太田進研究室

太田進研究室の日々の出来事やその時に感じたことを記録していきます。また家庭での生活もつれづれに書いていきます.

陸前高田ボランティア 7/4-7/9 3

2011-07-11 | つれづれ
 不安の中から始まった災害リハビリボランティア。ローラー作戦で避難所や仮設住宅、親族の家などを各自治体から派遣された保健師が調査。そしてリハビリ支援の依頼を受け、対応した個別支援から、サロンや介護予防などの集団への支援へと状況が変化してきた。

 集団への支援の中に個別性も残しPTの視点を生かした支援を模索することとなった。私とパートナーのHさんと話をして、方向性を文章にした。特に金曜日(最終日前日)に、Keyとなる保健師と膝を突き合わせて話をした。それにより、各立場からの思いがそれぞれあることもわかり、それらも踏まえ、再度、起案書のようなものを書き、協会に送った。協会もどのような支援が良いか、現場の意見を真摯に受け止めてくれていると感じた。ただ、現在の自分としては、ここまででそれ以降は協会を通じ、次のボランティアの方に繋げていくまで。そこまでで良いのかとの思いもある。今回提案した内容は自分が豊橋市の介護保険課を兼務した時に経験がとても生きた。我々の提案は、PTにしか出来ない支援であり、必ず被災地に貢献できるものと思われる。

 今回のボランティアは、人生の中で大変貴重な経験となった。すれ違う地元の高齢者や子供たちも我々ボランティアに挨拶してくれ、ご苦労様と言ってくれる。こんな経験はありません。ボランティア同士でもご苦労様と声を掛け合い、朝、旅館を出るときも他のボランティアの方に行ってらっしゃいと言われる。本部のあるのは中学校の一室で、そこですれ違う中学生も挨拶をしてくれる。皆が感謝し合い、助け合っているという実感がとても伝わった。生まれて初めての経験であった。

 被災地もレンタカーであちこち廻るうちに地名も覚え、荒廃した街を何度も目にすることとなった。そのような景色を見ることもつらいことであるが、何よりも皆さんと話をして当日の様子、特に亡くなられた方の話は、返す言葉が出ない。仮設で、祖父母と孫が暮らし、親の遺影が飾られているなど本当に言葉が出ない。ただ、子供たちの笑顔や遊んでいる声を聞くと、子供たちが未来の宝だと本当に思う。被災された方のお話で子供たちを助けようと何よりも優先して助けた話も伺った。孫がまだ見つからないとの話も伺った。

 私は何ができるのだろうか。皆さんとても気さくに話をされ、丁寧にお礼を言って頂ける。自分を振り返る貴重な時間になった。


仮設住宅。仮設住宅福祉用具勉強会にも参加。


始めた見た段ボールベッド


県立高田病院


陸前高田の町


1週間貴重な時間を共にしたベストパートナー


旅館の近くに来た鹿


希望の一本松


希望の子供たち(旅館の前の田んぼでイモリ探し)

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