まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

バラ香る秋です。

2018年10月26日 | 日記

あちこちから紅葉便りが聞こえて来る中
公園ではバラが花盛りです。
今朝も天気予報のオジサンがどこかのバラ園で
秋バラが満開ですよ!などと笑顔でリポートしていました。

そう言えばしばらくバラを見ていません。
花などに目を止めている余裕がないというのが現状ですが
そう言われると見たくなるのが人情です。
いつもの公園のバラ園を覗くと案の定の大盛況でした。
どれが秋バラやら春バラやら・・・
このバラ園は夏の日盛りにも咲いていたり
雪まじりの凍えるような日にいくつも花があったりと
ヘタすれば一年中と花が絶えないという
不思議なバラ園です。
バラは意外に丈夫で逞しい花なんですねえ。

香りのコーナーなんてのがありました。
私にとってバラはどうも敷居の高い花で苦手なんですが
その香りはとびきり高貴でふくよかで
本当に胸がすくような気持になりますよねえ。
ちょっと落ち込んでいるときなど
格好の清涼剤で実にさわやかな気分にしてくれます。
滞在時間はわずか5分。
駆け足でしたがバラの香りを胸いっぱい楽しみました。

バラ園の一角にはハロウィーンのディスプレイ。
そう言えば今週末はハロウィーンではなかったでしょうか。
いつだったか渋谷での仕事帰りに
仮装行列の大群衆に巻き込まれて閉口したことがありましたが
今年もあの騒ぎが繰り返されるのでしょうか。
どこもかしこもカボチャだらけで食傷気味ですが
昨日は久しぶりにカボチャの煮物をいただきました。
懐かしい母の味がしました。

 


新聞記事に突っ込む

2018年10月25日 | 日記

年をとってきたせいか
テレビの画面に突っ込みを入れることが多くなってきた。
曰く「下らねえこと言ってんじゃねえよ!」
曰く「日本語になってねえだろ、バカ!」
最近はテレビだけじゃなく新聞記事にも突っ込みを入れたくなる。

内戦のシリアで武装勢力に拘束されていた
あの安田純平さんが3年ぶりに解放されトルコで保護されたらしい。
マスコミは「よかったですねえ!」と大はしゃぎ。
奥さんや家族までも引っ張り出して歓迎ムードを盛り上げる。
あれ、お得意の「自己責任」論はどうした?
渡航禁止の危険地帯にノコノコ出かけていって
勝手に拘束された無責任な行動に異を唱える声は全くない。
彼は「戦争のリアルを日本人に伝えたい」というのが
戦場ジャーナリストとしての信念だそうだが
その信念がもたらす「迷惑」についてはどう考えているのか?
カタールが身代金を払ったという情報もあるが
そんなバカな話がある筈もない。
日本が裏で手を回して国民の税金で払ったに違いない。
その貴重な金で自らの命が救われたことをどう考えているのか。
あらためて聞いてみたい。

這ってでもゴールを目指した「根性」に称賛の声が上がる。
日本のスポーツの体質は変わっていないなあと
つくづく思ってしまう。
ニュース映像を見ただけだが思わず目を背けてしまった。
これはスポーツではない、悲壮な根性比べだ。
単独走であるマラソンはあくまでも自己判断のレースだが
駅伝という日本独自のスポーツは
やはり「チームに迷惑をかけたくない」という心理が働くのか。
その痛々しい姿は選手生命の危機を感じさせるほどで
傍らで必死で声援を送る審判に「お前はバカか!」と怒鳴りたくなった。
まあ、いろいろ指示の行き違いもあったようだが
なぜそこまでして走ろうとしたのか
ぜひ聞いてみたい。

全く意外な人選だった。
河瀨直美監督が東京オリンピックの映画を撮ると言う。
前回の東京オリンピックでは
巨匠・市川崑監督がメガホンをとった大作である。
あの頃とは時代も環境も全く違うのに
まさか名誉欲にかられた訳でもなかろうに思わず首をひねった。
河瀨監督と言えば「萌の朱雀」や「殯の森」など
奈良の大自然を舞台に人間の心の絆を描いた骨太な作品が多い。
先日観た樹木希林の「あん」も
国家犯罪ともいえるハンセン病の陰を描いて秀逸だった。
そんな作風の河瀨監督が
自然破壊、環境破壊の最たるオリンピックを撮るとは
よほどのギャラを積まれたの
かと勘繰りたくなる。
いったいどういう腹づもりなのか聞いてみたいものである。

という訳で・・・
新聞記事を見ていてもついつい突っ込みたくな
る。
こういう年寄りは嫌われるんだろうなあ。

 


フェルメールもやって来た

2018年10月24日 | 日記

ムンクもやって来るけれど
上野の森にはフェルメールもやって来ているらしい。
まさに芸術の秋である。
美術ファンはソワソワと落ち着かない秋である

前回、フェルメールを観たのはいつだったか。
もう忘れてしまったけれど
まあ、大変な人出で度肝を抜かれた覚えがある。
日本におけるフェルメール人気の凄さをあらためて思い知った。
なぜここまでフェルメールは人を魅了するのか。
一つ挙げるとすればやはりこの「静けさ」なんだろうと思う。
これは後期の傑作「手紙を書く婦人と召使」だが
何枚も手紙を書き捨てる夫人と
それをちょっと呆れたような表情で見つめる召使。
ふと目をやる窓辺からは午後の日差しがやわらかに降りそそぐ。
まるで人の部屋を盗み見ているような錯覚に陥る
静かでミステリアスで美しい絵である。
手紙の相手は恋人だろうか。
これだけ手紙を書きなぐるのは
なにか揉め事でもあるのだろうかと
果てしなく想像が広がるのは私だけだろうか。
床に打ち捨てられた手紙の数がさまざまなドラマを物語る。
神は細部に宿る・・と言うが
この絵は細部にさまざまな寓意や謎解きが施してあって
それをゆっくりとひも解くのも実に楽しい。

ただ、今回は日にち限定のチケットの売り出しだそうで
日曜日は人気で混むんだろうなあ・・・

 


詩人になりたかった頃

2018年10月23日 | 日記

図書館で詩集を借りて来ました。
普段はやはり小説やエッセイの類が多いのですが
なぜか無性に詩集を読みたくなる時があって
昨日も閉館間ぎわに図書館に飛び込んで手あたり次第に借りました。
私は季節ごとの「詩集病」と呼んでいるのですが・・・

吉野弘、石垣りん、中桐雅夫・・・
詩人としてはいずれも有名な方ばかりですが
一般の人にはあまり馴染みがないかも知れませんねえ。
吉野弘さんは結婚式などでよく引用される「祝婚歌」の作者で
戦後の現代詩壇をリードされたお一人です。
ロック・ミュージシャンの浜田省吾や脚本家の山田太一さんが
心から敬愛してやまない詩人です。
もちろん私も好きな詩がいくつもありますねえ。

石垣りんさんは定年まで銀行にお勤めだったという
ちょっと異色の詩人かも知れません。
H氏賞や田村俊子賞など数々の詩壇の賞を受賞され
学校の教科書でもお馴染みですね。
この人の詩を読むと心がシャキッとするというのか
言葉の力を実感します。
石垣さんと交流が深かった茨木のり子の詩もいいですねえ。

中桐雅夫さんは読売の政治部記者の出身で
大学では英文学を教える傍ら詩人・翻訳家として活躍されました。
私たちがつい口にする「生きがい」という言葉は
本来「死にざま」から出た言葉で大嫌いだと憤慨しておられました。
先日、宮本輝のエッセイを読んでいたら中桐さんの詩が出て来て
その抒情の深さに思わず泣きそうになりました。

それだけでもう腹いっぱいでしたが
勢いついでに和合亮一さんの詩集も借りてしまいました。
福島県の高校教師をしておられましたが
2011年の東日本大震災では自らも被災され
それを契機にtwitterで「詩の礫」を発表し続け
大きな注目を浴び
ました。
原発事故の悲しみとや理不尽さを
これだけ美しい言葉で詠めるのは詩人ならではしょうねえ。

まだハナタレ小僧だった高校生の頃
私は恥ずかしげもなく「詩人」を夢見たことがあります。
その夢はライバルの同級生の出現で
彼の詩の素晴らしい一言一句の表現力に打ち負かされ
あえなく潰えてしままいました。
未だにシコシコと詩集のページをめくっているのは
半世紀以上も昔の夢をまだ諦めきれていないのでしょうか。
詩集は私の「見果てぬ夢」かも知れません。



ハナミズキの紅葉

2018年10月22日 | 日記

ハナミズキの紅葉が始まりました。
他のどの木よりも早く、かどうかは知りませんが
秋の声を聴くと待っていたかのように
葉っぱが赤みがかって来ます。

葉っぱだけでなく真っ赤な実も鈴なりです。
ハナミズキと言えば初夏の頃の純白の可憐な花をイメージしますが
もともとはアメリカ原産の花だそうです。
アメリカには桜前線ならぬ「ハナミズキ前線」があって
開花に合わせて行楽も行われるそうです。
日本のように花の下でドンチャン騒ぎをするのでしょうか。
先日、ラジオで誰かが言っていました。
そんな真っ白な花が秋には真っ赤に変身するのですから
自然とは本当に大したものです。

こちらのハナミズキはもう真っ赤でした。
スマホのカメラで撮るとこの程度にしか見えませんが
本当に目に焼き付くような赤で
思わず自転車を停めて見とれてしまいました。
そう言えば・・・
イエス・キリストが磔の刑にされたあの十字架は
ハナミズキの木で作られているそうです。
これも人に聞いた話なので真偽のほどは定かではありません。
ハナミズキはイスラエルにもあるのでしょうか。

  赤い実に 紅葉も添えて ハナミズキ 〈杉作〉

これからが紅葉の本番です。