常識について思うこと

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常に問われる国家の品格

2008年07月14日 | 日本

竹島問題に絡んで、日韓間での議論が若干騒がしくなっているようです。報道によると、中学校の学習指導要領の解説書において、竹島に関する既述を明記した日本に対して、韓国が駐日大使を一時帰国させるとのことです。

私は、現時点において、どちらの主張が正しいかについて、言及するつもりはありません。ただ一点、両者の主張が食い違っているということについては、事実として受け入れるしかないのだろうと思います。

それぞれ、隣り合わせている国同士、領有権について何を根拠にするのかをはじめとして、両者の議論が食い違うことは、大いにあり得ることです。これは、きちんと議論を重ねていけばいいでしょう。議論で解決しないこともあるでしょうが、それでも武力に訴えるのではなく、まずは話し合いを続けていくということが大切なのであり、それが「大人の対応」というものではないかと思います。

以下、日本人や韓国人のうち、特定の個人や政治家を指して述べるのではなく、あくまでも国家・中央政府としての日本や韓国の公式見解や立場を考慮したうえで、整理してみたいと思います。

これまで日本は、自国民の歴史教育の内容について、周辺国に大変な気を遣いながら、検討を進めてきたと思います。賛否あるでしょうが、様々な経緯を踏まえ、ひとまずの対応として、これまで日本がとってきた教育の方針や内容について、ある程度の評価がなされてもよいのではないかと考えます。

一方韓国は、日本への教育に様々な要求をつけるだけでなく、自国民に対しては、日本を貶めるようなかたちで、愛国精神を高揚させていると取られても仕方ない歴史教育を展開してきました。それが多くの日本人に対して、いろいろと複雑な感情を呼び起こさせたことも間違いないでしょう。しかし、日本はそれらを全て飲み込んで、韓国の自国民に対する教育について、日本が口出しすべきではないという立場を貫いてきました。私は、これも良かったのではないかと考えます。

過去に何があったにせよ、国家として存在する以上、そこには尊厳があって然るべきであり、国家同士は互いに尊重し合わなければなりません。そして、少なくとも(個人の政治家レベルでの発言を巡る議論などがあったにせよ、政府レベルの公式見解のなかで)日本は、教育問題について、韓国の意見を最大限尊重してきたと思います。私は、これらをもって、日本が韓国という国をできる限り尊重し、そのひとつの表現として、内政干渉をしないという立場をとってきたと解釈することができると考えます。

戦後の歴史教育を巡る問題について、日本は、韓国における愛国精神や歴史教育のあり方について言及しないことは、もちろんのこと、韓国からの日本に対する様々な要求があっても、ひとまずそれを受け止めるという姿勢を示してきました。つまりこれは、内政干渉とも取れる韓国の日本に対する要求に対して、それに異を唱えるという内政干渉すらしなかったという意味で、十分評価されるべきではないかと考えるのです。

さらに、歴史問題において大切なことは、過去から学ぶということの大切さです。過去から学ぶのは、日本だけではありません。あらゆる国々が、過去から学ぶ必要があると考えます。

万が一、韓国は過去から学ぶ必要がないというのなら、その理由を聞かなければなりません。そしてもし、韓国も過去から学ぶ必要があることを認めるのであれば、それは何だったのかを自ら問い直していただく必要があるのではないかと思うのです。

ある私の知り合いの韓国人が、「歴史的に、韓国に力がなかったのがいけなかった」と言ったことがあります。このことから、もし韓国にとって、過去から学ぶべきことが「武力を持つべき」、「武力に頼るべき」ということであるならば、竹島の占拠は、その教訓を大いに活かしているということができるかもしれません。しかし、もしそうなら、韓国が日本に対して、過去の(いかなるかたちであれ)武力行使の問題を取り上げて、一方的に批判することはできないようにも思います。そこを曖昧にして、本問題を通り過ぎることはできません。

私は、日本にとっても、韓国にとっても過去から学ぶべきことは、「武力では解決しない」ということではなかったかと考えます。いろいろな事情や情勢があるにせよ、武力による解決は、相手に禍根を残し、本質的な解決には至らないということが、お互いに学ぶべきことではなかったかと思うのです。武力により、辛い思いをしたから、もう学ばなくて良いということはないと思います。辛い思いをしたのであれば、今後は辛い思いをしないようにどうすればいいかを考えると同時に、他者に対して、同じように辛い思いをさせないようにどうするべきかということを考えなければならないでしょう。

然るに、竹島の議論に合意点が見出せないからと言って、警備隊を派遣し、武力占拠するという韓国の行動が、本当に過去から学んでいる結果なのかという点が、本問題におけるポイントのように思うわけです。

私は、竹島をはじめとする両国の歴史問題などについて、双方の立場や議論に食い違いがあることは、やむを得ないと思っています。しかし、それが気に食わないといって、武力に頼った行動に出るということは、あってはならないというただ一点において、韓国の行動には再考の余地があるのではないかと考えます。

議論は大いにすべきです。気に食わないこともあるでしょう。しかし、だからと言って武力に頼ったり、接点を切ったりするのは、必ずしも品格ある国家の対応ではないと思うのです。韓国の行動は、果たして品格ある国家の行動であるのかどうか、責任者の方々は、あらためて考えてみる必要があると思います。

しかし一方で、私自身、韓国に対してどうせよと言うつもりもありません。竹島に警備隊を派遣しようが、駐日大使を帰国させようが、国家のあらゆる決定は、その国家の自由意志に委ねられる問題だと思います。好きなようにすればいいでしょう。ただ、それら全ての行動について、国家は常にその品格が問われているのであり、国家運営を任されている方々は、その重大な責任を負わされているという点については、きちんと明らかにしておきたいと思うのです。

また一点、本問題について付け加えたい重要なことは、韓国という国が、大変長きに渡って、侵略や属国扱いを受けるという、辛い経験を強いられてきた国だということです。これは、私たち日本人が経験をしていないことでもあります。そういう意味で、武力に対する思いや感性は、私たち日本人にはないものがあるのかもしれません。

私は、歴史問題を巡り、これまで展開されてきた日本に対する韓国の一連の主張は、そうした過去の辛い経験から生まれてきたようにも思います。いわば、過去のトラウマから生じる、当然の自己防衛本能の表れのようなものかもしれないということです。それは、私たち日本人には、永遠に理解できないのかもしれません。

そういうことを含めて考えると、上記のような「国家の品格」といった整理をしながらも、これまでの韓国の主張や行動に対して、否定したり批判したりするつもりもありません。「国家の品格」が問われるであろうことは、指摘してしましたが、それをもって、韓国が「品格のない国家」であると決め付けているわけではありません。また、日本だけが、一方的に「品格ある国家」と言っているわけでもないのです。

常にチャンスは開かれています。大切なことは、どのような未来を創っていくかということです。明るい未来に向かって、両国がどのように付き合っていくべきかについて、日本も韓国も、真剣に考えていく必要があります。互いが相手の国家を尊重し、それぞれが「品格ある国家」として、堂々と胸を張れるようになったとき、両国の関係は、次のレベルに発展していることでしょう。それを大いに期待したいと思います。

《おまけ》
上記は、国家レベルの筋論として、私なりの見地から整理したものです。ときどき、日韓の政治問題などを持ってして、特定の韓国人(個人)を責めたりする日本人もいらっしゃいますが、それはそれで、日本人としての品格を下げることになるということについて、自覚が必要でしょう。その責める対象となる韓国の方が、日韓の政治問題を解決し得る立場にある人物であるならばともかく、こうした問題のはけ口として、一般の人々に対して矛先を向けるのは、まったくの筋違いであるということに、注意していただく必要があるかと思います。

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