馮異自長安入朝。上謂公卿曰、是我起兵時主簿也。爲吾披荊棘、定關中。詔勞異曰、倉卒蕪蔞亭豆粥、滹沱河麥飯。厚意久不報。
建武八年、上自將征隗囂。潁川盗起。上還、謂執金吾寇恂曰、潁川迫近京師。獨卿能平之耳。從九卿復出可也。恂勸上親征。賊悉降。恂竟不拝郡。百姓遮道曰、願借寇君一年。乃留恂鎭撫。大軍不戰而還。
馮異(ふうい)長安より入朝す。上、公卿(こうけい)に謂って曰く、是、我が兵を起こしし時の主簿なり。吾が為に荊棘(けいきょく)を披(ひら)き、関中を定む、と。詔(みことのり)して異を労して曰く、倉卒(そうそつ)蕪蔞亭(ぶろうてい)の豆粥(とうじゅく)、滹沱河(こだか)の麥飯(ばくはん)、厚意久しく報ぜず、と。
建武八年、上、自ら将として隗囂(かいごう)を征す。潁川(えいせん)、盗起こる。上還って執金吾寇恂(しっきんご、こうじゅん)に謂って曰く、潁川は京師(けいし)に迫近す。独り卿(けい)能く之を平らげんのみ。九卿より復(また)出でて可ならんか、と。恂、上に勧めて親征せしむ。賊悉(ことごと)く降る。恂竟(つい)に郡を拝せず。百姓(ひゃくせい)、道を遮って曰く、願わくは寇君を借ること一年せん、と。乃ち恂を留めて鎮撫(ちんぶ)せしむ。大軍戦わずして還る。
馮異が長安から朝廷に参内した。帝は大臣たちに「馮異は自分が始めて兵を挙げた時の秘書官で、私のためにいばらを切り開いて、関中を平定してくれたのだ」さらにねぎらいの詔を下したが「あわただしい逃避行の最中に蕪蔞亭で工面してくれた豆粥や滹沱河での麦飯、あの折の厚意に未だ礼を言っていなかった。」と謝した。
建武八年(32年)、光武帝は自ら軍を率いて隗囂の討伐に向った。だが潁川郡に賊が起こった。帝は洛陽に引き返して、執金吾の寇恂に「潁川は洛陽に隣接した重要な地である。そなたでなければ平定できない。九卿の執金吾からひとつ潁川郡の長官に出向してくれまいか」しかし寇恂は親征を勧めたので、帝自ら討伐することになった。すると賊はすべて降伏した。結局寇恂は長官を拝命せず帝に随って還ろうとしたところ、沿道の人びとが道を遮って、「どうか寇恂さまを一年だけ私どもにお貸し与えください」と嘆願した。そこで寇恂をこの地に留めて治めさせることにした。かくて討伐の大軍は戦わずして還った。
主簿 庶務を統括する官。 荊棘を披き 争乱を鎮めることに譬えた。倉卒 あわてるさま。 執金吾 皇室警護の官。
建武八年、上自將征隗囂。潁川盗起。上還、謂執金吾寇恂曰、潁川迫近京師。獨卿能平之耳。從九卿復出可也。恂勸上親征。賊悉降。恂竟不拝郡。百姓遮道曰、願借寇君一年。乃留恂鎭撫。大軍不戰而還。
馮異(ふうい)長安より入朝す。上、公卿(こうけい)に謂って曰く、是、我が兵を起こしし時の主簿なり。吾が為に荊棘(けいきょく)を披(ひら)き、関中を定む、と。詔(みことのり)して異を労して曰く、倉卒(そうそつ)蕪蔞亭(ぶろうてい)の豆粥(とうじゅく)、滹沱河(こだか)の麥飯(ばくはん)、厚意久しく報ぜず、と。
建武八年、上、自ら将として隗囂(かいごう)を征す。潁川(えいせん)、盗起こる。上還って執金吾寇恂(しっきんご、こうじゅん)に謂って曰く、潁川は京師(けいし)に迫近す。独り卿(けい)能く之を平らげんのみ。九卿より復(また)出でて可ならんか、と。恂、上に勧めて親征せしむ。賊悉(ことごと)く降る。恂竟(つい)に郡を拝せず。百姓(ひゃくせい)、道を遮って曰く、願わくは寇君を借ること一年せん、と。乃ち恂を留めて鎮撫(ちんぶ)せしむ。大軍戦わずして還る。
馮異が長安から朝廷に参内した。帝は大臣たちに「馮異は自分が始めて兵を挙げた時の秘書官で、私のためにいばらを切り開いて、関中を平定してくれたのだ」さらにねぎらいの詔を下したが「あわただしい逃避行の最中に蕪蔞亭で工面してくれた豆粥や滹沱河での麦飯、あの折の厚意に未だ礼を言っていなかった。」と謝した。
建武八年(32年)、光武帝は自ら軍を率いて隗囂の討伐に向った。だが潁川郡に賊が起こった。帝は洛陽に引き返して、執金吾の寇恂に「潁川は洛陽に隣接した重要な地である。そなたでなければ平定できない。九卿の執金吾からひとつ潁川郡の長官に出向してくれまいか」しかし寇恂は親征を勧めたので、帝自ら討伐することになった。すると賊はすべて降伏した。結局寇恂は長官を拝命せず帝に随って還ろうとしたところ、沿道の人びとが道を遮って、「どうか寇恂さまを一年だけ私どもにお貸し与えください」と嘆願した。そこで寇恂をこの地に留めて治めさせることにした。かくて討伐の大軍は戦わずして還った。
主簿 庶務を統括する官。 荊棘を披き 争乱を鎮めることに譬えた。倉卒 あわてるさま。 執金吾 皇室警護の官。