人生において、何を持って「成功」とするかは、人それぞれだろうと思います。そしてまた、それは各人が自由に選ぶべきことであろうと考えます。
いろいろな方々とお会いする中で、波に乗っている人というのはいるものです。ただ、そんな方々でもけっして一様ではなく、慢心してしまう人もいれば、謙虚さを保ち続けられる人もいます。この違いが、どこから生まれてくるのかについては、様々な見方があろうかと思いますが、私としては、何を持って「成功」とするかの違いから、生まれてくるものではないかと考えます。
慢心してしまう人というのは、自分の人生が「成功」したと思って、油断してしまっている人です。逆に言えば、大したことのないものを「成功」と思っている人であり、それだけ小さい人であるとも言えます。こうした人の場合、慢心した言動によって、簡単に人物の底が見えてしまうという意味で、いわゆる「浅い人」と言うこともできるでしょう。
一方で、謙虚さを保ち続けられる人というのは、自分の人生が、まだまだ「成功」に程遠いと思っている人であり、だからこそ慢心するに及ばない人です。こういう人は、人生をかけて成し得るような大きな仕事を持ってしてのみ、「成功」と考えている人かもしれず、それだけ計り知れない人であるとも言えるでしょう。
前者となるか、後者となるかは、それぞれ自分が決められることです。即ち、何を持って、「人生の成功」と考えるかについては、各人が自由に決められるのであり、それに辿り着かない人は、時間をかけてでも、それを謙虚に見つけ出す努力を続けていけばよいということでしょう(「「負け組」たちへのエール」参照)。
余談ですが、私の場合、どんなに大きなものであったとしても、一般的に何かを成し遂げて「うまくいった」と思われるようなものを持ってして、「人生の成功」であると考えるつもりはありません。それは、何か新しいものを作り出すことも大切ながら、それがさらに新しいものによって倒されるということも、その次の時代にとって、より大切なことだろうと思うからです。それは今、私自身が古いものを倒そうとしているからこそ、倒し倒されることの重要性を切実に感じており、それは次の時代において、自分自身が倒されることの重要性をも含んでいるという実感があるためです。もちろん、私には私なりの確固たる信念があり、簡単に倒されるわけにはいきませんし、それなりの正しさがあると思っています。しかし、それが永続するようでは、やはり未来は拓けていかないとも思うのです(「交錯する正義と悪」参照)。
そういう意味で、私は私なりのものを作り上げ、最終的にきちんと倒されることまでを含めて、私にとっての「成功」なのだろうと考えます。このように考えると、何かを作り上げるような一般的な「成功」等はもってのほか、さらにそれを成し遂げた後、最後に倒される瞬間まで、私には、到底慢心している暇はなさそうです。そして、その頃の主役は、間違いなく私の子供たちを含む、次の世代になっていることでしょう。
いずれにしても、何を人生の「成功」とするかについては、与えられている時間を目一杯使いながら考えればよいと思います。そして、その評価時点を中途半端なところで区切らず、人生最後の瞬間までをかけて、「成功」を実現するくらいのつもりで設定できたら、より豊かな人生が開けてくるのではないかと思うのでした。
《おまけ》
こんなことを書きながら、「カレイドスター」のレイラさんの台詞を思い出しました。それは、レイラさんからソラという新旧スターの交代劇の中、オーディションでレイラさんがソラに敗れたときの台詞です。
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これからはソラに憧れて、たくさんの新人がやって来るわ。その時、ソラがしなくちゃならないこと。それは挑戦者たちと向かい合って壁となり、やがてその時が来たら、全力で戦って敗れること。今日、私が取りに来た忘れ物もそれよ。私は、ソラに敗れることなくステージを降りてしまった。それがソラの自立を阻んでいた。ソラ、ちゃんと戦うことも、これからのあなたの大切な義務よ。忘れないで。・・・おめでとう。
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レイラさん、めちゃくちゃカッコいいです。今、台詞の中身を確認するために、チラッと見てしまいましたが、やっぱりカレイドは最高です。
それはさておき、ステージに限らず、人生そのものにおいても、こういう生き方を心がけることは、非常に大切だと思うのです。
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