劉永所立齊王張歩降。上初以歩爲東萊太守。已而受永命王齊。將軍耿弇、屢戰大破之、抜祝阿・齊南・臨菑勞軍。謂弇曰、將軍前在南陽建大策。嘗以爲落落難合。有志者事竟成也。歩敗、齊地悉平。
將軍呉漢等、撃斬劉永所立海西王董憲、及叛將寵萌等。江淮山東悉平。時惟隗囂・公孫述未平。上積苦兵間。謂諸將曰、且當置此兩子於度外耳。
劉永の立つ所の齊王張歩(ちょうほ)降る。上、初め歩を以って東萊(とうらい)の太守と為す。已にして永の命を受けて齊に王たり。将軍耿弇(こうかん)、屡しば戦って大いに之を破り、祝阿・斉南・臨菑を抜く。車駕、臨菑に至って軍を労す。弇に謂って曰く、将軍前(さき)に南陽に在って大策を建つ。嘗て以為(おも)えらく、落落として合い難しと。志ある者は事竟(つい)に成る、と。歩敗れ、斉の地悉(ことごと)く平(たいら)ぐ。
将軍呉漢等、撃って劉永が立つる所の海西王董憲(とうけん)及び叛将寵萌(ほうほう)等を斬る。江淮(こうわい)山東悉く平ぐ。時にただ隗囂(かいごう)・公孫述(こうそんじゅつ)未だ平らがず。上、苦を兵間に積む。諸将に謂って曰く、且(しばら)く当(まさ)に此の両子を度外に置くべきのみ、と。
劉永が立てた斉王の張歩という者が投降した。光武帝は初め張歩を東萊郡の太守にした。ところがその後、劉永に封ぜらて斉の王になったのである。漢の将軍の耿弇が度たび張歩と戦って大いにこれを破り、祝阿・斉南・臨菑を攻め取った。光武帝は臨菑に行って、漢軍を労い、弇に向かって「将軍は以前南陽にいて、斉攻略の策を建ててくれたがあまりに壮大で、現実に合わないと思っていたが、なんと志さえ堅ければ何事も、成し得るものであるな」と称賛した。張歩は敗れ、斉の地はことごとく平定した。
将軍呉漢たちが、おなじく劉永が立てた海西王の董憲と、光武帝に叛いた寵萌らを討伐して斬った。これによって江淮、山東の地もすべて平定した。このとき、ただ隗囂と公孫述だけがまだ服さないでいた。帝は数しば、戦場で苦杯を舐めさせられていたので将軍たちに「あの二人は、しばらく度外に置くことにしよう」と言った。
落落 志の広く大きいさま、おおまかなさま。 度外 考慮に入れない、度外視。