
起業は上野駅から…東京都内~羽田空港~函館空港~北斗市
夜中の23時55分発の青函連絡船で津軽海峡を渡り、翌早朝の列車に乗って12時間、硬い椅子に座った旅の終わりは、夕闇せまるこの上野駅(写真)です。
当時の上野駅前には、安宿が立ち並んでおり、その小さな旅館で一夜を過ごしました。
翌朝から元請け会社を探す都内行脚です。
鉄骨工事を行う会社を電話番号帳で探し当て、飛び込み営業を行いました。
「鉄骨トビ職ですが、建て込みの仕事があったら頂けないでしょうか」
意外と早く請け負わせてくれる会社が、総武線の亀戸駅から徒歩10分の場所にありました。
高度成長の入り口であり、仕事を完了させてから請負代金の支配ですから、元請けにはリスクはありません。早速、1週間後から3階建て建造部の建て込みの仕事を貰えました。
それからアパートを探しましたが、鉄骨トビと聴いただけでアウトです。
建築現場監督(嘘ではない)だと云って不動産屋さんが案内してくれたのが、四畳半の部屋がハーモニカ状に並んだアパートで先ずは一部屋を借りました。
その晩は、古道具屋から買って来た安布団に包まって寝て、北海道で待つ仲間達に郵便局から、当時の電話のあった酒屋さんに電話かけて言付けをお願いしました。
一週間後には5人になるため、ハーモニカアパートの空いている部屋を次々と借りました。
誰も希望と不安を抱きながら上野駅に降り立ち、待っていた当方を見つけては、感極まって涙ぐむ男達もいました。
北海道の若いトビ職たちは、実に良く働き元請けから大好評となり、次々と仕事を頂けるようになりました。
この上京の際に今は亡き、姉がそっと15万円を手渡してくれました。
自分が溜めた5万円しかなく、合わせて20万円が現在の会社の原資だったのです。
上野駅を見て、懸命に働いて大資金を出してくれた姉を安心させようと思ったものです。
さて今日は函館空港から高速道路が繋がり、僅か16分でファース本部本社に到着しました。
50年前は1時間以上も掛かりましたから、まさに嘘のように感じます。
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