常識について思うこと

考えていることを書き連ねたブログ

リスクをとるということ

2008年02月05日 | 独り言

あるテレビ番組で、出演者のリスクに対する考え方をチェックするということで、「うまい儲け話(100万円が1000万円になるという話)があったとして、これに乗るか乗らないか」という質問が出てきた。

僕は、この質問に即「No」と答える。まずもって、うまい儲け話などあるはずはないし、お金は何かの対価としていただくものだと思っている。大金を得るからには、それなりの経済活動をしないといけない。そして、いただくお金の額は、その貢献度の大きさが決めるのだという信念があるから、考える間もなく「No」だ。

では、僕はリスクをとらないか?

とんでもない。僕は、間違いなくリスクをとる側の人間だと思う。社会や世の中に必要だと思っているものに対しては、自らの命を賭してでもリスクをとった生き方をしようと思っている。

大切にしたいのは、道理に合っているかどうか。その感性が僕を突き動かすのであって、道理が通らない訳の分からないもの(うまい儲け話のようなもの)に、自分のリソース(時間やお金)を一切投じるつもりがないというだけ。

生きていれば、人間は必ずリスクをとるものだと思う。これは皆に共通して言えること。そうだとしたら、自分の貴重な時間やお金を道理に合わないものに賭けるよりも、本当に正しいと思えるものに使っていくことが、よいリスクのとり方だと思うし、そういう人が必ず成功していくというのが、世の中の仕組みであり、また道理なのだと信じている。

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歴史上の誰よりも偉い人

2008年02月05日 | 人生

歴史的に偉人とされる人々がいます。あなたは誰を尊敬しますか?

千差万別。いろいろな回答があってもいいし、そういう人々を尊敬するのは、大変結構なことだと思います。また、そうした偉人たちがどういう局面で、何を考え、どう行動したのか等について、学ぶことも大切なことでしょう。

しかし、何よりも大切なことは、そうした歴史上のどんな偉人よりも「あなたの方が偉い!」ということだと思います。歴史上の偉人たちは、偉大な功績を残したでしょうし、その功績によって、今の私たちが恩恵に与っていることは、けっして忘れてはなりません。そうした歴史上の偉人から、多くのことを学ぶことは、非常に大切なことです。

けれども、歴史上の偉人たちは、もう既に亡くなられた方々であり、この世に存在しない人々です。彼らは、どうやっても現在を変えることはできませんし、未来を創ることもできません。一方で、私たちは現在を生きています。だからこそ、私たちは、現在を変えることができるし、未来を創ることもできるのです。至極当然のことではありますが、私は、この点において、「私たちの方が偉い」と言えると思います。もう少し、正確を期すと「私たちの方が偉くなれる」ということかもしれません。しかし同じ意味です。

今日、いろいろなところで指摘されているような問題が本当だとすれば、私たちは、これからの時代、全地球規模・人類規模で、多くの大変な難題に直面していくことになるのだろうと思います。その時代に生きるということは、それだけで大変な困難を乗り越えていかなくてはいけないことになるはずです。そして厄介なことに、こうした全地球規模・人類規模の問題は他人任せにすることはできません。私たちひとりひとりが、そうした大きな問題について真剣に考え、答えを見つけ、行動していかなければならないとしたら、それは非常に大変なことになるはずです。

かつての偉人たちも、偉大な人々であったことは間違いないでしょう。しかし、これからの人類が抱えるほど、大きな課題には取り組んでいなかったとも言えると思います。これからの私たちは、目の前に迫る「全地球的危機」を回避しつつ、60億人を超える人類が、永続的に住み続けられる環境を整備しなければならず、そのように次時代のための新しい仕組みづくりを行うというのは、かつての人類が経験したこともない大事業になるはずなのです。

歴史上の偉人は、その時代において必要なものを生み出し、私たちが現在生きている社会の礎を築いてくれました。しかし、それらは時代が移り変わると共に、絶対のものではなくなります。次の時代において、それらは次第に機能しなくなるという「限界」を迎えることが多々あるのです。したがって現在を生き、次の時代を作り出していかなければならない私たちにとって、歴史上の偉人から学ぶときに大切なことは、当時としての「偉業」と「限界」の両方を学ぶことなのだと思います。

「あなたの方が偉い!」という言葉には、あなたが現在を生きる人間として、そうした偉人から当時としての「偉業」と「限界」の両方を学ぶことができるはずだし、そのなかから彼らの「偉業」に対して感謝をしつつ、「限界」に代わる新しい枠組みを作り出していくことができるという意味が含まれています。

私は、歴史上の偉人たちが成し遂げた功績について、彼ら自身も、それらが永続的に続くようなことを望んでいるわけではないと思います。その当時としてのベストな結果を出したかもしれませんが、時代が変われば、それらの役割も変わってくるということについては、理解を示してくれるように思うのです。「魂を受け継ぐ」という言葉がありますが、彼らの「偉業」には感謝しつつ、一方で彼らの「限界」を克服するということが、彼らの「魂を受け継ぐ」ということであり、現在を生きる私たちが為すべきことではないかと考えます。

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