「ぴあ」が大きくなったのは「ちけっとぴあ」のシステムが出来てからのように思います。
1980年頃じゃないのかな。
それ以前は、チケット発売日にプレイガイドに並んだり、徹夜したりして、お目当てのチケットを手に入れたものでした。
新宿PEPEの7Fの行列に並びながら、歌舞伎町のゲームセンターで遊んでたなどという記憶もあるし、渋谷パルコの周囲を大行列で囲んだなんてこともありました。
友人はその時、喫茶店でコーヒーを差し入れしてもらったという昔話をしていましたが、残念ながら私にはそのような思い出話はありません。
「ぴあ」ができたことで便利になった面もありますが、当然ながらデメリットもありました。
それはチケットが印刷された印字だけの味気ないものばかりになってしまったことです。
かつてのチケットは、アーティストの趣味趣向が凝らされた味わい深いものが多かったものですが、「ちけっとぴあ」以降は印字だけの本当につまらないチケットになってしまいました。
そんななか、浜田省吾はある時期まではライブ会場入場時にメモリアルチケットを配っていましたが、いつの間にかそれもやらなくなってしまいました。
今の若者たちは便利さを手にしてはいますが、味わい深いメモリアルチケットを手にする機会がなくなってしまった被害者でもあるのですね。
それから「ぴあ」がてきてからは自宅にいながらチケットが手に入るものと勘違いしていましたが、人気公演になると電話をしてもつながらないなんてことはよくありました。というか、今もあるんだろうな。
どんな興行だったのか覚えていませんが(ローリングストーンズだったかなー?)、新宿だったか、渋谷の公衆電話に若者がかじりついたままで公衆電話が使えなくなったなんてこともありました。
「ぴあ」に電話をすると人気公演ではすぐに規制が掛かってしまうため、それをすり抜ける裏技として公衆電話が利用されたのでした。
その公衆電話も電話の相手先と同じエリアの方が有利だということで、わざわざそのエリアまで出掛けて行って公衆電話でリダイヤルするのです。
当時はヤフオクなんてなかったので、純粋にその公演に行きたい人たちが電話をしていたのですが、いつの間にかヤフオクで転売する目的でチケットを入手する人たちに使われるようにもなってしまったのですね。
この歳になると、「ぴあ」のあの細かい字を見るのはつらいよなー。
1980年頃じゃないのかな。
それ以前は、チケット発売日にプレイガイドに並んだり、徹夜したりして、お目当てのチケットを手に入れたものでした。
新宿PEPEの7Fの行列に並びながら、歌舞伎町のゲームセンターで遊んでたなどという記憶もあるし、渋谷パルコの周囲を大行列で囲んだなんてこともありました。
友人はその時、喫茶店でコーヒーを差し入れしてもらったという昔話をしていましたが、残念ながら私にはそのような思い出話はありません。
「ぴあ」ができたことで便利になった面もありますが、当然ながらデメリットもありました。
それはチケットが印刷された印字だけの味気ないものばかりになってしまったことです。
かつてのチケットは、アーティストの趣味趣向が凝らされた味わい深いものが多かったものですが、「ちけっとぴあ」以降は印字だけの本当につまらないチケットになってしまいました。
そんななか、浜田省吾はある時期まではライブ会場入場時にメモリアルチケットを配っていましたが、いつの間にかそれもやらなくなってしまいました。
今の若者たちは便利さを手にしてはいますが、味わい深いメモリアルチケットを手にする機会がなくなってしまった被害者でもあるのですね。
それから「ぴあ」がてきてからは自宅にいながらチケットが手に入るものと勘違いしていましたが、人気公演になると電話をしてもつながらないなんてことはよくありました。というか、今もあるんだろうな。
どんな興行だったのか覚えていませんが(ローリングストーンズだったかなー?)、新宿だったか、渋谷の公衆電話に若者がかじりついたままで公衆電話が使えなくなったなんてこともありました。
「ぴあ」に電話をすると人気公演ではすぐに規制が掛かってしまうため、それをすり抜ける裏技として公衆電話が利用されたのでした。
その公衆電話も電話の相手先と同じエリアの方が有利だということで、わざわざそのエリアまで出掛けて行って公衆電話でリダイヤルするのです。
当時はヤフオクなんてなかったので、純粋にその公演に行きたい人たちが電話をしていたのですが、いつの間にかヤフオクで転売する目的でチケットを入手する人たちに使われるようにもなってしまったのですね。
この歳になると、「ぴあ」のあの細かい字を見るのはつらいよなー。
情報誌「ぴあ」39年の歴史に幕 首都圏版、7月で休刊
ぴあ株式会社(東京)は21日、エンターテインメント情報誌「ぴあ」の首都圏版(隔週刊)を7月21日発売号で休刊することを決めた。映画やコンサートなどの興行スケジュール情報は、これまで通りインターネットで提供する。
「ぴあ」は1972年、当時学生だった矢内廣社長らが創刊。80年代後半に53万部まで部数を伸ばしたが、エンターテインメント情報がインターネット上で無料で調べられるようになり、最近では6万部まで落ち込んでいたという。
中部版は昨年6月、関西版も同10月に休刊した。
同社によると、売り上げの約9割はチケット販売事業で、「ぴあフィルムフェスティバル」などの事業は今後も続ける。今秋には新しいエンターテインメント誌を立ち上げるという。(石飛徳樹)
アサヒ・コム2011年4月22日9時2分