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正中線を保つことの重要性

2008年02月11日 | 武術

真の強者は自ら仕掛けることをしません。体の中心軸(正中線)をまっすぐに保ちつつ、相手の攻撃を呼び込みます。いわゆる「隙のない構え」で、相手の攻撃を待つのです。逆に弱者は、殺されてしまう恐怖や自信のなさから、むやみに攻撃を仕掛けてしまいます。「弱い犬ほどよく吠える」という言葉がありますが、まさにそのことです(「抜かせてはならぬ最強の剣」参照)。

「武」の真髄は、その字の如く「戈を止める」ことにあります。究極の強者同士では、互いに構えるのみで打ち込むことはありません。したがって、真の強者同士の間には、結果的に争いごとは生じ得ないことになるのです(「風林火山と「武」のあり方」参照)。ドラマやアニメで、武術の達人同士が、互いの構えで力量を量るような場面があったりしますが、それはこういうことを意味しているのだと思います。

ところで、こうした強者はどのように戦っていくのでしょうか。極めて端的に表現するならば、「相手の攻撃の力を、自分の攻撃の力に転じて戦う」と言えるでしょう。

もう少し、説明を加えると、構えをとっている強者に対して、相手の攻撃が打ち込まれたときから、強者は防御に入ります。このときの防御は、相手の攻撃を「(ガチッと)受け止める」ようなイメージではなく、「受け流す」イメージです。正中線を保ったまま、相手の攻撃を「受け流す」ことによって、相手は徐々に体勢(正中線)を崩していきます。これは防御の開始時点から生ずることであり、その意味で、強者にとっての防御は、「相手の体勢を崩す」という攻撃の開始でもあります。また、相手の攻撃が強ければ強いほど、相手は大きく体勢を崩すことになります。こうした相手の攻撃を「受け流す」所作は、同時に相手の攻撃を「呼び込む」動作にもなります。つまり、相手が強い攻撃を仕掛ければ仕掛けるほど、強者は相手の攻撃を自分の懐に、深く「呼び込む」ことになるわけです。

そして、いずれ相手の攻撃は、臨界点を迎えます。つまり、体勢が崩れきるわけです。強者は、そこで技を使います。ただし、それには大きな力を用いません。あたかも「伸びきったゴムの端を放す」ような、極めて単純で小さなスイッチのようなものを押すイメージです。臨界点に達している相手は、体勢を崩しきっており、このスイッチで見事に倒れていくわけです。このとき、強い攻撃を仕掛けた相手は、大きく倒れていきますし、攻撃が弱かった相手は、小さくしか倒れていかないことになります。表面的には、大きく打ち込んできた者には、大きなダメージを与え、小さくしか打ち込んでこない者には、小さなダメージしか与えないという戦い方に見えることになります。

いずれにせよ、大切なことは、真の強者は自ら技を仕掛けにいくのではなく、相手の攻撃を呼び込んで相手を倒すのであり、その呼び込む深さによって、相手に与える攻撃力が決まってくるということです。

相手を倒したい一心で、自ら技を仕掛けにいったり、十分に呼び込みきっていない(相手の攻撃が臨界点に達していない)状態で技を使ったりすると、技の入りが浅くなり、物理的な「力の強さ」に頼らなくてはならなくなります。こうなると、いわゆる「力技」になり体力を消耗するばかりでなく、相手に力負けしたときには、自分が負けるというリスクまで抱えることになります。これは真の強者の戦い方ではありません。

ところで、上記、強者の戦い方のなかで、最も大切なことは「正中線を保つ」ということです。「受け流す」、「呼び込む」という所作への説明は、なかなか省くことが難しく、こうした部分に焦点が当たりがちになりますが、最も重要なことは、正中線を保ち続けるということなのです。正中線がぶれてしまっては、「受け流す」、「呼び込む」といった所作が、かえって相手に隙を与えてしまうことになります。武を極めるにあたっての基本は、正中線をしっかり保つことであり、これが真の強者の絶対条件でもあります。

また、正中線を保つことの重要性は「武」においてのみ通ずるものではなく、人間のあらゆる所為についても言えることでないかと思います。心の持ち方、生き方、信念、正義・・・。真の強者たらんためには、ひとりの人間として、どのような正中線を持つべきか、常に自問自答を繰り返していく必要があるのだろうと思います。

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