今朝は6時から覚醒しているがまだ寝具に包まってごろごろしている。
気がついたら左の膝が痛む。
睡眠中に何をしていたのだろう。
6:00の気温は−15.5℃だった。
昼間の最高気温は+4℃まで上がると言うから相当融けるのだろう。
路面は最悪だな。
買い出しも散髪も自粛しよう。
室内は寒い。
暖房を切って仕事から戻ると2℃くらいまで下がっているが、
暖房の温度計は+2℃を下回ると"Lo"と表示されて何℃かわからなくなるので
2℃以下になったのは見た事が無い。
・・・・・
早朝は晴れていたが予報通り曇ってきたので珈琲淹れた。
薫るイルガチェフェ。
雪が本格降りになってきた。
またも窓が埋まりそうだ。
冷え込み厳しい冬らしくまたも熱い珈琲と鶏野菜のクリームシチューで遅い朝昼食。
バランスさえ取れていれば毎日同じでも全然平気だ。
食後に紅玉屋さんのグラニースミス。
この酸っぱい青リンゴは、
冬蜜柑が甘ったるくて食べられない厳寒期の貴重なビタミン源である。
・・・・・
『ビッグイシュー』301号の中の記事「修繕生活」の特集を読み直した。
金継ぎで修繕した食器、傷んだ衣類や靴を修繕して自分だけの一点ものにする。
こういうのがいいなぁ。
ものの価値を高める技は今の時代の我々が失ったものだ。
知恵と技を失って使い捨てが当たり前の生活習慣が身の隅々まで染みついた我々は貧しい。
でも本当に、この金継ぎの記事にある蓮の葉の皿、素敵だ。
ほしいわ。
雪の降りが酷くなってきた。
明日の通勤が心配だな。
雪が積もってからはバスが当てにならずタクシーの利用頻度が増えた。
ただでさえ寒い今の時期に財布が氷河期に突入致したであるよ。(貧
・・・・・
仕事を持ち帰らない主義であるが、連休2日目の今日は
来月の礼拝メッセージの原稿作成と共に仕事の業務マニュアル作りに時間を使う。
それで終日引き籠りや。
雪のおかげで外に出たくても出られないし。
・・・・・
原稿書きの合間にTwitterのお仲間と雑談した。
「欧州人はとりあえずnoと述べてから考える習慣でアジア人は取りあえずyesと言ってるだけ」
という話だった。
私はとりあえず何でもかんでもまずnoと言う。
それが習慣である。
重々しい事柄であっても仕事がらみの飲み会や教会の勉強会なんかであっても。
とにかくまずnoと言ってそれから考える。
そこから同調圧力とyes/noについて話した。
会話の中に出た、鬱病初期の人に対する助言は重要な事だ。
「自分の心を守る為にNOから始めなさい。
励ます人や叱責する人を避けて、自分を守ることに集中しなさい」
という言葉を聞いた。
「ちょっとでも迷ったらまずNOと言って、それからよく考えて、
やってもいいなと思ったらYESに変えればいい」
自分の心を鬱病や深い傷から守るための有名な助言だと聞いた。
知らなかった。
これは重要な事だと思うので、備忘。
なるほど。
30年以上前に、両親が離婚して親族絡みで嫌な思いをした上に
仕事の業績が重圧で抑鬱状態と不眠、食欲不振に陥った私が
自分から「自分は鬱病です」と言って窓に鉄格子のある精神科病院に行った時、
「あんたは違う、圏外」
と言って医者から門前払いされた意味がちょっと分かった気がする。
他愛もない例であるが、
職場で朝っぱらから勉強会があって夕方まで拘束され座り通しで参加したとする。
その勉強会の終了後に飲み会があって上の者から「強制参加だ」と言われた場合、
私は迷わず「不参加」と返答する。
そんなに朝から晩まで正規の勤務時間以上に拘束されて同一姿勢を保持していられるか。
飲み食いするのは嫌いでないが椎間板ヘルニア再発して立てなくなったらどうしてくれる。
これに限らず私はまず殆どの事柄に対して僅かでも迷ったり疑問かあればnoと言って辞退する。
すると上の人からではなく身近な同僚達の中から
「和を乱さないで下さい。
誰だって職場の飲み会なんか行きたくないのに、
皆、我慢して参加するんだから」
と言う者が必ず出る。
今回もいた。
それでこちらからその人に訊く。
「皆って誰と誰?」
「・・・・・」
「では貴方は貴方自身の考えで率先し全部参加するならそれでいいではないですか。
それなら積極的に参加したらいいでしょう。」
と言うと同調圧力をかける者は無言になった。
で、結局飲み会には何故か参加しなかったらしい。
たかが飲み会如きであるが、こんな些末な事柄にまでnoと言ってはならない同調圧力が働く。
yesとしか言えずに仕方なく参加して酒飲んでウマいか?
波風立てる事を回避しようとyesしか言わない人はnoを言う者に同調圧力をかける。
組織に期待以上の貢献(サービス残業やりまくりなど)をする事もあるが、
「何でもyesと言ってくれる都合のいい人」として立場が固定化される頃には
本人が心身消耗し尽くしてその場を去る事が過去に目撃した中では多かったと記憶する。
結果、組織にとっても本人にとっても傷が残る。
今住んでいる日本社会には自分からnoを言う者を徹底的に潰し排除する土着の風習がある。
「皆我慢してるんだからnoを言う我儘な者は許さん」
という心理的力学が働いている。
それはnoと言ってバッシングされる者のストレスよりも、
yesとしか言えない者のストレスの方が大きい事の表れであると私は思う。
少なくとも私の日常はそういう現実がある。
そんな事を話していたら雪は止んで窓の外が明るくなった。
しかしやはり買い出しはやめておこう。
珈琲を何杯も飲みながらベートーベンの交響曲をかけ流している。
年末だからではないよ。
ベートーベンさんも大の珈琲好きだったんだよ。
毎日豆を自分で一粒一粒、60粒だったっけか?正確に数えて挽き、
淹れて飲むのを日課としていたらしい。
バッハさんなんて珈琲狂が高じて珈琲カンタータ作ってしまったからな。
・・・・・
礼拝メッセージの原稿書き上がった。
これから来月の当番の日までにばっさばっさ切り落し削り落として骨と皮だけにする。
あと、抄録も完成させないと。
まずは寝よう。
明日、4時起き。
気がついたら左の膝が痛む。
睡眠中に何をしていたのだろう。
6:00の気温は−15.5℃だった。
昼間の最高気温は+4℃まで上がると言うから相当融けるのだろう。
路面は最悪だな。
買い出しも散髪も自粛しよう。
室内は寒い。
暖房を切って仕事から戻ると2℃くらいまで下がっているが、
暖房の温度計は+2℃を下回ると"Lo"と表示されて何℃かわからなくなるので
2℃以下になったのは見た事が無い。
・・・・・
早朝は晴れていたが予報通り曇ってきたので珈琲淹れた。
薫るイルガチェフェ。
雪が本格降りになってきた。
またも窓が埋まりそうだ。
冷え込み厳しい冬らしくまたも熱い珈琲と鶏野菜のクリームシチューで遅い朝昼食。
バランスさえ取れていれば毎日同じでも全然平気だ。
食後に紅玉屋さんのグラニースミス。
この酸っぱい青リンゴは、
冬蜜柑が甘ったるくて食べられない厳寒期の貴重なビタミン源である。
・・・・・
『ビッグイシュー』301号の中の記事「修繕生活」の特集を読み直した。
金継ぎで修繕した食器、傷んだ衣類や靴を修繕して自分だけの一点ものにする。
こういうのがいいなぁ。
ものの価値を高める技は今の時代の我々が失ったものだ。
知恵と技を失って使い捨てが当たり前の生活習慣が身の隅々まで染みついた我々は貧しい。
でも本当に、この金継ぎの記事にある蓮の葉の皿、素敵だ。
ほしいわ。
雪の降りが酷くなってきた。
明日の通勤が心配だな。
雪が積もってからはバスが当てにならずタクシーの利用頻度が増えた。
ただでさえ寒い今の時期に財布が氷河期に突入致したであるよ。(貧
・・・・・
仕事を持ち帰らない主義であるが、連休2日目の今日は
来月の礼拝メッセージの原稿作成と共に仕事の業務マニュアル作りに時間を使う。
それで終日引き籠りや。
雪のおかげで外に出たくても出られないし。
・・・・・
原稿書きの合間にTwitterのお仲間と雑談した。
「欧州人はとりあえずnoと述べてから考える習慣でアジア人は取りあえずyesと言ってるだけ」
という話だった。
私はとりあえず何でもかんでもまずnoと言う。
それが習慣である。
重々しい事柄であっても仕事がらみの飲み会や教会の勉強会なんかであっても。
とにかくまずnoと言ってそれから考える。
そこから同調圧力とyes/noについて話した。
会話の中に出た、鬱病初期の人に対する助言は重要な事だ。
「自分の心を守る為にNOから始めなさい。
励ます人や叱責する人を避けて、自分を守ることに集中しなさい」
という言葉を聞いた。
「ちょっとでも迷ったらまずNOと言って、それからよく考えて、
やってもいいなと思ったらYESに変えればいい」
自分の心を鬱病や深い傷から守るための有名な助言だと聞いた。
知らなかった。
これは重要な事だと思うので、備忘。
なるほど。
30年以上前に、両親が離婚して親族絡みで嫌な思いをした上に
仕事の業績が重圧で抑鬱状態と不眠、食欲不振に陥った私が
自分から「自分は鬱病です」と言って窓に鉄格子のある精神科病院に行った時、
「あんたは違う、圏外」
と言って医者から門前払いされた意味がちょっと分かった気がする。
他愛もない例であるが、
職場で朝っぱらから勉強会があって夕方まで拘束され座り通しで参加したとする。
その勉強会の終了後に飲み会があって上の者から「強制参加だ」と言われた場合、
私は迷わず「不参加」と返答する。
そんなに朝から晩まで正規の勤務時間以上に拘束されて同一姿勢を保持していられるか。
飲み食いするのは嫌いでないが椎間板ヘルニア再発して立てなくなったらどうしてくれる。
これに限らず私はまず殆どの事柄に対して僅かでも迷ったり疑問かあればnoと言って辞退する。
すると上の人からではなく身近な同僚達の中から
「和を乱さないで下さい。
誰だって職場の飲み会なんか行きたくないのに、
皆、我慢して参加するんだから」
と言う者が必ず出る。
今回もいた。
それでこちらからその人に訊く。
「皆って誰と誰?」
「・・・・・」
「では貴方は貴方自身の考えで率先し全部参加するならそれでいいではないですか。
それなら積極的に参加したらいいでしょう。」
と言うと同調圧力をかける者は無言になった。
で、結局飲み会には何故か参加しなかったらしい。
たかが飲み会如きであるが、こんな些末な事柄にまでnoと言ってはならない同調圧力が働く。
yesとしか言えずに仕方なく参加して酒飲んでウマいか?
波風立てる事を回避しようとyesしか言わない人はnoを言う者に同調圧力をかける。
組織に期待以上の貢献(サービス残業やりまくりなど)をする事もあるが、
「何でもyesと言ってくれる都合のいい人」として立場が固定化される頃には
本人が心身消耗し尽くしてその場を去る事が過去に目撃した中では多かったと記憶する。
結果、組織にとっても本人にとっても傷が残る。
今住んでいる日本社会には自分からnoを言う者を徹底的に潰し排除する土着の風習がある。
「皆我慢してるんだからnoを言う我儘な者は許さん」
という心理的力学が働いている。
それはnoと言ってバッシングされる者のストレスよりも、
yesとしか言えない者のストレスの方が大きい事の表れであると私は思う。
少なくとも私の日常はそういう現実がある。
そんな事を話していたら雪は止んで窓の外が明るくなった。
しかしやはり買い出しはやめておこう。
珈琲を何杯も飲みながらベートーベンの交響曲をかけ流している。
年末だからではないよ。
ベートーベンさんも大の珈琲好きだったんだよ。
毎日豆を自分で一粒一粒、60粒だったっけか?正確に数えて挽き、
淹れて飲むのを日課としていたらしい。
バッハさんなんて珈琲狂が高じて珈琲カンタータ作ってしまったからな。
・・・・・
礼拝メッセージの原稿書き上がった。
これから来月の当番の日までにばっさばっさ切り落し削り落として骨と皮だけにする。
あと、抄録も完成させないと。
まずは寝よう。
明日、4時起き。