耿弇以上谷・漁陽兵、行定郡縣。會秀於廣阿、進抜邯鄲、斬王郎。得吏民與郎交書數千章。秀會諸將燒之曰、令反側子自安。秀部分吏卒、皆言、願屬大樹將軍。謂馮異也。爲人謙退不伐。諸將毎論功、異常獨屏樹下。故有此號。更始遣使、立秀爲蕭王、令罷兵。耿弇説王、辭以河北未平、不就徴。王撃銅馬諸賊、悉破降之。諸將未信降者。降者亦不自安。王敕各歸營勒兵。自乘輕騎、案行諸部。降者相語曰、蕭王推赤心、置人腹中。安得不效死乎。悉以分配諸將、南徇河内。
耿弇(こうかん)、上谷・漁陽の兵を以って、行く行く郡県を定む。秀に広阿に会し、進んで邯鄲を抜いて、王郎を斬る。吏民の郎と交わるの書数千章を得たり。秀、諸将を会し、之を焼いて曰く、反側子をして自ら安んぜしめん、と。秀、吏卒を部分するに、皆言う、願わくは大樹将軍に属せん、と。馮異(ふうい)を謂(い)うなり。人となり謙退にして伐(ほこ)らず。諸将功を論ずる毎に、異、独り樹下に屏(しりぞ)く。故に此の号有り。
更始使いを遣(つか)わし、秀を立てて蕭王(しょうおう)と為し、兵を罷(や)めしむ。耿弇、王に説き、辞するに河北未だ平らがざるを以ってし、徴(め)しに就かざらしむ。王、銅馬の諸賊を撃ち、悉く破って之を降す。諸将未だ降者を信ぜず。降者も亦自ら安んぜず。王、敕(ちょく)して各々営に帰って兵を勒(ろく)せしむ。自ら軽騎に乗り、諸部を案行す。降将相語って曰く、蕭王、赤心を推して、人の腹中に置く。安(いづ)くんぞ死を效(いた)さざるを得んや、と。悉く以って諸将に分配し、南のかた河内(かだい)を徇(とな)う。
劉秀と別れていた耿弇は、上谷・漁陽の兵を率いて行くさきざきで多くの郡県を平定した。広阿で劉秀と会し、さらに進んで邯鄲を攻略して王郎を斬り殺した。官吏や民で王郎と誼(よしみ)を通じていたことを明かす、書簡数千通を手に入れた。劉秀は諸将を集め、その一つを焼き捨てて言った「王郎についていた者もこれで安心して眠ることができよう」と。その後劉秀が吏卒を編成すると、皆が「願わくは大樹将軍に属したい」という。大樹将軍とは馮異のことである。その人となりが謙虚で、功名を誇らず、諸将が軍功を論争しているとき、いつも一人大樹の下に退いていた。それでこう呼ばれるようになった。
更始帝は使者をおくり、劉秀を蕭王に立て、戦をやめて来朝するよう命じた。耿弇は、蕭王劉秀に説いて、河北が未だ平定されていないとして、召還に応じさせなかった。そして銅馬の諸賊を伐ち、ことごとく破って降服させた。だが将軍たちは、降伏した者達を信用できず、降者もまた自ら安心することができないでいた。蕭王劉秀は詔勅を下して、降将たちをもとの陣営に帰らせて、部下を統括させた。そして自身は兵装なしの身軽な出で立ちで、馬を駆って各部隊を巡察した。そこで投降した者たちは口々に「蕭王はご自身の誠実な心が、人の身にも移され宿っていると信じて疑わない。どうしてこのお方に命を投げ出さないでいられようか」と語り合った。蕭王はこれらの兵たちを諸将の下に配置し、南のかた河内地方を説き従えた。
伐る 誇る、手柄 屏く 退く、かくれる。 勒せしむ 統率させる。 案行 調べてまわる、巡察。 赤心を推して、人の腹中に置く 真心を以って人に接し少しもへだてをおかないこと、人を信じて疑わないこと。