天路歴程

日々、思うこと、感じたことを詩に表現していきたいと思っています。
なにか感じていただけるとうれしいです。

キスしてあげる

2013-05-28 13:14:37 | 
初めてきみに触れた
くるくる変わる春の空
まるできみのよう

ジェット機の爆音が
私たちに降り注ぐ

少しきみは顔をしかめる
その顔は少し幼くて
遠い昔に観た映画の
シャボン玉をふいていた
少年に似ていた

私は隠れてため息をつく

少し私が大人になって
きみにキスしてあげる

二人の関係に一歩を踏み出せない
臆病な私たち

少し私が勇気を出して
きみに好きだと言ってあげる

でも
うぬぼれないで

きみは私のことが好き
私と同じくらい
きみは私のことが好き

知っているのよ

もし
私の好きに
胡座をかいたら

私は
きみの腕からすり抜けて
逃げ出してしまうのよ




地上三センチの浮遊

2013-05-26 13:12:29 | エッセイ
「地に足をつける」
今回は、題名と逆のテーマになってしまいました。でも、生きる上でとても大事なことです。そして、自分自身に一番足りないと感じているものでもあります。

「地に足をつけて」生きている人を尊敬します。一口に「地に足をつける」と言っても、いろんな生き方があると思います。

自分が置かれた環境、自分を取り巻く状況を受け入れる。これは、「なすがままになる」とか、「あきらめる」という意味ではありません。どんなハードな状況でも、恨んだり、やけくそになったり、無気力になったり、攻撃的になったりせずに、自分のできることは何かと考え、行動することです。憎しみや無力感に自分の力を使わないということです。案外、負の感情、負の行動というのは、パワーのいるものです。自分の持っている力をそこに注がないことです。負の気というのは、ある意味、ジャンクフードみたいなもので、囚われてしまえば、はまってしまうものなのです。中毒にならないことが大事なのでしょう。「地に足をつける」とは、状況にふりまわされず、やるべきことをこなすことなのでしょう。それはとても大変なことです。はっきり言って、マイナスのものに落ち込んでしまうほうが、楽なのです。(矛盾しているようですが、不幸は快楽に近いところがあるのです。)

自分の夢や目標を持つことは、希望になります。ただ、夢想に閉じこもり、都合のいい幻想に漂うことは、これも中毒になるばかりの行為です。たまには、そんな甘い快楽に浸るのも悪くはないと思いますが。甘いキャンディーやチョコレートを禁ずるのは、ぎすぎすした世界で、私は嫌です。けれど、夢想は夢想。幻想は幻想。それは心に留めておくことは大切です。「地に足をつける」ことは、夢や目標にどんな色や形をつけるかということです。前述したことと重なりますが、その夢や目標に対して、自分がやるべきことをやることなのです。これもまた、大変なことです。想う行為には、代償はありませんが、現実の行動には、代償があるかもしれません。ただ、夢想は永遠に夢想です。自分がたち腐れていくばかりです。それを冷静に見据えることが、「地に足をつける」ことなのでしょう。

今回は自分に耳が痛いテーマです。けれど、ふわふわと漂う自分には、とても大事なこれからの指針でもあります。ちゃんと自分の足で立ちたいと思います。

地上三センチの浮遊

2013-05-21 19:44:13 | エッセイ
「かわいいもの」
かわいいものは好きですか。どんなものをかわいいと思いますか。かわいいものを愛でるのは楽しいことです。

小さかったり、いとけなかったり、隙があったり、愛らしかったりするものを「かわいい」と感じます。ただ、そう感じるものは、人それぞれかもしれません。ある人にはたまらなくかわいいものが、違う人にはそのかわいらしさが理解できないこともあります。多数の人がかわいいと感じても、自分にはピンとこない場合もあります。「かわいい」という定義は曖昧で、そういうところも魅力的です。

「かわいい」という感覚は、軽んじられます。女子供の感覚と受け取られことが多いです。でも、あえて言いたいと思います。女子供の感覚上等‼と。「かわいい」は、穏やかで、柔らかくて、ユーモアがあって、高度なセンスがないと理解できない感性ですから。直線的で攻撃的で、戦略と効率しかない世界には存在しません。そして、そんな世界は遅かれ早かれ、壊れてしまうでしょう。緩やかさや、遊びや、笑いや、ふくよかさがなければ、世界は維持できないのです。「かわいい」と感じる心は、自分に余裕がないと生まれてきません。「かわいい」ものを愛でる気持ちがない人は、ちょっぴり寂しい人かもしれません。

私の好きな「かわいい」ものを羅列していきたいと思います。子犬、オンブバッタ、雀、セキレイ、チェブラーシカ、くまのパディントン、赤いバレエシューズ、マドラスチェクのワンピース、桃、サクランボ、ベリータルト、どんぐり、兵児帯、『アップルパイの午後』、ブルネットの頃のブリジット バルドー、スピッツの楽曲。
まだまだ沢山ありますが、今は思いつきませんので、この辺で。世の中はかわいいもので満ちています。かわいいものを愛でるのは、幸せなことです。

追記 「かわいい」ものは、きらきらしています。生命力があるものです。未来を内包しているものです。ぴょんぴょん跳ねる何かを持っているからこそ、「かわいい」のです。

夜に紛れて女王は泣く

2013-05-20 20:25:06 | 
常に顔を上げ
相手から目を逸らさず

脅迫に屈することなく
甘言に騙されることなく
戯言に耳を傾けることなく

女王は玉座に座る

選ばれしもの
誇り高きもの

静かに
厳かに

一つきりの玉座に座る

あてこすりにも
ほのめかしにも

眉毛ひとつ動かさず
真意を読み取る

おべんちゃらにも
愛想笑いにも

心ひとつ動かさず
さらりと受け流す

賢しい女王
鉄の女王

かの女王に心はあるのか

昼夜囁かれる
誹謗中傷

女王は女王たる
責務を果たす

それだけを胸に宿す

行動の炎と
洞察の氷を携えて

一人きりの玉座に座る

女王には動かすべき
船がある

方向を定める羅針盤は
自分の心の中にのみある

表情を変えることなく
舵をとる

大勢の中の孤独
落下は許されない綱渡り

女王は玉座に座る

女王たる女王として

夜ふけ

玉座から降りた女王は
頭に戴く冠も取り去る

女王から解放された一瞬

そっと寝床から抜け出し
バルコニーの扉を開ける

蜂蜜色の月の光が
まろやかにさしこむ
瞬く星の光が
雲母のようにきらめく

女王ではない女王は
はらはらと涙を流す

女王ではない女王は
静かに静かに涙を流す

夜に紛れて女王は泣く
夜に紛れて一人で泣く

























無風地帯

2013-05-19 20:57:44 | 小説
私は母方の祖母が残してくれた長屋の一角に住んでいる。祖母も母も亡くなった今、私は一人で暮らしている。小さな台所と六畳の居間と四畳半の寝室。古いが、浴室とトイレもちゃんと付いているのはありがたかった。女性の一人暮らしなら、充分すぎるくらいだ。しかも、住んでいる部屋は祖母が買い取っていたため、毎月の家賃が発生しない。薄給の私にとっては天の恵みだった。居間には、祖母の形見である卓袱台と古い洋服ダンス、それと揃いの鏡台と飾り棚が黒光りして鎮座している。ちゃんと愛され、手入れされてきたこれらの家具はまだまだ現役だった。私は、そんな家具たちを気にいっていた。手をかければ、ちゃんと応えてくれるのだ。たまに、それらを家具用の蜜蝋ワックスで磨くことがある。磨いたら磨いた分だけ、滑らかに、艶やかになる。頑張ったら頑張った分、目に見えて美しくなるのは楽しいものだ。後は、私が買ったパソコンとソファー替りの折りたたみマットが居間には置いてある。古いあめ色の世界に私が買ったものたちが闖入している。その不恰好さは、自分に似つかわしいと私は密かに思っていた。だから、そのバランスの悪ささえも、私には安らぐのだった。古色蒼然とした部屋に私は守られているのだ。