天路歴程

日々、思うこと、感じたことを詩に表現していきたいと思っています。
なにか感じていただけるとうれしいです。

音が終わる

2019-07-30 06:23:27 | 
最後のピアノの一音

余韻も消えた

広がるのは静寂

それは泡だった

あんなに虹色に輝いていたのに

飛び跳ねていたのは

夏の思い出

手に入れたものは

螺旋の迷宮

私はただ一人

立ちすくむ

無音の巻き貝

私はただ一人

惑うだけ

ひとりの扉

2019-07-13 20:11:48 | 
雨音は

なぜ

心が捩れるほどやるせなく

それでいて

心が波立つほど甘いのだろう

ひとりでいるのが

寂しくない私は

こんなに

雨音に幸福の匂いを感じて

そんな

自分に後ろめたさを感じる

罪の意識は

どこからくるのか

きっと

真面目な自分が

自分に課したモラルに縛られ

苦しんでいるのだろう

何も

もたらさなかった自分に

罪人の烙印を押したのは

自分

自由を選んだのも

自分

引き裂かれる自我

それでも

私は

ひとりで

雨音を聞く






地上三センチの浮遊

2019-07-13 19:57:56 | エッセイ
「とても悲しい」

どんな理由があっても、どんな気持ちでいたとしても、暴力を振るって欲しくありません。

どんな理由があっても、どんな気持ちでいたとしても、暴言は吐いて欲しくありません。

けれど

いろんな言い訳の元、行われているのが現状です。

「必要悪」「愛の鞭」「現実的対応」

力の強い者が、力の弱い者にしている行為だというのに。

1番簡単で、1番黙らせやすいやり方だからではありませんか。

どんな人間においても、どんな組織においても、 「感情」を伴わない力の支配はありません。 「感情」のはけ口ではない、暴力、暴言はあり得ません。

どんな美辞麗句で飾り立てても、高圧的な態度は、人間の可能性を自ら捨てることです。

暴言暴力をふるう人間は、動物以下です。(こんなことを言うことは、動物に対してすら、失礼なことですが。)

「殴らないで」
「怒鳴らないで」

これは、「お願い」しなければならないものなのでしょうか。

自分と同じ人間という思いがあるならば、相手を尊重することができるはずなのに。(ないから、ぞんざいな態度を取るのですが。)

その不遜な態度は、どれだけ無様で不細工か。

裸の王様の愚かさは、客観性に欠けることからはじまっているのではないでしょうか。

罪と罰

2019-07-10 19:26:03 | 
わたしの罪の重さと
あなたの罪の重さは

同じではない

それを

思い知らせる夜更け

血を流し
地べたに叩きつけられても

まだ

わたしは
赦しを乞うだろう

わたしは
何をしても許されない罪人

わたしは
赤い刻印を押された罪人

だから

どんな罰を受けても
仕方がないのだろう

倒れても
倒れても

引きずり起こされ

繰り返し
繰り返し

水をかけられるのは

わたしへの罰

何の罰かすらわからないが

許されざる罪に対する罰

なのだろう


ギフト

2019-07-05 20:23:55 | エッセイ
BOOM BOOM SATELLITES

最後の「アルバム」

『LAY YOUR HANDS ON ME』

なんて素晴らしいんだろう。彼らの音楽家として、人間としての姿勢に頭が下がる。あまりにも強く、美しいアルバム。

最初、聞くのを躊躇した。辛くて、聞けないんじゃないかと思った。

とんでもない!

なんて、高いハイジャンプなんだろう。聞く者一人一人にハイタッチをしてくれるような、そんな気持ちにしてくれる。

哲学と娯楽が共存してる。人間の可能性を信じられるような、彼らからのギフトだと思った。

「ギフト」

大いなる存在はそこにある
人の祈りや想いとは無縁に

大いなる存在はそこにある
人の痛みや苦しみとは無縁に

だからといって

人は営みから背を向けることはできない

大いなる存在に
唾を吐いても
石を投げても
届かない

人は倒れるまであきらめるしかないのか?

それとも

人は倒れるまであらがうほかないのか?

そんな思いで

立ちすくむとき

ふいにさす光がある
ふいにふく風がある

さすかどうかはわからない
ふくかどうかもわからない

それでも

ギフトはふいに

贈られることがある

それを

気まぐれと

思うか

慈悲と

思うか