まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

いきつけの花壇

2018年06月25日 | 日記

私にはいきつけの「飲み屋」が何軒かあります。
変わり映えのしない安酒場ばかりですが
同じようにいきつけの「花壇」というのもあります。
こちらは豪華なメニューを揃えています。

いつもの公園のバラ園です。
春のバラたちがちょっと暑さにへばり始めた頃
入れ替わるように夏の花たちが一気に勢いを増してきました。
タチアオイが相変わらず元気ですねえ。
この間まではそんなに背が高いとは思わなかったのに
いまでは高層マンションに負けず劣らず
天高く聳え立っています。

お馴染みのヒマワリ君です。
この花を見ると思わず「ゴッホ!」と咳き込みます。
まさに夏の花の代表選手ですが
それにふさわしい貫禄のようなものもありますねえ。
太陽の動きを追うように方向を変えることから
向日葵と書くそうですが
夏の暑さにひるむことなく敢然と立ち向かう姿は
ちょっと感動的ですらあります。

これは何でしょうか?
なかなか楽しそうな花ですねえ。
え、え、クイーン・エリザベス?女王様?
何やら凄い名前ですが
これ、バラですか、そうは見えませんけどねえ。
ハルシャギクにもよく似てるし・・・
うーん、行つけの花壇などと偉そうに言いましたが
知らないメニューばかりで、酔えません。



夏俳句

2018年06月24日 | 日記

駅のホームでふと目にとまりました。
俳句の短冊ですねえ。
自慢ではありませんがヘタな横好きの俳句好きだけに
どうしても目にとまってしまいます。

去年の入選作のようです。
人混みに押されながらしばし鑑賞タイムです。

  かぶとむし 持ってホームの 別れかな

よく見かける夏休みの光景ですねえ。
作者は女性ですから孫を見送りに来たお婆ちゃんでしょうか。
それともそんな光景を見た第三者でしょうか。
長い夏休み、孫の里帰りは何よりも待ち遠しいものですし
別れは本当に寂しくつらいものです。
虫かごのカブトムシを大事そうに抱くお孫さんの姿が
幸せだった時間を物語っています。

  妻になる 人窓際に 夏帰省

これも夏の里帰りを詠んだ句ですねえ。
いつもの夏休みとは違って婚約者を伴っての帰省です。
晴れがましいような、気恥ずかしいような・・
生涯の伴侶と選んだ人を両親がどんな顔で迎えてくれるのか。
それも気になっていろいろと複雑な心境でしょうか。
私の場合はすでに結婚してしましたが
女性を伴っての初めての里帰りは気を遣うことばかりで
確かに複雑なものですねえ。
奥さんをさり気なく窓際に座らせるレディファーストの精神。
なかなか見上げたものだとは思いますが
結婚生活は長いですからねえ・・〈笑〉

  リニアカー 来た見た消えた 雲の峰

うーん、リニアモーターカーですか。
残念ながら私は見たことも乗ったこともありません。
とてつもないスピードだそうですが
そのスピード感がよく表現されたいい句ですよねえ。
来た、見た、消えた、があるからこそ
下句の「雲の峰」という雄大な情景が生きています。
生きている間にリニアに乗る機会があるのか。
私の年齢になるとそんなことばかりが気になってしまいます。

俳句三句に「夏近し」を思いました。
同時に「旅心」を覚えました。
今年あたり、久しぶりに里帰りしてみようかな
などと思いましたが、果たしてどうなることやらです。

 


名作ドラマ『ありがとう』

2018年06月23日 | 日記

いまちょっとハマっているドラマがある。
いや、私ではなく家人なのだが・・・
OAの時間が来るとテレビので微動だにしない。

覚えておられる方もいるかも知れない。
確か1970年代にTBSで放送されたドラマだから
もう半世紀近くも前になるだろうか。
プロデューサーは石井ふく子、脚本が平岩弓枝というコンビで
視聴率が50パーセント超えの化け番組である。
まあ、まだ娯楽の少ない時代だから高視聴率は当然としても
TBSがまだ「ドラマのTBS」として
テレビ界で輝いていた時代の名作ドラマである。
今回はBSチャンネルでの再放送だが
普段はほとんどドラマなど観ない家人が珍しくきちんと見続けている。



主演の水前寺清子と山岡久乃は母娘である。
二人は同じ病院で働く看護婦で
それに恋人役の石坂浩二が青年医師として登場する。
いわゆるシリーズドラマで
確か水前寺が婦人警官に扮するシリーズもあったように思う。
水前寺清子は日本を代表する歌手である。
ドラマなんかには出ないと最初は断固拒否の姿勢だったらしいが
石井ふく子が彼女がテレビ局に来るたび
トイレで待ち伏せて口説き落としたというエピソードがある。

共演は石坂浩二の他には
児玉清、音羽信子、大空真弓、岡本信人などで
みんな若くてピカピカに輝いている。
他愛がないと言ってしまうと平岩さんに失礼かも知れないが
ドラマは家族や恋人どうしの他愛もない話で展開する。
ところがそこで出演者が喋るセリフの
なんと丁寧で美しく正しい日本語であることか。
さすが平岩ドラマと感心する。

ドラマはゆつたりと展開する。
たとえ前回を見逃しても混乱することはめったにないのがいい。
最近のドラマはとにかくストーリー展開が早すぎて
ついて行けなくて途中で放棄しがちだが
そういう心配がなくて安心して観ていられるのが何よりだ。
ホームドラマのお手本と言ってもいい。
ロケシーンも皆無である。
最近のドラマは〈そればっかりだが〉やたらとロケシーンが多く
場面転換で心情描写をごまかしてばかりだが
徹底してスタジオセットでドラマが展開するのも見やすい。
昔のドラマはすべからくこうであった。
まさにドラマの王道である。

よく出て来る公園のシーンも
野外ではなく徹底してスタジオセットである。
今は亡き〈失礼;元気です〉あの佐良直美さんも出ている。
井上順ちゃんも沢田雅美さんもみんな若くて初々しくて素敵である。
そうそう石坂浩二の友人役で出ている
名優・山本学さんも実に男前でインテリっぽくてカッコよく
家人は石坂もさることながらこの人もいいなといっている。

私の場合はやっぱり大空真弓さんだろうか。
清楚で美人で品がよくそこはかとない色香を漂わせている。
私もしだいにこのドラマのファンになりそうだ。
名作ドラマなどというと「懐古趣味」のように思われがちだが
この「ありがとう」には
ドラマの正しい在り方が詰まっているような気がする。
皆さんも、ぜひご覧あれ!

 


荒川土手を歩く

2018年06月22日 | 日記

楽しみな昼休みである。
一時間しかないからモタモタしてる間はない。
超高速でお弁当をかきこむと
目の前に広がる荒川の土手を一気に駆け上がった。

緑なす荒川の土手である。
この「土手」という言葉が郷愁をそそる。
昔はあちこちに土手があって格好の遊び場だったが
護岸工事ですっかり姿を消してしまった。
河川敷に設けられているのはパブリックゴルフ場である。
よく整備されたグリーンが目にまぶしいほどだ。
並行してサイクリングロードも続いていて
ロードバイクで疾走する人、サイクリングの家族連れ、三輪車。
みんな思い思いに土手を楽しんでいる。
ここは東京都北区浮間町と板橋区舟渡町の合流地点。
対岸は埼玉県・川口市。
かつては渡し船で結ばれていたと言う。

土手で大の字になって寝ころぶ。
これはシロツメグサではなくアカツメグサだろうか。
草の匂いを思い切り吸い込んでみる。
遠くで電車の音が聴こえる。
埼京線だろうか、それとも京浜東北線だろうか。
ピーチクパーチクの鳥のさえずり聴きながらつい眠りこんでしまった。
モタモタしていられないと言いながら
30分近くも寝込んでしまって慌てて立ち上がる。

土手の反対側には私が働くマンション。
手前に見える得体の知れない建物は何の工場だろうか。
かつて富士山麓にオウム真理教の拠点があったが
あの「第一サティアン」に似ている。
ま、まさか・・・ねえ。

金網で覆われたフェンの向こうに
巨大なテトラポットのようなものが並んでいる。
川の浚渫などに使うのだろうか。
そう言えば荒川は昔から何度も洪水で氾濫を繰り返したらしい。

土手の一角にひときわ視界が広がる
広場のような場所があった。
これはひょっとしてヘリポートだろうか。
ヘリが来たらぜひ乗せて貰おうとしばらく待ってみたが
飛来するのはカラスばかりだった。
せっかくの「荒川土手散歩」だったが居眠りのおかげで
すっかり時間が無くなってしまった。
尻切れトンボのような結末でまことに申し訳ない。

 


ヤマモモの哀れ

2018年06月21日 | 日記

木立の間に赤い実が見えます。
ヤマモモですねえ。
山の中に桃のような実をつけることからヤマモモ。
ハイ、そのままですねえ。

赤黒く光沢のない小さな実。
一度だけ食べてみたことがあります。
甘酸っぱくてなかなか野趣あふれる味でした。
そのまま食べるよりジャムや果実酒にするといいそうです。
鬱陶しい梅雨時のこの季節ですから
赤い実を見つけるとちょっと心浮き立つものがあります。

あちこちで鈴なりになっています。
道行く人は拾うどころか見向きさえしません。
ああ、モッタイナイ!
夢中で写真を撮っていると
道行く人は不審人物を見るような目で通り過ぎます。
ああ、ナサケナイ!
公園には実のなる木が結構あって
ほとんどが食べられる実なのにほったらかしです。

せっかくの赤い実が
誰にも食べられずポトポトと地面に落下しています。
道行く人は平気で踏みつぶしていきます。
ああ、カワイソウ!
私も残酷で無神経な人間ではありますが
さすがにそれは出来ずに大きく迂回して通り過ぎます。
ヤマモモの哀れを感じます。
誰にも顧みられず無駄に実って無駄に落ちて踏まれる。
仕方がないこととは言え、哀れです。