常識について思うこと

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コンテンツを愛する人々

2008年03月11日 | 産業

MADだろうが何だろうが、コンテンツを作成するというのは、それに愛情がないとできないことだと思います。アンパンマンを例にした記事、「熱くカッコイイアンパンマン」を書きましたが、これはあらゆるコンテンツ作成について、言えることだと思います。

アイドルマスターを使った動画にしても、プラモデルやフィギュアを使ったコマ撮り動画にしても、手書きアニメにしても、ボーカロイドに歌わせるにしても、その他MADでの音楽に合わせた編集作業等、皆さんものすごい根気を使った作業をしています。プロじゃないと言えば、プロじゃないですし、プロのレベルの根気じゃないと言えばそうかもしれません。しかし、それらの作業をお金ももらうことなくやっているということは、それらの根気強い作業を行う動機について、お金をもらっているプロよりも、むしろ純粋な側面もあると思うのです。すなわち、それが楽しいからであり、それで楽しむ人がいてくれたら嬉しいと思うからであり、そのコンテンツのテーマとなる対象を愛しているからだと思うわけです。「生活のため」とか「お金のため」とかいう動機が一切混じっていないという意味で、プロでない人々のコンテンツ作成は、これはこれで純粋にコンテンツを愛している人たちの為せる業ではないかと思います。

けっしてプロではないけれども、愛情を注いでコンテンツを作成する人がいる。そういうコンテンツを楽しんで、それを愛する人がいる。そして、それらをつなぐ技術があるとしたら・・・。

コンテンツを愛する人々が元気に気持ちよく活躍でき、またそれらを大いに楽しめるような仕組みは、必ず出来上がるでしょう。

ところで、一方で困った問題があるのも事実です。

例えば、ドナルドの「ランランルー」ネタのコンテンツは面白いですし、私の子供たちも大好きですが、R指定クオリティのものも多いため、子供たちに見せる際には、少々気を遣ったりします。こうしたところは、対策が必要な部分ではあります。

ただし、こうした問題も十分に解決が可能だと考えています。ここでは具体的な施策について述べませんが、新しいオープンメディア(オープンメディアの考え方については、「次時代のコンテンツ評価」参照)において、R指定をかける仕組みも必ずできます。逆の言い方をすると、そういう仕組みもセットでなければ、上記のような新しいコンテンツの仕組みは実現しないと思っています。

そして、ここでも大事なことは、コンテンツに対する愛情です。R指定クオリティの「ドナルド」コンテンツを作っている人々も、けっして悪意があるわけではなく、「ドナルド」を愛していると思うのです。

いろいろな問題があるにせよ、それに参加する全員が愛情を持って新しいものを作ろうとし、またそれらを楽しもうとしているのであれば、自ずとそうしたエネルギーの結晶体として、次の仕組みは生まれてくるのだろうと思います。

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