天路歴程

日々、思うこと、感じたことを詩に表現していきたいと思っています。
なにか感じていただけるとうれしいです。

つらつらつれづれ

2022-03-05 19:57:00 | エッセイ

空を滑空している鳥。黒い大きな影。なんの鳥かは分からない。曇天模様。薄暗いホームから見上げると、その鳥はあまりにも自由で、のびやかに見えた。私はため息を一つつく。暗いトンネルに続く道。奈落の底でなかったらいいのだが。先に光があるのかどうかさえ、わからない。

 

 電車の中。マスクに覆われている顔は、同じように見える。そして、私もその一員だ。灰色で無表情の群れ。いろんな思いを抱え、ばらばらな楽隊は自分の目的の駅に降りていく。不思議な空間。誰とも交わることは無いのに同じ場所で、肩が触れ合うような距離で揺られている。

 

 駅に降り立つ。たくさんの人が慌ただしく行き交っている。地方都市の主要駅。人が多いと感じても上には上があり、下には下がある。「この程度」と感じるか、「こんなにも」と感じるかは、自分次第。自分という器から逃れることはできない。自分が「狭い視点から見ている」ということを忘れないようにしよう。

 

 今日は午後から雨との予報。気圧のせいだろうか、頭が重い。季節の変わり目には雨が降る。四季では、春から初夏にかけてが好きだ。少しずつ暖かくなり、カラフルになってくる季節。生き物が育つ季節。だから、この季節の雨は嫌いじゃない。一雨ごとに暖かくなり、春の息吹を感じられるから。日が長くなり、光が力を持ってくる季節だ。

 

 海を見るのは楽しい。季節、天候、自分の体調や気分によって見える世界が違う。自分が見る海は、内海。だいたい穏やかで、遠くに見える島や通る船でにぎやかだ。自分が想う海は、いつも優しい。厳しさもあるのは頭ではわかっているのだが、本当の意味でわかっているとは思えない。灰色だった海が、淡灰色になり、水色になり、縹色になり、瑠璃色になり、群青になっていく。そして、光もどんどん強くなり、まばゆいきらきらを溶かし込んでいく。潮騒、潮の香、海鳥の旋回。いつまででも見ていれる世界。

 

 言葉は好きだ。けれど、うまく使うことができない。思うように操ることができない。それは技術のせいか、内面のせいか。どんなことでもそうかもしれないが、扱う人間の技量と度量がためされる。そして、それは両方とも必要で大事なことだ。特に言葉は、友愛の印になり、恫喝の拳になり、嘲笑の鞭になり、慰撫の羽となる。言葉を武器として(自分のためだけの道具として)だけ使うことを是としたくない。それをすることは、言葉を持つことができた人間である甲斐がないような気がするのだ。(言い表すのが難しい。)力を誇示することによっての、力で威嚇することによっての、関係を作りたくない。そういう関係は、つらいものだったからだ。自分が嫌だったことを相手に強要したくない。ただ、愚かであるがゆえに、絶対にしないとは言い切れず、弱さを露呈してしまう。そして、自分自身が叩かれる立場になったときに、毅然とした態度を取れるとも思えない。それも己の弱さであり、知恵の足りなさだと思う。どうすればいいのか、その答えがわかるときがくるのだろうか。

 

 世界ははかない。揺れ動く卵だ。すぐに割れてしまう。中にいるひな鳥(人間)は殻が強固なものだと思い込んでいるが、驚くほど脆い。殻が割れてしまってから右往左往するひな鳥。それも仕方ないことではないだろうか。ひな鳥は、賢くなる前に寿命が尽きてしまう。人の一生は、長いようで短い。何かをつかむ前に死んでしまう。私自身何もわからないまま死んでしまうだろう。それを思うと、悲しいようなおかしいような、何とも言えない気持ちになる。

 

 退屈でいい。刺激はいらない。いつもの毎日。変わらない日々。それを求める。変化を恐れ、変化を拒み、変化を厭う。年を取ればとるほどかたくなになっていく。過去にとらわれ、過去を美化する。年を取るということの弊害かもしれない。社会にどんどん置いていかれる。そして、そんな社会を恨み、意固地になる。それは、年を取ることの悲哀だ。といっても、年を取る者が、それを美化しても肯定してもいけない。周囲に理解しろと強要してもいけない。今から道を切り開く人の邪魔をしてはいけないのだ。「老兵はただ立ち去るのみ」自分の立ち位置はどこにあるのだろう。