常識について思うこと

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お金をどこまで信じるか

2008年03月20日 | 社会

「信じられるのはお金だけ」。こう言いたくなる気持ちは分かります。実際に、そう思っている人も、たくさんいるでしょう。しかし、それは幻想だと思います。お金だって裏切ります。お金の価値が不変だと思うのは危険です。お金の価値などというものは、正直どうなるものか分かりません。分かりやすい例で言えば、円という通貨は、外国通貨との関係で、その価値が常に変動しています。

1945年、ドルを「金」との交換比率に固定し、さらに各国通貨もドルとの固定相場制により価値を定めた、いわゆる金本位制のブレトン・ウッズ体制以降、各国通貨は「金」との紐付けにより一定の価値を保ち、世界経済は安定的な貿易拡大を背景に発展してきました。円について言えば、「金」との交換比率が固定されているドルに対して、「1ドル360円」という固定相場により、一定の価値を保持し続けていたわけです。

ところが1971年、突如、ドルと「金」との交換停止を発表したニクソン・ショックにより、世界経済の枠組みは大きく変わることになります。それまで、「金」を背景に一定の価値を保障されていたドルの価値が揺らぐわけですから、世界経済システム全体への影響は言うに及びません。これ以降、ドルと各国通貨との相場は、次々と変動相場制に移行していきました。

こうした時代の流れのなかで、円は各国通貨との相対価値で量られるようになり、変動するようになったのです。

「いや、そうは言っても、ドルを中心に一定範囲内で、お金の価値は保障されているでしょう。」

そう言われるかもしれません。たしかに、今のところそうなっています。しかし、世界経済が「金」から切り離されて、40年も経っていないのです。「金」から切り離された通貨が、再び「金」と結び付けられたとき、その価値がどうなるかは、まったく分かりません(少なくとも、日本の金保有高は、それほど多くないと考えるべきだと思いますが・・・)。

そして、世界経済において、金融の力が巨大な影響力を持つようになり、実体を伴わない「バブル現象」が多くなればなるほど、「金」という実体を伴った経済システムへ戻す可能性は高まるのではないかと思うのです。この考え方は、何も突拍子のない発想ではありません。ニクソン・ショック以前のシステムに戻すだけであり、かつて、それで世界が回っていた時代があったのです(FRB議長だったグリーンスパン氏は、「金本位制」の重要性を主張されていました)。

ちなみに、「バブル現象」については、逆のことも起きています。即ち、株価等で企業価値を算定すると、実際に保有している現金を含めた資産等よりも低く見積もられるような会社があったりするのです。こういう会社を買収するときの手法として、レバレッジド・バイアウト(LBO)というものがありますが、要するに金融ルールに従って考えると、企業が実体に比して、過小評価されてしまうということです。これは、まさに「バブル現象」の反対です。

いずれにせよ、金融ルールの多用により、経済が実体から離れれば離れるほど、通貨の価値を「金」などの実体と結びつけることの意味は、大きくなると思われます。そして、このように考えていくと、今、手元にある円という通貨が、それほど信じるに足る対象とすべきではないことに、気付くかもしれません。

いや、実はもっと手前で、大変なことが起こる可能性もあります。日本の債務は、既に地方のものを合わせて、全体で1000兆円を超えています。いつ破産してもおかしくない状況にあると考えるべきでしょう。当然のことながら、お金の価値は、国家の信用で成り立っています。一所懸命、お金の価値を信じて、それを貯めたところで、国が破産してしまったら、それらの資産はほとんどの価値を失うことになるわけです。

信じるのは自由です。「信じられるのはお金だけ」という人々がいても、当然だろうと思います。しかし、一応お金には、そういう側面があるということを、知っておいた方がいいと思うのでした。

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