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鈴木すみよしブログ

身近な県政にするために。

新東名高速道開通式と駐日ベトナム大使来冨

2012年04月14日 | 議会活動

平成24年4月14日(土)

 新東名高速道開通式が新富士インターチェンジで開催されました。現行東名高速道が開通して40年以上が経過し、東西の新しい基軸が誕生しました。物流量の激増や防災上の課題を解消するために、構想から四半世紀の時をかけて実現しました。このような行事に立ち会えるのは一生に一度のことと感激しています。詳細はこの後で。

 駐日ベトナム大使が、富士吉原ライオンズクラブの設立50週年を記念して来冨されました。富士吉原ライオンズクラブでは、10年ほど前からハノイ日本語スピーチコンテストに大きく関与し、優勝者を毎年1ヶ月間の日本ホームステイに招待するなど、日越民間交流に貢献してきました。このたび、設立50周年記念式典に来賓としてご臨席いただいたものです。この式典ならびにその後の懇親会を通じて、大使ならびに随行の大使館員の皆様に親しく接していただきましたので、その様子をお伝えします。

 <新東名高速道路開通式>

 10時から開通記念式典(仮設建物内)、11時から鋏入れ式(ゲート入口)と本線走り初め、15時から一般への開放という日程で開催されました。

 開通箇所は静岡県内の東端である御殿場ジャンクションから西端である三ヶ日ジャンクションまでの約162kmで、高速道路史上、一度にこれだけの距離が開通するのは初めてだそうです。

 あいにくの雨模様ではありましたが、出席者は主催者である中日本高速道路(株)の金子剛一代表取締役会長兼社長をはじめとする設置運営会社幹部、国から前田武志国土交通省大臣はじめ道路局長等、静岡県内選出衆参国会議員、川勝平太静岡県知事および県幹部、静岡県議会議長はじめほぼ全員の県議会議員、県内市町の首長および市町議員、路線上に掛かった地権者達等、約800人が参加しました。

(記念式典の様子)

 現東名高速道路は昭和40年代前半に完成し、以来、日本の東西物流の大動脈として活躍してきました。しかし、当初の想定通行量40,000台/日に対し、近年70,000台/日と大幅に上回り、渋滞が日常的に発生していること。静岡市清水区由比付近では、海岸線ぎりぎりを通行することから、台風など高波の影響を受け通行止めも度々あり、予想される大震災においては脆弱性が指摘されるなど代替えの高速道建設は各方面から切望されていました。

 

 次に、式典で述べられた主催者、来賓あいさつの一部を紹介します。

 金子社長からは、まず最初に、予定よりも1年の前倒しで開通できたことにたいし地元地権者への感謝の言葉がありました。新東名高速道は「渋滞解消」、「災害対策」、「物流」を担い、工事においては「安全と品質」を第一に、コスト削減、新技術の導入、緑のリサイクル(路線上にあった樹木は、施設内で出来るだけ移植して活用)などに配慮していること。また、13カ所あるサービスエリアやパーキングエリアは、「地域コンセプト」を活かしたものであり、その中で7カ所は、「未来を予測させるパーク」をテーマに、「ぶらっとパーク」と称して、高速道路の利用者及び周辺地域にも活用していただけるよう工夫していることなどを紹介されました。

 前田国交省大臣は、「現東名高速道が40年以上よく耐えてきた」とのねぎらいの言葉を述べた後、3.11東日本大震災における道路が救援や復旧に大きな役割を果たし、特に東北内陸部から太平洋沿岸部に抜ける道路は「くしの歯作戦」であらためてその重要性を実感したことなどを揚げ、それと同じように新東名高速道は、国の「くしの歯作戦」の根幹をなすものであり、地元にとっても大きな貢献が期待できる。

 

(来賓挨拶される前田国交省大臣)

 川勝県知事は、3.11東日本大震災に触れ、新東名高速道が高台、内陸部を通過することから、非常時には「命の道」としてまた、周辺地域を安心・安全な新たなまちづくりに誘導し、平時には物流の幹線として、「内陸フロンティア」への大きな期待が掛かるなど、議会内で普段述べていることを改めて、現場で感慨深げに訴えかけていました。

 

 ゲート入口での鋏入れ式は、主催者、来賓代表、地元小学校の生徒達による楠玉割も同時に行われました。この生徒達にとっても生涯忘れ得ない体験だったと思います。

 

(鋏入れ式とくす球割り)

 この後はいよいよ、本線の走り初めに移行、真新しい白線が引かれた道路を、白バイを先導に西へ向かい、富士川橋を超えて静岡市との市境付近までを往復しました。

 

(開門直前の新富士インターゲート)

 

(いよいよ白バイを先頭に本線へ)

 

(途中には大勢の報道陣がカメラを構えて)

 

(真新しい白線の引かれた本線上へ)

 

(トンネルの径も従来よりかなり広い)

 

(本線上にも報道陣が)

 

(本線上の行き先表示)

 

(富士川橋を通過中)

 

(新富士インターへ戻ってきました)

 

<駐日ベトナム大使来冨>

 先に述べたように、富士吉原ライオンズクラブ設立50周年記念式典に出席するために来冨され、富士市内に一泊、翌日クラブ有志の方々と親善ゴルフをされ帰京されました。私は、初日の記念式典及び懇親会に同席させていただき、親交を深めることが出来ました。

 大使は正式の肩書きを、「駐日ベトナム社会主義共和国大使館、特命全権大使」で、名前はドァン.スァン.フン(DOAN XUAN HUNG)閣下と申されます。

 

(駐日ベトナム大使と)

 

 着任後まだ4か月で、当面日本にいらっしゃると言うことで、日本の地方に大変興味をお持ちになっていました。私もライオンズクラブメンバーであり、4年ほど前に市内の高校生代表5人を引率し、団長としてベトナムを8日間訪問させていただいた時の「日越学生間交流事業」の話題や、近年の両国の結びつき、富士山静岡空港の活用、富士山世界文化遺産登録などから、更なる友好の深まりへの期待など、多方面の話題で親しく意見交換させていただきました。

 少しプライベートな話題にも触れた後、大使が私と年齢が同じだったことも意気投合した理由の一つで、「一度大使館に来ないか」とのお誘いを受けました。秘書官達も同席され指示されていたことから、この件は実現可能と感じ、大変ありがたいことで、光栄に受け止めさせていただきました。

 大使は静岡県、特に富士市が大変気に入ったご様子で、しかし滞在時間が短すぎたのではないかとは思いますが、「再来」も約束していただきました。

 現在、ライオンズクラブでは、ベトナムとの交流が10年を経過し、さらなる深化も期待しているところで、この件を始め、県内他地域の民間外交においても関心があるような情報も得ているため、関係者と意見交換しながら大使にもお力をお借りすることがあるかもしれず、大変、貴重なご縁をいただいたことに、心から感謝申し上げたいと思います。

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