天路歴程

日々、思うこと、感じたことを詩に表現していきたいと思っています。
なにか感じていただけるとうれしいです。

空蝉

2021-07-30 19:11:00 | 小説
 あの人は、帰っていった。夏の夜明けは早い。烏帽子を被り直したあの人。狩衣には私が調合した香りを燻らした。私の印。

 一日、香りがたちのぼるたびに私を思い出してくれるかしら。

 その時、愛しいと思うのか厭わしく思うのか。

 今は端境なのだろう。

 蜜月は過ぎた。とはいえまだ飽きてはいない。

 嫌いになってはいない。とはいえ冷めてはきている。

 次を探す程ではない。とはいえ誘いがあればのる。

 あの人の気持ちはそんなところだろうか。

 私は寝台の中で身じろぎをする。あの人のにおい。夜の名残。私の熱はかきたてられる。

 私はこんなにあの人を恋慕っているのに。

 温度差の無情さ。苦しくなる。

 蜜月の時、あの人は私の体にたくさんの印をつけた。自分のものだと誇示するように。

 今は、あの人は自分の欲望をはなつことだけに集中する。私に印をつけるのは避けようとする。

 私は起き上がる。裸身に羽織る薄衣。

 蝉の声が聞こえ始めた。夏の一日がはじまった。

 私はあの人の訪れがあるまで、抜け殻のままだ。

 

 

龍虎相打たない

2020-07-14 12:27:00 | 小説
散歩。散歩。空中を散歩。今日は、空も晴れ渡り、気持ちがいい。僕の鱗が日差しを浴びて、きらきらと輝いている。
 僕は龍。ギョロ目に長い髭。長い胴体。手には、七色の宝玉。雨を降らせ、雷を呼ぶ。空を飛び、海を統べ、竜穴という地中に穿たれた穴を自由に行き来することができる。
 「おーい、龍くーん。」
 荒々しい岩のてっぺんに、虎くんがいた。黄色と黒の縞模様。ピンとたった尻尾。凛々しい目の輝き。
 流石、あらゆる獣の長である虎くんだ。王者としての風格が、漂っている。虎くんは、風を操ることもできるのだ。
 僕は虎くんの近くまで、下降する。
 「龍くん、散歩かい?」
 「そうなんだ。あまりにも気持ちいい天気だからさ。虎くんは?」
 「俺?俺はトレーニングさ。今朝は、ユーラシア大陸を、端から端まで走ってきたよ。」
 「…元気だね。」
 「そう?東の端と西の端でさ、金の林檎と銀の林檎とってきたんだ。龍くんにあげるよ。どっち食べる?」
 虎くんは、なかなか優しいのだ。金の林檎も銀の林檎も光を受けてキラキラ輝いている。
 「食べるの、勿体ないぐらい綺麗だねえ。…うーん、じゃあ銀の林檎!」
 「じゃあ、俺、金の林檎もらうわ。」
 虎くんと僕は、気持ちいい光と風を浴びながら林檎を食べる。
 「虎くん、おいしいよ。ありがとう。」
 「喜んでくれて、うれしいよ。」
 あれ?背中の後ろの方というか、尻尾の方というか、その辺が、急に痒くなってきた。…届かない。掻けないとわかると、余計に気になるし、我慢できなくなってきた。僕は、掻きたくて掻きたくてたまらなくなってきた。

 おや、今までニコニコしてた龍くんが、頭を後ろに向けて、右に左に、グルグル回りだしたぞ。どうしたんだ?
 「龍くん、どうしたんだい?」
 「痒くて痒くてたまらないんだけど、届かないんだよ。」
 ギョロ目の龍くんだから、憤怒の表情に見えるが、違う。心の底から、困っているのだ。
 「痒いよぉ。」
  あ、龍くんの気持ちが昂ってきた。やばいぞ。ゴロゴロ遠くから、雷が鳴っている。
 「わかった。俺が掻いてやるから。」
 俺は、龍くんの背中?尻尾?に飛び乗った。口をあぐっと開けて、ざりざりと噛んで掻いてやる。
 「ううん、そこじゃない。もっと上。」
 「ここか?」
 「違う。もうちょっと左。」
 龍くんは、とても大きいから、なかなか痒い部分が見つからない。痒さとまだるっこさがあるのか、龍くんの感情がますます昂まってきた。あ、雨が降ってきたぞ。
 「違う!そこじゃない。」
 龍くんは、激しく左右に体をうねらせた。俺は振り落とされそうになる。龍くんは、焦る。
 「ご、ごめんなさい。僕、僕…。」
 泣き出しちゃったよ。あ、黒雲がわきあがってきた。雷が轟き、豪雨で前が見えない。まずい。雲を切らなければ、何も見えない。仕方ないなぁ。俺は、咆哮する。強い風が吹いた。
 その時だ。
 下界の村々にいた、人間達が、俺らを指差して叫んでいる。
 「大変だ!龍と虎が戦っている。」
 「だから、こんな大嵐が!」  
 「どうか、争いはやめてくれ。」
  ち、違う…。違うが、それどころじゃない。俺は、一段と大きな声で吠える。ごぉっとひときわ強い風が吹いた。雲が切れ、光が見えた。今だ!俺は、龍くんの背中のある部分を、口で掻いた。
 「そこっっ。」
 龍くんは叫んだ。俺はかじかじと一生懸命掻いた。ぴたっと雷と雨が止んだ。ちょうどいいところを掻いたらしい。痒みが治ったのかな?
 「ありがとう、虎くん。痒くなくなったよ。」
 よかった。俺はほっとする。下界の人間達も、ほっとしたようだ。
 「雨も雷も風もやんだ。よかった。」
 「龍虎相打つとはこういうことか。」
 「龍も虎も戦うとは、困ったもんだ。」
  俺も龍くんも、声を揃えて叫んだ。
 「戦ってないっっ!」
 怒号に聞こえたらしい。人間達は、クモの子を散らすように逃げていった。
 俺と龍くんは顔を見合わす。
 「俺たち」
 「僕たち」
 「仲良しなのにね。」


花形ギタリストのウィンク

2020-04-11 10:42:00 | 小説
歓声が聞こえる。観客の期待が、膨らんでいる。突けば、破れそうだ。

 ショーが、はじまる瞬間。震えるような、恐怖と快感。この気分に、飲み込まれないように、持っていかれないようにするのが難しい。
 
 興奮のジャンキーになってしまわないことだ。

 そうでなければ、

 ショーというのは、非日常であることを忘れてしまう。

 日常に、ショーの気分を持ち込めば、破滅する。

 それを理解しなければ、

 この世界では、成功はしても、継続することはできない。

 曲がりなりにも、続けることができた、俺の実感だ。

 毀誉褒貶が激しいこの世界で、
 
 壊れることがなかったのは、運が良かったのもあるが、あまり溺れることのない性格のせいかもしれない。

 (この性格は、冷たいと評されることも多々ある。いい面もあれば、悪い面もあるということだ。)

 メンバーたちが、所定の位置につく。もちろん俺も。眉間に、力を集める。

 俺は、イヤモニをつけて俯く。全ての集中を込めて、足でリズムを刻む。

 幕が落ちる。観客の感情が弾ける。カクテル光線が交差する。

 俺のギターが、しょっぱなに炸裂する。続いて、重いドラムのビート。ベースが重低音で、絡みついてくる。

 ボーカルの歌声。観客を一発で、惹きつけた。

 よし。

 俺は思う。

 今日の彼は、最初から、楽しめている。

 ボーカルは、繊細ゆえに、気にしすぎることがある。

 そこを、うまく寄り添ったり、盛り上げたりするのも、ギターの音色だったりするのだ。

 ギターは、面白い。

 エレキギターは、それこそ、俺の分身であり、相棒だ。

 エフェクターは、曲や感情を表現するための、増幅装置だ。

 それらを駆使しながら、鼓舞したり、感傷を呼び覚ましたりする。

 自分が、前に出たり、後ろに下がったり、変幻自在になるのも、ギタリストの醍醐味だと思う。

 自己顕示欲があり、内省的でもある自分に、ぴったりの立ち位置なのだろう。

 俺のギターソロ。うねる音。観客のボルテージが上がる。

 実は、俺は、ウィンクができない。

 けれど
 ギターで、ウィンクをする。

 ハートを撃ち抜くのは、簡単だ。

梅花香14

2019-02-24 13:11:08 | 小説
「ほい、またおいらの先走りみたいだね。」

清吉は、冗談めいて言う。

「いつまでたっても勘違いはなおりゃ

しねえや。」

その茶化したもの言いにおこうは悲し

げな顔をする。清吉の苦い記憶にかぶ

せるように、また彼を傷つけてしまっ

た。もう清吉は二度と誰にも心を開く

ことはないだろう。ただの魂を吸う対

象のままでいたらよかった。「獲物」

のままでいたら、ここまで彼を傷つけ

ることはなかった。おこうは本当のこ

とを言うしかなかった。

「私は何百年もここにこうしているの

です。たくさんの人間が私を愛でた

り、通り過ぎたりして参りました。私

はその誰をも歯牙にかけてはおりませ

んでした。なれど、」

おこうは静かに清吉を見た。清吉はぞ

くっとした。なまめかしい眼差し。熱

情と無情が入り混じっている。

「あなたがこちらにやってきた途端、

私はあなたの魂に魅入られてしまいま

した。清らかで美しく、それでいて深

みをたたえている。ここが化け物の浅

ましさですが、」

おこうは悲しげに身を震わせる。

「清吉さんの魂を喰らいたい、精を吸

いとりたい、それを望むようになった

のです。」

清吉は冷ややかに笑った。

「色気と食気というわけだね。」

おこうははっとして、清吉を見る。清

吉はおこうを見返す。静かな静かな

目。低い声で言う。

「じゃあ、喰ってしまえばいいじゃな

いか。四の五の言わず。」

感情のこもらない声。絶望を通り越し

虚無に満ちた魂。おこうは胸をつかれ

る。自分が清吉を追いこんだ。清吉を

そこに突き落とした。おこうは悔やん

でも悔やみきれない。彼女は清吉を見

つめる。優しい目の清吉はそこにはい

ない。空っぽの目で清吉はそこに立っ

ていた。おこうのほうを向いていた

が、清吉の瞳には彼女は映っていな

い。おこうを力なくかぶりをふる。

「ごめんなさい、清吉さん、ごめんな

さい。」

いらただしげに清吉はおこうをにら

む。

「何がさ。おいらを傷つけて、すまな

いとか思ってるのかい。やめてくれ。

よけいおいらを惨めにするだけさ。化

け物なら、化け物らしく、おいらを喰

っちまえばいいじゃないか。」

飄々と穏やかで、心優しい清吉はもう

いなかった。おこうの言葉は清吉の心

には入らない。誰の言葉ももう入らな

いだろう。それでもおこうは言わずに

はおれない。

「いいえ。いいえ。私は清吉さんの魂

を喰らうことはもうできません。外か

ら見ただけなら、嬉々として清吉さん

の精を吸い取っていたでしょう。浅ま

しい化け物ですから。けれど、私は清

吉さんの魂に触れてしまいました。清

吉さんの痛みも悲しみも、それでも失

われない美しさに触れてしまったので

す。私はあなたを喰らうことはできな

いのです。」

「おいらをだまくらかして、まだそん

なことを言うのかい。」

「ええ。私は化け物ですから。嘘はつ

きますが、人間ほどややこしくはない

のです。表と裏はございますが、裏の

裏はございませんのよ。」

清吉はあっけにとられておこうを見つ

める。白くなめらかなおこうの肌は

うっすらと紅に染まっている。おこう

は我慢できないというように、清吉の

胸に飛びこむ。

「私は清吉さんに惚れてしまったので

す。あなたの魂にとらわれてしまった

のです。とらえるほうが、とらわれて

しまったのですよ。喰らうことなどで

きませぬ。」

清吉はおこうの体に手をまわさない。

けれど、突き放そうとはしなかった。

清吉は戸惑っていた。

「おいらをたぶらかさないでくれ。」

おこうはもっと強く清吉の胸に顔をす

りつける。くぐもった声で言う。

「私は化け物なのですよ。清吉さんを

喰らいたかったら、もうすでに喰らっ

ております。」

おこうの開けっぴろげな告白に、清吉

は思わず笑ってしまう。おこうは彼の

低い温かな笑い声を聞いて、清吉の魂

に生気が戻ったと感じた。おこうは安

堵のため息をもらした。ようやく、清

吉はおこうの体に手をまわした。強く

彼女を抱きしめる。清吉はささやく。

「ひとつだけ、守って欲しい。」

おこうは清吉を見上げる。

「喰らいたくなったら、喰らってい

い。啜りたかったら、啜ればいい。け

れど、」

清吉はそっとおこうのはえぎわに唇を

寄せる。

「四の五の言わずやってくれ。」

おこうは頭の隅でそれを聞く。おこう

のすべては清吉の中に今は溶けてい

た。甘い甘い香りがあたりを満たして

いた。


〈終〉

梅花香13

2019-02-24 13:09:54 | 小説
清吉は驚いて、おこうを見つめる。

おこうはそっと清吉から視線をはず

す。張りつめた沈黙が続く。おこうは

静かに息をはく。心を決めたように清

吉の目を見つめる。

「私は梅の化生でございます。」

「ああ、だからか。」

清吉は納得したようにうなずいた。清

吉の返事は思いがけないものだった。

おこうはびっくりする。

「なにが、だからかなのでございま

すか。」

「いやあ、おこうさんの素性がさっ

ぱりわからなくてねえ。素人でなし。

玄人ではなし。おかみさんでも妾でも

なさそうだし、やんごとなき身分の方

か、どこぞのご落胤かと思ったぐらい

で。浮世離れした感じも、品のいい仕

草も、梅の精なら合点がいく。なるほ

どねえ。」

清吉は何回もうなずいた。おこうは

自分に対して清吉が怯えも嫌悪も表さ

ないので、戸惑った。

「私は化け物なのですよ。」

「人間のほうがよっぽど化け物じみ

てるからねえ。」

清吉は飄々と応える。そして、微笑

む。

「で、おいらの前におこうさんが降

臨したのは、吉兆かい。」

おこうは胸がつまる。清吉の精を吸い

取ろうとして、やってきたのである。

でも、今おこうは清吉の魂に触れてし

まった。清吉を傷つけたくない。言う

べきか言わざるべきか。おこうと清吉

の目があった。清吉は悟ったようだっ

た。