鈴木すみよしブログ

身近な県政にするために。

水のありがたさに感謝

2020年01月17日 | 議会活動

令和2年1月17日(金)

 

 空気のような存在感と言いますが、何でも当たり前に思えることが決してそうではないことに気づかされることが多々あります。私はその一つに水を上げます。

 普段の生活では水も空気と同じように生きるために必要で、ほぼ安定して安心な水を飲むことができます。しかし、ここ近年頻繁に発生する大災害では、水道が止まり、生活に大きな影響を与えています。水のありがたさを誰もが実感する場面でもあります。

 

 災害時はとりあえず置いておいて、なお水のありがたさを感じることは多々あります。私の街は富士山の麓にある富士市であり、富士山に降った雨や雪が長い年月をかけて麓に湧き出ます。住んでいる地域の地下には巨大な水瓶があり、この地域では川の水を飲料水として使うところはほとんどありません。富士山の地層で濾過された良質なバナジウムをも含む軟水が当たり前のようにいつでも安心して飲むことができます。科学的な評価でなくても、人の舌の感覚で「おいしい」と誰もが感じる水です。

 この良質な水が大量にあったからこそ、製紙業が発展する背景となりました。高度成長期には無制限の揚水で地下水位が下がり、企業活動だけでなく市民生活に大きな影響が出ました。地域に住む全ての人々が初めて水のありがたさを実感したはずです。その後の規制などにより、行政、企業、市民が一体となった地下水維持の取り組みで、現在はほぼ解消している状況です。

 

 議員になって国内外に出かける機会が増え、その出先で水を飲むことは当然ありますが、長年の生活で染み込んでいる水に対する舌の感覚は、改めて地元の水の良質さを実感してしまう瞬間でもあります。同時に、いかに普段飲んでいる水が当たり前と思っているか反省する場面でもあります。

 

 飲料水は無味無臭と言われますが、決してそんなことはありません。私たちが普段飲んでいる水は、一見、無味無臭ですが水源や水が生成された環境などにより全く異なるはずです。かつては都会の水はおいしくないと言われました。川の水を水源とし、浄化され清潔な水が提供されてきましたが、今は、同じ水源なのに浄化装置の機能向上などで、かつて同じ水を飲んでいたとは思えないくらいおいしい水が提供されています。とはいえ、自然の中で浄化された水は、ミネラルも豊富で自然と「おいしい」という言葉が出てきます。

 

 地元を離れたときに、地元の水のありがたさを実感する機会に触れ、この水をこれからも大切に後世に残していくことを改めて思う瞬間でもあります。

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