今朝の気温-12.3℃。
昼間の最高気温は+5℃まで上がって暖かくなる予報。
寒暖の差激しいな。
先日作った鶏野菜シチューを温めて朝食にする。
忙しい時にチンして食べられるので作り置きしておくと便利だ。
バランス良いので単品で一食に充分。
食生活と体調管理には手軽で内容が充実している。
飽きない程度に作って食べよう。
あーあ。
もう出かけないと礼拝の時間だ。
自由時間というものが足りないなぁ。
・・・・・
快晴。
司会者は遅刻出来ない。
路面状況によってバスが時間通りに来るか今いち不安だったのでタクシーに乗った。
よく利用する運転手だったが
「久しぶりだなぁ。
教会に行くのはお父さんとヘルパーさんを乗せた時以来だねぇ」
と言う。
そうだったかな。
私は教会行きにタクシーよりもバスや徒歩が多いからな。
それでも遅刻ぎりぎりの時や悪天候の時は利用しているが、
父がお世話になった運転手にたまたま当たらなかったのかも知れない。
車椅子をトランクに積んで、乗り降りをヘルパーと一緒に手伝っくれたのだ。
帰天して2年経ってもこんな所でまだ父を憶えていてくれる人がある。
父が我儘を言った事もあった筈。
お世話になりました。
神に感謝。
4本の赤い蝋燭に点火した。
来週はご降誕。
主日礼拝
黙祷
招詞 詩編149;1~4
讃美歌(21) 242 253
聖句暗唱 ヨハネ1;14
主の祈り
祈り
讃美歌(21) 241
聖書朗読 ヨブ28;20~28
説教
讃美歌(21) 505
献金
祈り
頌栄 29
祝祷
今日の説教は教会員だった。
主を恐れることについて。
話の中で強く印象を受けた事。
「主イエス・キリストに関わる物事との出会いは、
それがどんなどんな小さな出来事であっても何故か記憶に残っており、
長い年月を経ても不思議と消えない。」
深く共感する。
憶えておこうとノートを取る必要はない。
時間が経っても湧き出るように出来事の詳細、色や形、一字一句が鮮明に残り、
常に注目させられ違うものを見ている時でも意識の一部を占領し続け、思いと考えを動かされる。
これは書き留めて備忘。
昼食のカレー。
午後から月一の教会員会。
子供達が大騒ぎする声で殆ど聴き取れなかったが
来月礼拝メッセージをする人が体調不良で奉仕出来ず翌月の当番者も多忙のため難しいと。
3か月先に当番の決まっていた人が1月に前倒しと言われて困っていた。
そりゃそうだろう。
この年末になって1月に礼拝で話をしろと役割を振られたってあと1ヶ月も無い。
牧師でも宣教師でも神学者でもない人に、準備の時間が与えられないではないか。
礼拝メッセージは個人の日常体験の四方山話をテキトーに喋るものではない。
一人の信徒としての信仰告白である。
聖書の箇所を選んで精読し自分の信仰を照らし合わせて語る事で会衆と共有する。
礼拝で喋るだけでなく抄録を提出し翌々月の教会月報に載せる決まりがあり、
講壇で喋って終わりという訳ではない。
期限内に書いて提出する必要があるので教会員にとってはそれなりに重い仕事になる。
二ヶ月前倒しでいきなり来月ではきついよなぁ。
で、私がする事になった。
今回自分が引き受けたのは重たい仕事をさっさと早く終わらせたいからだけでもなく
6月に話すため準備していたものが1月でも今月でも来月でも来年でも、
私の場合どっちでもよいからだ。
既に聖書の箇所も決まっているし内容もほぼまとまっており、文書化するだけになっている。
そんな訳で結局新年早々喋る事になったので準備を進める事にした。
本来6月に当番が当たっていたので来月私が交替し6月を誰かが代わってくれればよいと思う。
牧師、宣教師など「教職者」に限らず信仰者たる教会員は誰でも礼拝説教を担うべきという
教派独自のモットーが一教会員にとって負担であり高いハードルである事は事実だ。
しかし仲間の語る信仰告白から重要な事に気づかされ収穫を頂いてきた事も事実である。
共有出来る事は出来るうちに早くした方がよい。
仲間がこの世に揃っているうちに。
・・・・・
疲れた。
教会に行った日曜日は毎度の事だがへとへとになる。
今の職場にも教会にも同じ問題がある。
寝よう。
明日は早番で4時起き。
昼間の最高気温は+5℃まで上がって暖かくなる予報。
寒暖の差激しいな。
先日作った鶏野菜シチューを温めて朝食にする。
忙しい時にチンして食べられるので作り置きしておくと便利だ。
バランス良いので単品で一食に充分。
食生活と体調管理には手軽で内容が充実している。
飽きない程度に作って食べよう。
あーあ。
もう出かけないと礼拝の時間だ。
自由時間というものが足りないなぁ。
・・・・・
快晴。
司会者は遅刻出来ない。
路面状況によってバスが時間通りに来るか今いち不安だったのでタクシーに乗った。
よく利用する運転手だったが
「久しぶりだなぁ。
教会に行くのはお父さんとヘルパーさんを乗せた時以来だねぇ」
と言う。
そうだったかな。
私は教会行きにタクシーよりもバスや徒歩が多いからな。
それでも遅刻ぎりぎりの時や悪天候の時は利用しているが、
父がお世話になった運転手にたまたま当たらなかったのかも知れない。
車椅子をトランクに積んで、乗り降りをヘルパーと一緒に手伝っくれたのだ。
帰天して2年経ってもこんな所でまだ父を憶えていてくれる人がある。
父が我儘を言った事もあった筈。
お世話になりました。
神に感謝。
4本の赤い蝋燭に点火した。
来週はご降誕。
主日礼拝
黙祷
招詞 詩編149;1~4
讃美歌(21) 242 253
聖句暗唱 ヨハネ1;14
主の祈り
祈り
讃美歌(21) 241
聖書朗読 ヨブ28;20~28
説教
讃美歌(21) 505
献金
祈り
頌栄 29
祝祷
今日の説教は教会員だった。
主を恐れることについて。
話の中で強く印象を受けた事。
「主イエス・キリストに関わる物事との出会いは、
それがどんなどんな小さな出来事であっても何故か記憶に残っており、
長い年月を経ても不思議と消えない。」
深く共感する。
憶えておこうとノートを取る必要はない。
時間が経っても湧き出るように出来事の詳細、色や形、一字一句が鮮明に残り、
常に注目させられ違うものを見ている時でも意識の一部を占領し続け、思いと考えを動かされる。
これは書き留めて備忘。
昼食のカレー。
午後から月一の教会員会。
子供達が大騒ぎする声で殆ど聴き取れなかったが
来月礼拝メッセージをする人が体調不良で奉仕出来ず翌月の当番者も多忙のため難しいと。
3か月先に当番の決まっていた人が1月に前倒しと言われて困っていた。
そりゃそうだろう。
この年末になって1月に礼拝で話をしろと役割を振られたってあと1ヶ月も無い。
牧師でも宣教師でも神学者でもない人に、準備の時間が与えられないではないか。
礼拝メッセージは個人の日常体験の四方山話をテキトーに喋るものではない。
一人の信徒としての信仰告白である。
聖書の箇所を選んで精読し自分の信仰を照らし合わせて語る事で会衆と共有する。
礼拝で喋るだけでなく抄録を提出し翌々月の教会月報に載せる決まりがあり、
講壇で喋って終わりという訳ではない。
期限内に書いて提出する必要があるので教会員にとってはそれなりに重い仕事になる。
二ヶ月前倒しでいきなり来月ではきついよなぁ。
で、私がする事になった。
今回自分が引き受けたのは重たい仕事をさっさと早く終わらせたいからだけでもなく
6月に話すため準備していたものが1月でも今月でも来月でも来年でも、
私の場合どっちでもよいからだ。
既に聖書の箇所も決まっているし内容もほぼまとまっており、文書化するだけになっている。
そんな訳で結局新年早々喋る事になったので準備を進める事にした。
本来6月に当番が当たっていたので来月私が交替し6月を誰かが代わってくれればよいと思う。
牧師、宣教師など「教職者」に限らず信仰者たる教会員は誰でも礼拝説教を担うべきという
教派独自のモットーが一教会員にとって負担であり高いハードルである事は事実だ。
しかし仲間の語る信仰告白から重要な事に気づかされ収穫を頂いてきた事も事実である。
共有出来る事は出来るうちに早くした方がよい。
仲間がこの世に揃っているうちに。
・・・・・
疲れた。
教会に行った日曜日は毎度の事だがへとへとになる。
今の職場にも教会にも同じ問題がある。
寝よう。
明日は早番で4時起き。