民族衣装の色鮮やかさ、細やかな刺繍、隅々までに凝らされた美意識。今の「ファッション」がどれだけ味気ないものなのかがよくわかりました。

けれど今、
「民族衣装」に回帰することは残念ながら、私はないでしょう。

「機能性」や、「動きやすさ」、「楽さ」を追求すると、どうしても現状のものを選択してしまいます。