年をとった。鞠子は、鏡の中の自分に、あかんべをする。中身は変わらないのに、外見だけはメタモルフォーゼする。
年をとるのは、嫌なのか?と聞かれると、どうなのか、わからない。体は、衰える。美しさ(自分比であるが)は、衰える。無知という武器は、使えなくなる。けれど、「女性」としての無言の枷からは、楽になる。(女性にカウントされなくなるということなのだが、どうでもいい人に、女性とみなされなくても、構わない。)
では、人間として扱われるかというと、疑問だ。
「沼田鞠子」として、扱われるわけではない。
仕事場では、「長年勤務している、使い勝手がいい事務員」だろう。ま、自分自身も、それでいいと思っているので、不満はない。野心があるわけではないし、地味な手足がなければ、結局、組織は回らない。もちろん、肩書きや、見た目で侮られるのは、日常茶飯事。それを受け流すのも、毎度の事。塵芥のような扱いをする人間もいる。そんな時は、内心、「うわ〜。」と呆れることはある。同じ人間だとわかる程度の想像力さえ、持ち合わせない人間もいるのだ。あまりにも、浅くて狭い人間観に、笑いがこみあげてくるほどだ。腹が立つには、相手が稚拙すぎる。
目立たなくて、地味で真面目な仕事ぶりの鞠子は、「いてもいなくても、わからないけれど、いないと困る」らしい。
長年、働いていると、それなりの(地位ではなくて、居場所という意味で)ポジションを確立するのだろう。それは、自分の持ち味がわかってくるということだ。
鞠子は今、ホテルのパウダールームにいる。メイクを直す。と言っても、多少の手直し。チークを足して、口紅の色味を少し華やかにする。そして、シャネル N°5 をつける。若い頃は、恥ずかしくて、似合わなくてつけれなかったのに、今は、つけることができる香りになった。女性らしい香り。鞠子にとっては、なぜか、安らげる香りだ。
年をとるのは、悪いことばかりではない。
自分のために、小さな変身をする楽しみ。
自分にとっての、楽園を見つける楽しみ。
鞠子は、鏡の自分に微笑んだ。夜の扉を開ける儀式を終えて、鞠子は、パウダールームを出て行った。