常識について思うこと

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休漁にみるエネルギー問題

2008年07月15日 | 社会

原油高の影響により、漁業で生活を営んでいる方々が、大きなダメージを受けているようです。本日、関係者の方々が、その窮状を訴えるために、全国で一斉休漁するという報道がありました。私は、現在の社会において責任ある地位の方々が、この問題に対して根本的な解決ができ得るのかということについて、あまり期待をしていません。もちろん、現在の枠組みのなかで、できる限りの対策を検討し、対処していくことはあろうかと思いますが、原油高という根本的な問題を解決できるような策を講じるのは、極めて難しいだろうと考えます。

つい数ヶ月前、ガソリンの暫定税率分である25円が重大問題であるかのように振舞った政界の方々、それをしきりに取り上げたマスコミの方々、さらにそれらに振り回された多くの国民がいました。

私は、一介の素人ではありますが、エネルギー問題の深刻性や危険性については、以前より気付いたことがあったので、それに関して指摘をしてきました(「有限のエネルギーを巡って・・・」、「エネルギー問題への違和感」など参照)。それは、私の周囲にいる方々に対して、口頭で直接伝えてきたことでもありましたが、当時のほとんどの人々にとって、それはあまり現実的な話ではありませんでした。

つい先日、ある方から、「最近、世の中が怖い。社会に先が見えない。鬱のようなものだ」という告白を受けました。その方にも、ずいぶん前から社会が向かっている将来の危険性については、申し述べさせていただいていましたが、ようやく今になって、私の言葉の意味を理解していただいたような気がしました。その方にとって、私の話が多少なりとも現実的な話として、聞こえるようになったようです。

しかし、だからと言って、私の言葉が正しいとか、信じろなどと言うつもりもありません。

目前にある難解な問題について、既存の枠組みのなかでの解決を図るということ自体、良いことですし、何とかなると信じる自由があることは確かです。やるだけのことをやって、もし既存の枠組みではどうにもならなくなったとき、人々は自ずと真剣に、新しい枠組みとは何かについて、考えるようになるでしょう。

たまたま私は、現時点において、既存の枠組みでは、根本的な解決し得ない問題が多々あると思っており、これから別の枠組みを作っていく必要があると感じている人間であるというだけだと思います。そんな私がするべきことは、現在、私たちが直面している問題が、本当に既存の枠組みでは解決しないということが確定したとき、社会がスムースに次の新しい枠組みに移行できるよう、淡々と準備しておくことなのではないかと考えています。

そしてまた、世の中が悪くなるということは、一方的にマイナスの意味だけがあるとは思いません。社会全体の悪化現象は、それだけ多くの人々が、将来のことを真剣に考えるようになることと直結しているように思うのです。このことは、社会全体にとって大変重要であり、大切なことだと考えます。

昨日、ある方とお話をさせていただいた際、たまたま「パラダイムが変わる」という言葉が出てきました。パラダイムシフトという言葉は、ずいぶん前から使われています。しかし私は、真のパラダイムシフトはまだ起こっておらず、まさにこれからが、本格的なパラダイムシフトの時代なのではないかと考えています。

今回、休漁をされた関係者の方々にとって、既存の枠組みのなかで、様々な解決を試みる、あるいは訴えていくということは大切なことであり、それらには、多くの方々の生活が懸かっている点、見逃すことができません。つまり、それだけ深刻な状況に陥りつつあるということです。しかし、それでも事態を改善できず、出口が見つからないような絶望的な状況になったとしても、その先には、それまで見えなかった新しい道が拓けているように思うのです。

私の話には物騒な内容が含まれていることも多いので、現実にならないで済むのなら、それはそれで大いに結構なことです。例えば、今回の休漁は、エネルギー・原油価格の高騰という事象が、漁業に及ぼした結果として起きたものでしたが、エネルギー問題は、生活に直結したあらゆるところに多大なる影響を及ぼします。到底、漁業や鮮魚といった分野に納まる類の話ではありません。これから先、私たちの生活は、もっともっと大変な状況に追い込まれても、おかしくないのです。そして、社会に対する警鐘としての私の言葉が、現実味を帯びるということは、これからますます、社会が絶望的な状況に陥るということを意味するのだろうと思います。

しかし、もしそれらが現実味を帯びるほど、社会が荒廃してしまったとしても、一方でそうした絶望的な状況を経るということは、次へのステップに向けてどうしても必要な過程であり、それは必ず明るい未来へと繋がっていくものではないかと考えています。そして、どんな状況になったとしても、新しい社会を構築するための努力は怠ってはならないと思うのでした。

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