常識について思うこと

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「四次元の目」で見えるもの

2008年02月01日 | 異次元

第三の目、心眼、千里眼、神眼、全てを見通す目、プロビデンスの目・・・。いろんな言い方をしますが、これらは、顔に付いている物理的な「二つの目」以外にあるとされる不思議な目のことを指しています。その目で何を見ることができるのかという点については、いろいろな方々が、それぞれの主張をされているようですので、何とも言えません。ただ私なりには、その目は物理的な目とは違い、物質世界(三次元世界)に囚われない目であり、「四次元の目」とでも言うべきものではないかと解釈しています。そして「四次元の目」には、事象の本質を捉え、未来を見通すビジョンを映し出す力があるのではないかと考えます。

本題に入る前に、この不思議な目については、米国紙幣の裏側にある「ピラミッドの上の目」に関する話も聞きますので、その点について、若干触れておきたいと思います。米国紙幣の裏面には、ピラミッドが描かれており、その最上部に「人間の目」があります(右図参照)。これは、ある特定の組織のシンボルであるといった指摘があります。また最近では、ニコラス・ケイジ主演の映画「ナショナルトレジャー~リンカーン暗殺者の日記~」に、このシンボルが使われていたりもします。こうした情報をかき集めていくと、このピラミッドの目については、いろいろと分かることが出てくるでしょう。一部では、米国や米国政府そのものを動かしている巨大な権力が、人類の「万物を見通す目」という素晴らしい能力を独占しようとしているといった具合に、危機感を煽るような方々もいらっしゃいます。事の真偽は分かりませんが、私はたとえ米国やその関係者の方々が、人間の特殊な能力「四次元の目」に注目して、それを開発しようとしていたとしても、現在のような手法(科学や宗教)では、けっして開かれることはないだろうと思います。それは、以下のような理由によります。

この三次元世界は三次元の法則だけで動いておらず、四次元世界の影響を大きく受けているだろうと考える(「確からしい四次元の存在」参照)と、三次元世界でのあらゆる事象は、四次元世界の法則が可視化したものに過ぎないと考えることが可能です。そして、こうした考え方は、ずいぶん昔から存在していたように思います。

江戸時代の隆盛した国学では、本居宣長が「顕幽論」というのを唱えています。これは世界の事柄を「顕事」(=現世における人が行う所業)と「幽事」(=目に見えない神の為せる事)に整理したもので、私はこれらの世界をそれぞれ「三次元世界」、「四次元世界」に置き換えることができると思います。本居宣長の門人である平田篤胤は、師の「顕幽論」に対して「幽冥論」を展開し、「顕界(三次元世界)」は有限の仮の世界であり、「幽界(四次元世界)」こそが無限の真の世界であるという整理をしました。どちらが「仮」で、どちらが「真」かという議論はさておき、少なくともこの物質世界(三次元世界)の事象は、高次元世界の法則等が顕在化したものに過ぎないという考え方そのものは、それほど的外れではないように思うのです。

そこで「四次元の目」について考え直します。三次元世界が、四次元世界の法則等が顕在化したものであるとするならば、四次元世界がどうなっているかを見据えることは、三次元世界の将来を予見するということになります。即ち、「四次元の目」は、三次元世界の将来や本質を見通す目であり、未来のビジョンを映し出す目であるということです。

ところで、このように「四次元の目」等というと非常に仰々しく、何か特別なもののようなイメージを与えてしまいますが、これは誰にでもある「目」なのです。簡単な言い方をすれば、どんなことでも「本来こうあるべき」というイメージを描くことが、「四次元の目」で見るということであり、それによって見えているイメージが、あなたの「四次元の目」で見えるビジョンであると言えます。

四次元世界という言葉についても、非常に難しく考えてしまうかもしれませんが、それほど難しいものではないと思います。既に「確からしい四次元の存在」で述べているとおり、四次元世界を目に見えない、「心の世界」と解釈すれば簡単なことです。生きている人間であれば、誰しも心があるわけですから、それを感じることはできるはずです。心を持っていれば、人間にとって何が嬉しいか、何が楽しいかかが分かりますし、また何が辛いか、何が悲しいかも感じることができます。それらに基づいて、人間は何が幸せであるかを知り、何が道理であるかを知ることができるわけです。常日頃から心を磨いて、その心に素直になればなるほど、四次元世界は言葉としてではなく、体で感じることができるようになるでしょうし、そのことで自ずと「四次元の目」が育つことになるのだろうと思います。

また「四次元の目」が育つと、その人は強い人間になっていくことができます。開かれた「四次元の目」を持っている人は、次に三次元世界で何が起きるかが分かります。何が起こるかが分かっていれば、三次元世界の未来像となって、その人の頭の中にイメージとして沸いてきます。それこそが、いわゆる「ビジョン」であり、それはその人が正しいと思う道に進むことに対する自信となり、また勇気を与えてくれます。このように三次元世界の過去や現状に囚われず、未来を見通す力とそれに向かって進んでいく強さは、本来、どんな人間にも備わっているものだと思うのです。

このように「四次元の目」とは「心の目」であり、これを開くためには、自分の心との対話を重ねていかなければなりません。それはあくまでも自分の問題であり、他人に頼ることができないのです。科学や宗教は、三次元や四次元世界の理解を促し、そうした自分の心との対話を進めるための道具にはなり得ても、決定的な解決手段にはなり得ないという点が重要であり、わたしたちは、そのことを十分に理解しながら、科学や宗教と向き合っていく必要があるのです。

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