天路歴程

日々、思うこと、感じたことを詩に表現していきたいと思っています。
なにか感じていただけるとうれしいです。

夕顔

2013-01-01 22:00:13 | 小説
セルフサービスのカフェの店内。BGMよりも人の話し声が耳についた。ざわざわとした雰囲気だ。俺は入り口近くの二人席で参考書を開いていた。問題を解くことに集中する。周囲の雑音が潮のように引いていった。無音。俺はある数式を解いていた。その解答が得られた瞬間、何だか視線を感じた。俺は顔を上げた。トレイを持った澤部さんが俺の脇に立っていた。
「ごめんね。待った。」
俺は思わず立ち上がった。手を振りながら答える。
「いいえ。全然。」
澤部さんは申し訳なさそうに言葉を続ける。
「私の休憩時間まで待ってもらって。受験生の貴重な時間割いちゃったよね。ごめんね。」
「そんなふうに謝らないで下さい。俺は澤部さんと話したかったんですから。」
澤部さんは俺の勢いにおされて曖昧に微笑む。
「それならいいんだけど。」
本屋で偶然会った時に、俺はもっと話しがしたいと澤部さんに伝えた。澤部さんはしばらく考えて、一時間後に休憩時間に入るから、本屋と同じビルに入っているカフェで落ち合おうと言ってくれたのだった。俺は澤部さんと過ごせるのがうれしかった。だから、澤部さんにあんまり謝って欲しくなかった。沈黙。俺はちょっと居心地が悪くなった。参考書をパタンと閉じる。澤部さんはゆったりとホットラテを飲んでいた。澤部さんは思い出したようにくすりと笑う。
「確かに私が隆君の受験を心配する必要はないかもね。」
「どういうことですか。」
「だって、あの集中力。」
澤部さんはよりいっそうおかしくなったみたいだ。くすくす笑いが大きくなった。俺は意味がわからなくて、きょとんとする。
「え、え、なんですか。」
「実は私、隆君の隣にずっと立ってたんだよ。いつ気付くかなと思って。」
「え、どれくらい。」
「二、三分。」
「声かけて下さいよ。」
「だって、ものすごい集中してるんだもの。声かけちゃ、悪いでしょ。」
澤部さんは飄々と答える。俺は脱力する。
「いやいや、声かけて下さい。」
澤部さんはふふと笑ってまたラテを飲んだ。俺は気を取り直して、澤部さんに質問した。
「今、本屋で仕事されているんですか。」
「そうなの。常勤で働いているのよ。」
「そうなんですか。でも、前、お母さんの介護してるとか、聞いたような…。」
「ああ、母は今年の春に亡くなったの。」
澤部さんはさらりと言った。

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