まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

大震災とオウム事件

2018年01月21日 | 日記

今日は天気のいい日曜日。
寝ぼけ眼で昨日の新聞を引っ張り出したら
一面は「オウム」の文字だった。
社会を震撼させたオウム裁判がようやく終結したと言う。

地下鉄サリン事件は
日本人が初めて体験する無差別テロ事件だった。
ただ、私にはそういう認識は全くなく
報道を見ながら「へえ、東京は怖ろしいところだべな」などと
まことにノーテンキなものだった。
おかしな思想にとらわれた新興宗教団体による犯罪。
その程度の幼稚な認識でしかなかった。
当時、大阪暮らしだった私は
二か月前の阪神淡路大震災の取材や番組作りに追われ
オウムどころではなかった。

1995年1月17日の早朝に発生した阪神淡路大震災。
6434人の犠牲者を出したこの大災害が
わが国にもたらした影響はあまりにも大きく多岐にわたる。
一言で表現するなら「価値観の大転換」だろうか。
戦後の焼け野原から、世界で類を見ない高度経済成長を遂げた日本にとって
この震災はすべてを瓦解させる出来事だった。
血と汗で築き上げた「繁栄」がいかに脆いものかを知らされた。
バブル崩壊後の景気低迷で終身雇用も終わりを告げ
誰もが「仕事」や「家庭」や「人生」について思いあぐねていた。
それまでの自信を失い始めていた。
地下鉄サリン事件が起きたのは、そのわずか二か月後である。

オウム事件とはいったい何だったのか?
私自身にそれを語る技量も知見もないけれど
大震災とオウム事件が戦後50年という記念すべき年の
ほぼ同時期に起こったという事実が偶然の符号とは思えないのである。
もちろん大災害と大事件に何の因果関係もない。
しかし、大災害によって一気に噴き出した社会不安と閉塞感が
麻原彰晃という邪悪なモンスターを生んだ
などと言ったら、叱られないまでもおお笑い草だろうか。
オウムの信者たちは決して特殊な人間ではなく
ごくごく普通の小市民でむしろ頭のいい優等生だったと言う。
そのことの方が怖い。