常識について思うこと

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全員が真のリーダーたれ

2007年01月24日 | 人生

人類を育んでくれている地球。人類だけでなく、地球上にはあらゆる生物が「生」を営んでいます。その地球が、人類の所業のために悲鳴をあげはじめ、もはや待ったなしの状況になりつつあるなか、この局面を打開するには、我々人類ひとりひとりが大きく変わらなければならないと思います。世に起こっているあらゆる問題について、他人任せにせず、全てを自らの責任として受け止め、それらをすべて変えていこうとする意思と実行力をもたなければならないのです。

人のせいにしない、他人任せにしない。これは、いわゆる「リーダー」としての本質でもあります。そして、まさしくこれからの時代を生き抜く人類は、ひとりひとりがそういうリーダーにならなければならないということなのです。

ところで、真のリーダーとは何でしょうか。本来、リーダーとは人の上に立つ存在であり、会社であれば社長だし、軍隊であれば将軍だし、国家であれば首相や大統領といった最も高い地位に就く人、端的にいえばそういう人がリーダーです。

ところで、地位や名誉が、人々の欲の対象となる社会においては、リーダーになることそのものに価値があるものと評価されます。だから何をなすべきかではなく、リーダーになること自体が社会的な地位として価値があると認識され、目的化してしまっているケースが多々あるのです。しかし、このことは大変危険なことであり(「道具の目的化の危険性」参照)、実際にそういうことでは、真のリーダーの地位は、その人に定着しません。

そもそもリーダーとなる人が、その地位に就きたいと願い、しきりにそのことをアピールしても、中身が伴っていなければ、周りにいる人々がその人をリーダーにはしません。むしろ「あの人があの地位に就いたら、何をされるか分からない」といった不安を与え、人々を警戒させてしまいます。これでは、リーダーになりたくても、そのアピール自体がまったくの逆効果として働いてしまいます。

リーダーという存在のイメージは、的確に判断をし、部下にテキパキと指示を出し、組織を引っ張っていく(リードしていく)人であるから、当然そういう威風を備え、「だから、私の言うことを聞きなさい」という雰囲気を漂わせているように思われるかもしれません。しかし、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉のとおり、真のリーダーは、けっしてそのような威圧的な雰囲気を漂わせはしないのです。むしろ周りの人々に、「どうか、私のことを助けてください」と思わせる人こそが、真のリーダーの姿なのであり、人々が自然とその人のために命を投げ出したくなるようにさせるのが、真のリーダーの成せる業なのだと考えるべきでしょう。

ローマ進撃に際し、国境を流れるルビコン川を目前にしたジュリアス・シーザーは、「ここを渡れば世界の地獄、渡らねばわが身の破滅」と言って、その川を渡ったといいます。「渡らなければ、わが身の破滅。だから渡ろう、私のために渡ってくれ」。これこそ究極の「どうか、私のことを助けてください」かもしれません。

リーダーは、その人物が狙ってその地位に就くというよりは、むしろ周りの人々が「その人のために、命を投げうって尽くしたい」と思う結果として、自ずとその地位に就くものです。リーダーは、多くの人に「私のことを助けてください」と言うことができ、その行動や言葉を聞き取った多くの人々の心が動かされることで、「あの人物をリーダーにしよう」という全体の力が働き、リーダーの地位を獲得することになるのです。

私は、本ブログのなかで、「人は大義をもって生きるべきであり、自らの個に執着してはならない」と書きました(「頼るべきは「自分」」、「妥協が許されない理由」、「正義がひとつになる時代」など参照)。真のリーダーが、「個人としての私を助けてください」ということはおかしい、矛盾しているのではないか、という指摘があるかもしれません。

否、矛盾しません。真のリーダーは、自分が大義のために生きなければならないことを重々承知しており、そのために生きる自分であるからこそ、自分という個を大事にするのです。真のリーダーが「私のことを助けろ」と言うのは、「大義のために力を貸してくれ」と言うことと同義なのです。したがって、真のリーダーにとって必要なことは、地位を求める欲望ではなく、そもそも自分の人生の目的とする大義をもつことであり、それを実現するための実行力、忍耐力であり、周りに対しては多くの人々の協力を得られるように、素直に人の意見を聞き入れる柔軟性や謙虚さといったところなのです。

リーダーたる人物に威厳や風格が備わっているのは、そのように立ち振る舞おうとしているというよりは、その人物が、「自分は大義のために存在している」という確固たる自信から自ずと発するものであると考えるべきでしょう。つまり、真のリーダーがまとう威厳や風格なるものは、その人物がもつプライドや自信が、その人の謙虚さによって隠れるように存在しつつ、まさに溢れるようにして表面化して漂うものとなるのです。

これからの人類ひとりひとりは、こうした人物になっていかなければなりません。とても難しいことのようですが、本質は極めてシンプルです。まずはきちんとした大義をもつことです。せっかく、この世に「生」を受けたのだから、いかにしてその命を使っていくべきか、その大義をきちんともっていれば、自ずと眼は開き、道は開かれていくはずです。

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